見出し画像

その身を焼くほどの生きづらさ。『劇場版モノノ怪 火鼠』

 至福、という言葉が頭に浮かぶ。前作『唐傘』のリバイバル上映と併せて日を置かずして劇場で鑑賞する『劇場版モノノ怪』待望の第二章『火鼠』を観ている間、ずっと幸せであった。この昂りは自宅のモニターで得られるものではなく、スクリーンがあってこそ初めて成立する快楽なのだと、改めて実感する。もし本作を劇場で観ずしてこのnoteに辿り着いてしまったのなら、今すぐブラウザを閉じて、映画館に向かってほしい。それくらいしか、皆様に示せる誠意が見当たらない。

 劇場三部作の真ん中に位置する今作の舞台は、引き続き大奥。前作『唐傘』では、かの伏魔殿で働くことになった新人女中の目を通して、“お勤め”という大義名分のために自我を投げ捨てなければならず、仕事の出来不出来や嫉妬が織りなす生きづらさを描いた。

 続く『火鼠』でフィーチャーされるのが、「御中臈おちゅうろう」と呼ばれる、大奥の上位層に位置する役職の女性たちだ。見目麗しく、天子様の御夜伽の相手候補である彼女たちは出世頭であり、位の低い女中たちにとっては憧れの存在として見なされている。御中臈は大奥の中枢にも近く、お世継ぎを産めばその者は大いなる権力を持つことになる。大奥で働き台頭することは、御中臈になることとイコールであると、下々の羨望の眼差しを介して今作でも強調される。

 そんな花形とも言うべき御中臈にも、その立場なりの生きづらさがあることが描かれてゆく。本作でメインとなる大友ボタンと時田フキは同じ御中臈でありながら、それぞれが自分たちの「家」の名を背負って大奥の敷居を跨いでいる。大奥で出世することが家の安寧に繋がり、ひとたびお世継ぎを産んだとなれば、その家は天下の御家として名が知られることになる。大奥の厳しさに流されることなく、勝ち気な態度で立身出世を目指す格好の良い憧れの女性たちは、いち早く男児を妊娠した者が勝利するという、そういう椅子取りゲームのプレイヤーたちなのだ。

 しかしながら、大奥での出世が天子様の御夜伽の相手に選ばれることにのみ達せられるというのなら、それは男に見初められるか否かという窮屈な運否天賦に左右されてしまう。天子様の目を引く美貌なり御夜伽の技巧なり、際立った才能の持ち主でなければ上に行くことも許されないヒエラルキーを泳ぐことの、なんと息苦しいことだろうか(無論、それ以外の方法で自立していくアサもいるけれど)。

 女性を搾取する「大奥」という巨大なシステムのおぞましさは前作ゆずりだが、第二章『火鼠』にはその仕組みそのものを維持し、権力を保持しようとする者の存在が鮮明になってゆく。うら若き愛娘を大奥へ送り出した「家」の父親たちは政治的なパワーゲームに明け暮れ、自らの出世や保身のためにその娘さえも将棋の駒の如く扱う俗物だらけ。仮に娘が死んでも代わりはいると言い切ってしまうその醜悪さは、大奥が産んだ歪みの中でも際立っていて、吐き気を催す邪悪とはまさにこのこと。

 この搾取構造の前では、自らの身体を切り売りして高みへ登ろうとする女性たちの懸命の行為もまた、家への奉仕という“お勤め”に還元されてしまう。自分の運命を自ら定めることを、大奥というシステムは許してはくれないのだ。そして仮に、めでたく天子の子を身籠ったとて、それで大安が約束されるわけでもなく、より恐ろしい敵意に晒され、あるいは政治的な意向のため非人道的な結末を迎えることもある。“火鼠”が燃やし尽くさんとしたのは、そうしたままならなさであった。

※以下、ネタバレを含む。

 火鼠となった女中スズ。20年前の天子の子を身籠った彼女だったが、家同士のパワーバランスが揺らぐことを避けるという「忖度」のため、彼女は自ら毒を含み、生まれる前の子をその胎内で殺めた。それが家を守ることと信じて、父親の対面を守るために、自分で自分の子を殺すのだ。

 この血の気の引くような行いが、この国でかつて実際に起こっていたと思うと、背筋が凍る想いである。道具のように身体を捧げることを命じられ、いざ身籠ったら殺せと言われる理不尽が、この世にあっていいはずがない。結果としてスズは自らの決断を悔い、自分を責めるようにその身を焼いて命を絶った。それでも世を去ることのできない情念が、火鼠となりて自分を業火で焼き続ける。

 火鼠が人を焼く時は、子を持つ母となったフキに危害を加える者が現れた時だけであった。火鼠は自らに罰を与える一方で、自分と同じように子を産むことを諦めさせようとする外の力から、フキを守っていたのである。その優しさと苦しみからスズを解放してあげられるのは、薬売りしかいない。広敷番(警護を司る門番)の坂下の必死の言葉は、スズの悲劇を二度と繰り返したくないという叫びとして、20年に渡る哀しき自責の念を断ち切るに至るのであった。

 このおぞましく愚かしきしきたりを目の当たりにしても、大奥の解体には至らない。正室の幸子はお腹を痛めて産んだ我が子を自ら育てることも許されず、天子様も母であり大奥のトップである水光院には支配されており、搾取構造はなおも続くだろう。そんな間違いだらけの椅子取りゲームに疲弊していく姿は下界の者たちには知らされず、名もなき女中たちは自分の輝かしい将来を無邪気に夢見ながら、お勤めに日々励むのである。

 されとて、ボタンは自分の家や父が行ってきた所業に嫌悪を示し、それでもなお大奥を守り通すことに心血を注いだ。フキも自分と家を天秤にかけながら、身籠った我が子を産む決心をし、そのために闘う覚悟を示した。彼女たちは大奥というシステムを維持する歯車でありながら、それに服従することを良しとせず、理不尽には抗いながらこの世界を生き抜いていくたくましさを持ち合わせている。ボタンとフキとの間に交わされる連帯の視線は、この窮屈な世界において数少ない希望となるだろう。

 希望といえば、大奥に関わる男衆の全てが悪ではないことを、広敷番の三人が示してくれた。たとえこの大奥が許しがたい側面があっても、それを守ることを誇りとして三十年も努めた坂下の男気が、薬売りとの連携という形で花開く、本作最大のカタルシスポイントとして言及せざるを得ない。そして、大奥に渦巻く哀しみや怒りに形を与え、女性たちの無念を晴らす薬売りがいてくれることの頼もしさに、少しだけ安堵して劇場を離れることが出来るのだ。

いいなと思ったら応援しよう!

ツナ缶食べたい いただいたサポートは全てエンタメ投資に使わせていただいております。

この記事が参加している募集