物語の欠片 象牙色の城郭篇 10
-レン-
大吊り橋の主綱は、麻の縄を何十本も束ねたものを、更に何十本も縒り合わせて作られており、大人が両の腕で作った輪っか程の太さがある。主塔の建設作業のできない冬の間中かけて、土木師たちはその主綱を作っていた。それを、少し余裕を見て戦士たち二十名と土木師五名で抱え上げる。
先ずは一方の先をマカニの村の在る山の岩盤に固定する作業だ。この岩盤は強固で、前回の橋の崩落の際もびくともしなかった。安心して新しい橋を預けることができる。土木師たちの指示に従い、特殊な結び方で綱を固定していく。戦士たちの息はぴったりである。凡そ一時限かけてひとつ目の作業が完了した。
しかし、陽は射していないにもかかわらず、一時限の作業で作業した面々には汗が滲んでいる。それだけ主綱そのものが重いのと、緊張を強いられる作業だったのだろう。
万全を期して半刻の休憩を挟む。空を見上げると、どんよりとした雲が山の頂を隠していた。風が無い。
作業をする上で強い風が無いのは有り難かったが、レンは息が詰まるような重苦しさを感じた。
次は主綱を抱えて飛び、向かいの峰の岩盤まで運ばねばならない。その後、同じように先端を固定する。今やった作業より更に難易度が高い。その後、もう一本の主綱の作業が待っている。
土木師は全員交代、戦士も数名を入れ替えて配置についた。レンはスグリと並んで先頭に立つ。
数名の戦士たちはこちら側へ残り、主綱が一定の早さで繰り出されるよう調整をする。そちらの隊のリーダーはシヴァだ。
「レン、そっちは頼んだぞ。」
シヴァに頷いて見せ、スグリと目くばせをする。綱を持たずに指示を出しながら飛ぶ土木師長のレンギョウに、準備完了である旨を伝えた。
レンギョウの表情も、やや緊張で硬くなっている。
「大丈夫だよ、レンギョウさん。僕たち戦士の統率はばっちりだ。そして、レンギョウさんたちの緻密な設計も信頼してる。」
「あ、ああ。ありがとう。ここは、一番ミスできないところなんだ。力のかけどころを間違うと致命的だ。」
「うん。気は引き締めて行こう。」
「分かった。ではいくぞ。」
「了解。」
戦士に綱を抱えるよう号令をかける。続いて、レンギョウが飛び立ち、ある程度の高さまで飛んだのを見届けてから離陸の号令をかけた。
腕にかなりの荷重がかかるが、無事綱を持ったまま飛び立つことに成功した。綱を持たないレンギョウは既に主塔付近を飛んでいる。レンたちは綱を抱えたまま主塔の頂上付近を目指した。頂上付近には穴があけられている。そこに綱を通すのである。先端を持っているレンとスグリは慎重に穴に近づき、計算された大きさの穴にぴたりと先端の断面を添わせる。少しずつ身体を後ろにずらしながらある程度綱が差し込まれるのを確認して綱から手を離した。
急いで穴の反対側に向かう。他の面々が彼方側から更に綱を押し込むと、やがて先端がこちら側に現れた。その先端をスグリと二人で抱える。
あとは順々にレンの号令に従って二人ずつ穴のこちら側へ移動してくる算段だ。全員が移動し終わるのを確認して皆に大丈夫かと声をかけると、大きな返事が返ってきた。
「よし。じゃあ、このまま反対側の主塔まで飛ぶよ。綱は撓ませず、一直線に飛ぶこと。…進め。」
反対側の主塔までは飛べばあっという間だ。その頂上付近の穴に先程と同じ手順で綱を通した。
岩盤に綱の先端を固定する作業は、少し手慣れて一時限かからずに終わる。作業が完了したのを見届けて、レンはシヴァの元へ飛んだ。
「あちらは無事完了。」
「了解。よし、それじゃあ、ゆっくりと綱を開放するぞ。」
綱が少しずつ伸びてゆき、やがてピンと張った。おそらく主塔と主塔の間に、主綱が綺麗な弧を描いているに違いない。
レンはシヴァと二人で再び飛び立った。果たして、想像していた通りの光景が目の前にあった。一本目の主綱が無事渡されたのだ。そのことを告げるために向かいの峰で待つレンギョウたちの元へ戻ると、土木師たちは放心したような表情で座り込んでいる。戦士たちの顔にも疲労の色があった。
「とりあえず一本目は無事完了したみたいだよ。レンギョウさん、念のために状態を確かめてくれる?休憩してからでいい。それから、今日は一本だけにしておいた方がいい気がするんだけど、どう思う?」
シヴァを振り返ると同意の返事が返ってきた。
「レンの言うとおりだ。予想以上に神経と体力を使うな。族長も仰っていたが、無理しては全体に支障が出る可能性がある。今日はここまでにしよう。戦士は軽く終礼をするから各自休憩が終わったら訓練場に集合してくれ。」
予定より早く解散となったので、終礼後にポプラの所へ寄ることにした。今朝方鎌鼬で傷ついた翼の修繕に羽根を使う。そろそろ手持ちの予備の羽根が無くなる頃合いなのを思い出したのだ。
「ついでに、直してやるよ。」
「ありがとう。これくらいなら自分でも直せるけどポプラさんにやってもらった方が早いし完璧だ。」
「ふむ。無茶している割には綺麗に使ってるな。いいことだ。」
翼を外してポプラに渡すと、綻びを直すだけでなく、結局全体の点検をし始めた。レンはポプラが黙々と作業をしているのを眺めるのが好きなので何も言わず手元をじっと見詰めた。その無駄のない動きは美しかった。完璧に真似はできないが、翼の手入れの参考になることも多い。
ポプラは勿論のこと、最近吊り橋の建設で土木師たちと行動を共にすることも多いレンは、マカニの様々な技術はアグィーラにも引けを取らないと感じるようになった。王国で一番小さな村が生き残ってきたのは、これらの技術のおかげに違いない。
「すごい。新品みたいだ。」
「それは言い過ぎだ。それに、新品よりも使い込んだ良さがあるだろう?」
「まあね。…そう言えば、トネリコさんとはもう話をしたの?」
「ああ。あの後すぐな。少し考えさせてほしいってさ。」
「そうか。まだすっきりはしないんだ。」
「仕方がないさ。兄にとっては一大事だ。でも俺の気持ちは決まっている。たとえ…。」
たとえ実家との縁が切れてしまったとしても、だろうか。ポプラは最後まで言葉を繋げなかった。レンも改めて訊き返したりはしない。
直してもらった翼を身に着け、予備の羽根を受け取る。
「ああ、予備の羽根、もうすぐ在庫自体が切れる。お前の藍色は特別だからな、今度またカリンに手伝ってもらえるよう、伝えてくれ。」
「うん…。」
「…どうした?」
「いや、カリン、また城の問題に引っかかっているみたいで、実は今日一緒に戻ってきていないんだ。」
「ははは。相変わらずだな。」
「落ち着いたら伝えておく。」
「こっちは急がないよ。」
「うん。」
吊り橋の建設は、思った以上に労力と時間がかかりそうだ。三日後にカリンを迎えに行ってまだ問題が解決していないようならばどうすべきだろうか。無茶しないという条件と引き換えに、次は一日つきあうと約束してしまった。先程そのことを族長とシヴァに報告すると、その日は吊り橋の方作業は休みにすることになった。
やはり自分が長くマカニを空けるわけにはいかない。かといって不穏な空気の流れるアグィーラに、カリンをひとり残しておくのも心配だった。危ない真似はしないと約束したが、いざという時の拘束力はない。そして、カリンは無茶をしないと言いつつ無茶をする。
更にあのカリンの夢。
以前のような予知夢でないことは明らかだが、何かを警告するものだとすると、何かとはどんなことだろう。闇に関することだろうか。しかし闇は数年前に浄化されたばかりだ。再び現れるのには早すぎる。
だとすると、あの時のように化身たちの身に危険が迫っている?レン自身は全く身に覚えが無かった。第一、化身たちが揃う機会など、今は年に一度程度だ。化身たちが揃う機会…レフアの誕生祭か。確かに数か月後にそれは迫っている。そこで何か起こるとでもいうのだろうか。
レンは大きな溜息をひとつついた。
これくらいのことは、カリンもきっと考えているに違いない。それから、アグィーラで続いている不穏な事件との関り。今アグィーラに居られない自分がカリンよりも正解に近づける気がしなかった。
足は自然と訓練場に向かう。誰も居ないと思っていた訓練場にはスグリが居た。レンの姿を見るとにやりと笑う。
「明日に備えて十分休息をとること。シヴァの話を聞いていなかったのか?」
「まだ陽が落ちるまで時間がある。夜はしっかり休むよ。スグリさんは何?僕のお目付け役?」
「いや、暇だったからな。ここに居ればお前が上がってくるんじゃないかと思って。」
「悔しいことに、まんまと上がって来たよ。あ、ねえスグリさん、スグリさんの翼って誰が造ってるの?」
「イヌワシの岩に行かないか?」
「え?いいけどまたどうして?」
「この雲…。きっと今日は夕焼けの雲海が見えるぜ。話はそこでしよう。」
唐突な提案にやや面食らったが、特別反対する理由もなかったので、イヌワシの岩へ向かうことにした。スグリとそこへ行くのは初めてだし、これまでそこで出くわしたこともなかった。そもそもイヌワシの岩はマカニ族であってもそれほど行く場所ではない。だからこそレンにとっては子供の頃からひとりになれる特別な場所だったのだ。
とはいえ、レンもそう頻繁に訪れていたわけではないから、スグリにとっても特別な場所だったと言われても特に不思議はなかった。偶々出会わなかっただけなのだろう。
それもまたイヌワシの岩で訊いてみればよいだけだ。レンよりも身体半分くらい先を飛ぶスグリの表情は良く見えない。ただその視線は真っ直ぐに前を見据えていた。
