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【吹奏楽】真島俊夫イズムと印象派、"粋"の美学に触れて

中高と吹奏楽部のアルトサックスを続けてきた私が、高校2年生で出会ったのが真島俊夫という作曲家だった。

「ドビュッシーの『海』をやるか迷った。」
そう言っていた学生指揮者が演奏会の大題目に選んだのは、「Les Trois Notes du Japon(3つのジャポニスム)」​。
周りからどう見えていたかは分からない。でも私はこの曲に、大袈裟に言えば人生をかけるほど向き合った。 音楽と関わってきた中でとても貴重な体験をすることになった。
ふと、この曲の思い出と私の情熱を残したくなったので書いてみる。
個人的な感想なので、分析とか評論とかを期待しないでください。

初めて聴いたときはなんて言うか、ひたすらに長い曲だということと、楽器が多いという印象があったと思う。
真島作品を知らなかったが、真島俊夫先生はドビュッシーを敬愛していたとのことで、私がドビュッシー好きなのもあり、シンパシーは感じていた。
ドビュッシーで言うところの、「喜びの島」に似ている。
なるほど、学生指揮者の選曲の理由も分かった。

「3つのジャポニスム」の構成はこの通りだ。

Ⅰ 鶴が舞う(La danse des grues)
Ⅱ 雪の川(La rivière enneigée)
Ⅲ 祭り(La fête du feu)

これでもかというくらい、和のテイストだ。
吹奏楽とは、皆さんも知ってるだろうフルートやクラリネット、トランペット、トロンボーンといった西洋の楽器で構成された、所謂ウィンドオーケストラというものだ。和楽器は本来ない。
横文字の楽器で、鶴の舞に、雪に、祭りまで表現しなくてはならない。
ますます難しい曲のような気がしてきた。

初合奏を迎える。初合奏はまず小節を数えるところから始まるので、気が抜けない。緊張感に包まれる。
指揮棒が降りると、全体からゴチャゴチャ!とした音が鳴った後に、フルートが居心地悪そうな音を出す。開始3秒で、曲が止まる。
こんなことを幾度も繰り返しながら曲は作られていく。20分弱もある曲を100人で合わせるなんて、途方もない。

初合奏にビビり散らかしているそのときだった。

「パタパタパタパタパタ……」

自分たちの譜面は休みだが、右斜め後ろから奇妙な音。(1:45, 2:30)

振り返ると、打楽器担当が扇子を2本持ちしており、二刀流で擦り合わせている。重ね合わせた扇子を上下に揺らしながら擦れる音を出していた。
みんなが「おぉ〜😳」みたいに反応すると、なぜか学生指揮者は満足気に語り出す。

「これが鶴の舞う羽音」
「これが鶴に聴こえるように演奏しなければならない」

実際の楽譜

なんて美しい表現だろう

とそのとき感動した。
実際に鶴の羽ばたきを曲に加えること、そして扇子で行うことで、聴覚と視覚の両方で風情を感じられる。

加えて、それにフルートやハープという西洋楽器を合わせた音色は、まるで水浴びをしているよう。その後トランペットが陽気なメロディを拭き、和楽器である柏木によって一本締めされ、主題に繋がっていく流れなのだ。完璧な構成だと思った。

さらに合奏が進むと、Ⅱ 雪の川 の練習が始まる。

この楽章の味わい深いのは、竹で出来た、カラコロという音の鳴る打楽器である。(竹鳴子とか、バンブーチャイムなどと言われる)
控えめだが、耳をすませば聴こえる程度に鳴らしている。雪がしんしんと降る川が想像できる。

オーボエ、ソプラノサックス、フルートのソロがあり、雪の川に鶴が一羽立ち尽くしているようにも聴こえるかもしれない。

私はこの楽章を演奏しているとき、山形の銀山温泉を思い浮かべる。
偶然にも真島先生の出身県だった。

Ⅲ 祭り は私の一番好きな楽章だ。
Ⅱ楽章で寝落ちしていた人が悲惨な起こされ方をするのを幾度か見てきた。

冒頭のティンパニだが、皮(打つ面)が破れる勢いである。大阪市音楽団の演奏とか絶対破れていると思う。

ここは演奏者としても爽快で気持ちがいい。吸い込んだ息を余すことなく楽器に注ぐ瞬間はハイになるものだ。
聞いている側もそうなるほどに、旋律はどんどん速くなり追い上げてゆく。やがて、日本の「ねぶた祭り」からリズムを借りてきたとされる、ホルンの主題が堂々と演奏する。(12:15)
ホルンというのは🐌を逆さにしたみたいな楽器です。

祭りが一旦落ち着くと、穏やかな雰囲気で各楽器が美しいメロディを奏でる。フルート、クラリネットの繊細なソロ。
そしてそれは1本のフルートの線から、より太い流れに巻き込まれていき、楽器が布のように折り重なり先に進む。(13:55)

そして静かに出てくるのが、この大きな和太鼓である。
「桶太鼓」と呼ばれるもので、長い長い竹のバチで演奏する。(14:40)

もちろんこんな楽器は、本来吹奏楽にはない。
私の高校にももちろん無かったため、学生指揮者が周囲の学校を探し回って、借りる算段をつけたとのことだ。

この桶太鼓を皮切りに、「ダンッダダンッダン」という祭りのリズムが静かに始まる。それに注目して聴いていると、次第に管楽器を巻き込んでリズムは大きくなり、最後には楽団全体が共鳴し、そこで止まる!


「今」というところで、冒頭と同じ、鼓膜を突き破るティンパニソロ。(15:25)
ここから終盤への追い上げは一瞬。
祭りの有終の美を飾るため、管楽器も打楽器も出力120パーセントだ。
最後はホルンやトランペットがベルアップ(楽器を高く上げ、遠くに音を飛ばす)
そしてどんちゃん騒ぎのまま、花火がどんと上がるかのように、いきなり終わる。

この曲の本番を迎えた時、後にも先にも、吹奏楽をしていて初めての経験をした。
譜面や運指は頭と身体に染みついている。周りと呼吸を合わせるのも、目をつぶっていても自然とできる。
普段は、本番中にも「この音程が合っていないからどうにかしよう」と理性を働かせながら、その場での調整をしている。
でも、それさえも身体が勝手にやっていて、宙に浮いた感じがしていた。

日本とフランスの融合、西洋楽器と和楽器、ドビュッシー、異文化……
意識は、生まれ育った港町にまで辿り着いていた。その港町は船に乗った外国人を迎え入れ、西洋の文化を取り入れて発展した。

全部繋がっている気がする。
そう思ったとき、演奏中にふと涙が出てきた。
ジャポニスムが私の中に確かに宿っていると感じた。亡き真島俊夫がどんな人物だったか、思いを馳せた。


次に気づいたときには楽屋。
演奏後のハイで学生指揮者と皆が盛り上がっているところ、泣いている自分はどう考えても浮いていた。(その日の公演の第1部、まだ前半だった)
でも、演奏者としてかけがえのないものを得たと思った。

その後、真島俊夫先生の他の作品も聴いた。3つのジャポニスムと合わせて、三部作と言われている以下。
『鳳凰が舞う -印象、京都 石庭 金閣寺』
『Mont Fuji(富士山)~北斎の版画に触発されて~』

「富士山」は他校の同級生が演奏しているのを生で聴いた。
やはり表現や曲調が似ているし、教科書で見た、北斎の描く力強い富士がこういう音楽になるのかと、絵画と音楽の狭間の芸術という形で楽しめた。

校内ではクラリネットアンサンブルが『La Seine』を演奏していて、こんなに美しく木の音が活かせて、パリのゆったりした雰囲気が想像できる、お洒落な曲なんてあるんだ……と驚いた。かなりお気に入り。

高校卒業後、大学生になってから、クロード・モネを代表する印象派の絵画が好きになった。卒業旅行では、パリのオルセー美術館にも足を運んだ。
展示会で来日するモネやセザンヌ、ゴッホの絵の解説を見ていると、「浮世絵」という言葉が出てくることに気づいた。
どうやら、印象派画家たちは日本の美術から影響を受けていたらしい。

このとき、またジャポニスムを思い出した。
印象派画家たちはフランスで、日本の浮世絵文化を融合させようとした。
それに影響を受け、遠い未来、日本人の作曲家が、ヨーロッパの楽器を使って和を表現した。

クロード・モネ「ラ・ジャポネーズ」

私は先に真島作品を知ったけれど、印象派を好きになったのも、日本人に印象派が人気なのも、ジャポニスムの血が通っているような気がする。

真島作品に感じられる懐かしさや、新奇性、繊細と豪快のメリハリ、物悲しさなどは、印象派絵画を見たときにも感じる。
どの作者も亡くなってしまっているが、今の時代にも残っているそれが、"粋"つまり日本人らしい気風の良さや心意気ということなのだと思う。


参考にさせていただいた記事

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