新学期2日目はやっぱりいつもの朝だった
昨日から始まった新学期。
初日の朝は一緒に5時に起きて散歩に出かけ、
ゆっくり朝食を食べてから
「行ってきます!」
と爽やかにバスに乗り込む息子を見送った。
夏休みの間にきみはすっかり逞しく成長したんだね。
ママは嬉しいよ。うんうん。
そして2日目の今朝。
起きない。
どんなに声をかけても。
いや、覚醒はしている。
でも起きようとしない。
そして、
布団の中から弱々しく聞こえてきた声。
「行きたくない。休む」
😇😇😇😇
…そうだよね。
人はそんな簡単には変われないよね。
うんうん。
なーんて!
穏やかに対応できなかった!!
初日の朝の様子に勝手に期待値を上げて、
2日目とのギャップにまんまとやられた私。笑
バス停まで送る車中も、
あれこれ行きたくない理由と、
自分が出たい授業の時間に合わせて車で送って欲しいと要求する息子の言葉に、
「ここまで周りに配慮してもらって、いい加減甘ったれたこと言ってんなよ〜💢💢」
という、
一番言ってはならない言葉が喉元まで出かかった。。。
すんでのところでギリギリ抑えたものの、
「今日は学校までは送らないからね。」
と、吐き捨てるように言ってしまった。
結局、息子はギリギリのところでバスに乗った。
いつもはバスに乗っていない大好きな友達がたまたま今朝は一緒だったことも大きい。
そして送って帰宅すると、
リビングに忘れ物がいくつか残っていた。
今日は川活動なのに、ライフジャケットも忘れた。給食の箸セットも、昨日本人に渡したものがソファのクッションの下から出てきた。
あぁ…
これでまた彼は学校で余計なHPを削ることになる。いよいよ明日の登校は無理かもしれない、とひとしきり落ち込む母。
これが新学期のリアル。笑
「知識」と「実感」のギャップ
今朝の出来事を振り返りながら
「9月の新学期、学校に行くのが辛い・しんどいのは当たり前だよ」
ということを散々発信する立場にいながら、
なぜここまで自分の感情が揺さぶられたのかを改めて考えてみた。
私の今朝の怒りの構造はこんな感じ。
期待→焦り・落胆→怒り
(焦り・落胆が怒りの1次感情)
冷静に考えれば、
1学期を踏まえてもこの状況になることは最初から容易に想定できたし、今朝にしても、最終的にバスに乗れたことに対してもっと喜びの感情が湧き起こってもいいはずなのに、
「なんでこんなにがっかりしてんのよ私!!」
というツッコミを入れたくなる。
全ては、「今回は大丈夫なんじゃないか」という勝手な期待を初日に膨らませまくったこと。
そして、これまで自分が数えきれないほど
「新学期の行き渋り事例」を扱ってきたとはいえ、親として「夏休み明けに行き渋る我が子」に対峙するのは初めての体験だった、ということに尽きる。
これは先日書いた、外部刺激を身体のどこで処理しているのか、という話にも直結する。
今朝の体験こそ、今まで頭で理解していたことが「目の前の我が子の現実」として受け入れた=腹落ちした瞬間でもあった。
「理解する」と「受け入れる」は
ぜんぜんイコールじゃない
我が子の発達特性や行き渋りと向き合いながら思うのは、
どれほど特性について学んで知識を得たとしても、「理解する」ことと「受け入れる」ことは即座にイコールにはならない、ということ。
こうした日々の葛藤や失敗を通じて、親の側が一つずつ腹落ちさせていく地道なプロセスの繰り返しなんだ、と最近改めて感じることが多い。
今朝も、自分の感情に飲み込まれて息子にはキツい言い方をしてしまったけれど、
こうした体験も含めて、一つずつ飛んできた球を打ち返しながら、頭から心、そして腹へと落としていくしかないんだろうな。
明日も厳しい朝になることは目に見えているので、期待をなんとか手放して、息子のペースだけでなく、自分自身の気持ちの余裕のなさにも寄り添いつつ、その時を迎えようと思っている。
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