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UNISON SQUARE GARDEN 「Sentimental Period」のまえ


▼はじめに

追いかけてきた年月も熱量も一番の純度を誇る、私にとっての人生バンド、UNISON SQUARE GARDENからドラムの鈴木貴雄が脱退する。これに伴い、2026年7月15日をもってバンドは現体制の活動を終了、活動休止となる。

この発表があってから現体制ラストライブまでに思ったこと考えたことを文字に残そうと決め、ちょこちょこと書き連ねていた。人間の記憶なんてあまりあてにならないけれど、文字にすることでそれを事実に出来る。そして、文字は残される限りいつでも読み返せるから時空を超えることが出来る。大好きなバンドと生きてきたこと、バンドからもらったもの、とにかく何かしらを残したかった。
ファンの中でも十人十色の考え方があると思う。正直な気持ちを書いたものの、これはあくまでも私の見解や感情であって、誰かや何かを批判する意図は一切無い。また、描写として入れざるを得なかったが今回の件でどれだけ悲しんだか辛かったかをアピールしたい訳では無い。

本記事の中で、メンバーのことはリスペクトを込めていつもの呼び方「田淵・たかお・斎藤さん」で書かせていただきます。
なお、ユニゾンと自分の歴史(~2024/7/24)については下記に記載している。もし宜しければ。


▼お知らせを受けて心の整理を付けようとしたが

信じ難いお知らせ

2026年4月27日。結成日をひっくり返したその日。ファンクラブUNICITYから明らかにいつもとは違う様相のメールが届き、案内に沿ってFCサイトを開く。え………?たかおが脱退?ユニゾンが活動休止?どういう事だ……。最寄り駅から自宅までの帰り道、雨が降った後のじめじめと共にしばらくその場に立ち尽くして動けなかった。皮肉にもその数時間前、東京の空には虹が架かっていた気がする。

翌日の出勤は辛かった。仕事に支障がないよう振る舞ったものの、ふとした瞬間に涙が込み上げてトイレに逃げて泣いていた。家に帰ってからも毎晩泣いていた。朝起きてまず思うことは、715より後にはもう3人のユニゾンはいないんだ、という絶望。気付いたら2週間連続で泣いていて、人ってこんなに毎日本気で泣けるんだと思った。

涙を枯らした後はもう、何をするにも気力と集中力が今までのように持たず、好きだった音楽やライブも以前のように楽しめなくなってしまった。他のバンド、特にスリーピースバンドを見ると苦しい。「◯周年です」系のMCで心が抉られる。そもそも大きい音を聴くと疲弊する。ユニゾンをきっかけに元気が出なくなるのは違うと頭では分かっていても、どうも心が、身体が、ついていかない。目線は前を向いているはずなのに視野の上部がずっと狭くて息苦しい。楽しい事や嬉しい事があってもそのポジティブな感覚はせいぜい数十分しか持続せず、すぐに暗闇へと引き戻される。
齢三十と数年生きてきた中で過去に何度も落ち込んだことはあるが、ここまで落ちた感覚は初めてかもしれない。大切な人との関係性を失ったり、嫌なことに苦しめられたり、信用していたものが実は虚構だったり、そういった今まで経験してきた絶望とは今回は明らかに格が違う。身体がただそこに在るだけで、魂が入っていない感覚。まるで生きた心地がしない。


私は今までユニゾンを“正しく”見聴きできていなかった?

UNISON SQUARE GARDENに関して、私は今までバンドの構造理解を積極的にしてこなかった。この構造理解とは(あくまでも個人的定義だが)、バンドの詳しい成り立ちや経緯を知る、今どういうフェーズに居るのかリアルタイムの情報を追う、歌詞やインタビューを読み込んでメッセージを汲み取る、等というように客観的情報を仕入れることでバンドの輪郭を的確に描こうとする行為を指す。
これをしてこなかったのは、ユニゾンに出会った2013年頃、自分がそこまで積極的にSNSを活用しておらず情報量が少なかった事が理由としてひとつある。メンバーの個人アカウントがそもそも当時は無かったし(今とは異なる古い方の田淵Twitterアカウントには出会えていなかった気がする)SNSを追わなくとも、音源を聴く⇒ライブに行く のスパイラルだけで満たされていた。それから数年経過しコロナ禍あたりから音楽アカウントというものを始めてみて、気になった方をフォローさせていただいたりしたものの、SNS上でのファンとの繋がりもほぼ無く、他者を介したユニゾンの情報はあまり積極的に入れようとはしてこなかった。何というか、大多数大勢でシェアするものじゃないというか。そこにユニゾンがいて、自分が感じた事が全てで、この純度にノイズを入れたくなかったという気持ちがあった。そもそもユニゾンは常に心の中にいるからシェアすることはすなわち心の内側を晒す行為でもあり、信頼した人にしか深くは話したくなかった。

バンドのブレーンである田淵が外部でやっているラジオ番組も数回しか聴けておらず、直近のトークショーにも参加していないため、田淵の思想や哲学を十分には把握出来ていなかったとも思う。これに関しても自分なりの理由がある。2023年に「スロウカーヴは語れない」という田淵が敬愛するthrowcurve ナカムラリョウさんとa flood of circle 佐々木亮介さんを迎えたトークイベントには参加していたのだが、「ユニゾンの〇〇という曲はthrowcurveの△△に影響を受けていて~」といった解説を聞いた時、そのカラクリを知ってしまうのが怖く感じてしまったのだ。私の中でユニゾンはユニゾンでしかなく、何かの影響だとか何かのオマージュだとかあまり他の情報を入れたくなかった。ユニゾンはずっと私にとっての絶対的存在で居て欲しかったというエゴかもしれない。

なお、この考え方は不思議とユニゾンだけにしか適用されない。他の好きなバンドに関してはインタビュー記事やラジオなどメンバーの発言まで隅々まで追って構造理解を試みる。メンバーのルーツなんて知りたいに決まっている。ファンの感想や解釈も知りたい。やはりユニゾンだけが、私の中でロックバンドの原体験であり、純粋過ぎるからこそ異質とも言える、唯一無二の存在なのだ。

しかしこの絶妙な解像度の低さがゆえ、バンドの現在の状態を把握できておらず、今回の発表は意外どころではなく頭を突然横から鈍器で殴られたかのような衝撃。何度聞いても信じられなかった。何なら、今でも信じられていない。
後出しになってしまうが確かに今思うと、バンドの構造理解が満足に出来ていなかった私でも気付くような違和感は要所要所に散りばめられていた。しかし、ユニゾンに限ってはあの3人で在ること自体がバンドの存在証明みたいなものだから、活動休止はまだしも誰かの脱退なんてある訳がないだろという思い込みが根底にあった。だから、先のライブやリリースのお知らせが中々無いのも、春フェスの出演欄をいくら探してもあの長い名前が見当たらないのも、その他小さな違和感も全てひっくるめて、20周年のお祝いイヤーが終わって少しお休み期間なんだろうな、くらいに呑気に捉えていた。田淵は散々「飽きたらやめる」「ロックバンドは基本的に10年で終わるもの」「20年で結実する」とオフィシャルブログでも言っていたのに、私はそれを真に受けずメンバーの健康寿命まで継続するものと勝手に思ってしまっていた。

あの発表の日から重々しく月日が経過しても、心の整理はそう簡単には出来ず目の前は薄暗いままだったが、ユニゾンからは決してその目を離さないようにした。残された大事な時間は、楽曲を聴いたりライブ映像を観たりUSGラジオやユニゾンTVを再視聴したりしながら、何とか今日までの日々を凌ぐ。


▼UNISON SQUARE GARDENは 細胞の一部

あなたの血が僕に流れてるんだ

UNISON SQUARE GARDENというバンドを、その魔法にかけられていない外側に向けて説明するのが難しい。パブリックイメージは、アニメタイアップが多いキャッチーなバンド?シュガーソングとビターステップの人たち?になるんだろうか。確かに楽曲はキャッチーなものが多いが、バンドの実態はちょっと違う。かと言って世界観ゴリゴリバンドでもないしマイノリティーがマジョリティーに噛みついてやろう的構図でもない。ユニゾンはきっと型に当てはめられるのを嫌う気がするから本来やりたくないが、説明のために行うとするならば、"超現実主義と少しのユーモアを持って 世の不条理を真面目千徹にぶっ蹴飛ばしていく系バンド" とでも言えようか。田淵はバンドのロマンを体現するために必要なものとして「意地」を挙げているが、感情のままに思いをぶつける訳ではなく根底には冷徹なほどの理論土台があり、決して衝動だけでは動いていないことが彼のブログの発信からもよく分かる。

では、私がユニゾンの一体何に深く共鳴しているのかというと、ありのままで生きていいんだよと教えてもらったこと だと思っている。

20thに辿り着くまでに田淵が幾度も発信していた「ライブは自由に楽しめばいい。手を挙げてもいい。挙げなくてもいい。曲の予習なんて一切合切必要ない。君の好きな時に好きなように楽しめばいい。」というメッセージが、いつしかライブハウスやホールの領域を超え、自分の生き方にまでに影響していた。みんなが持っているものを、私は持っていない。みんなが当たり前のように出来ることを、私は意味や理由が感じられないとそれが出来ない。ひとりぼっちで沈みそうになったそんな時、ユニゾンの存在が、その哲学が、どれだけ支えになったことか。ユニゾンの音楽を再生することで、ギリギリつながった夜が何度あったことか。

そしてこの哲学は、ライブに行く回数を重ねるごとに強く深く熱を持って私の心と身体に刻まれる。

「自由に楽しむ」が名実ともに実現されている空間は、正直なところ、邦楽ロックバンドではユニゾン以外にまだ見たことがない。(邦楽ロックバンドの全部が何かってことに気づいてないだけかもしれないがせめて今だけは、贔屓目に語らせていただくことをご容赦願いたい。)

今までも、自由に〜と言ってくれるミュージシャンには出会ってきたものの、客席の雰囲気やノリ方、ここで拍手しなきゃな ここで笑わなきゃな、といったバンドと観客が作り出してしまう暗黙の了解に多少気を遣いつつ楽しむのが実際のところだった。しかし、ユニゾンの場合は自由に楽しむことが実現できる「仕組み」が用意されているのだ。

とてもスリーピースとは思えない音の情報量に圧倒され、コール&レスポンス無し、煽り無し、手拍子無し、MC無しノンストップで1ブロック6曲くらい進行。ブロック終わりに休憩があってもそこで斎藤さんが発するのは業務連絡のような5秒間くらいの、もはやMCと言っていいのかすら分からない挨拶。その後も、ユニゾンのライブは止まらない。音楽が好きで好きで仕方がない様子がもう見ていて分かる、力強い指弾きと存在感のあるコーラスをあんなに動き回りながらやってのける、ハイパー縦横無尽熱量ベーシスト田淵智也。手数の多さと音の表現だけにとどまらず、スティック回しや起立しながら、時には目隠ししながら叩き、叫び、観客とバンドの接点を案内してくれるような “魅せる” 演奏をする千手観音オンドラムス・タカオスズキ。それぞれの方法で暴れるリズム隊2名の操縦はもはや諦め、かといってそのリズムの上におとなしく乗っているだけでは済ませない、こちらも我が道を孤高に走り続ける超絶ギターボーカル斎藤宏介。こんなにも人間離れした三人の五臓がロックしているのがUNISON SQUARE GARDENのライブだ。

このようなライブ環境が提供されるため、手を挙げるだとか挙げないだとか何処でノるとかノらないだとか他の事を考える余白が観客にはそもそも与えられず、各々の好きなように楽しむことができる。だから、ユニゾンのライブは観客の雰囲気も動きも圧倒的に “揃っていない” 。この不揃いを私は自由と呼ぶ。そして、余白が与えられない間、この世界には私とユニゾンしかいない瞬間が持続する。間違っても皆とユニゾン、ではない。“私とユニゾン” の太い線がそれぞれの観客の数だけ存在する。自分の輪郭が溶けてUNISON SQUARE GARDENと融合する感覚。だから、あのライブを一度真剣に体験してしまったらもう、UNISON SQUARE GARDENは自分の細胞として体内に取り込まれ、一緒に生きていく宿命が芽生える。大袈裟かもしれないが彼らのライブにはそれだけの魔力があった。

推しとか、趣味とか、好きとか、そういう次元ではない。もう完全に私を構成する一部。人生なのである。


バンドの企業理念への共感

ユニゾンの活動方針にも何一つストレスが無かった。前述したようにライブではMCらしいMCも無く(周年などの節目ライブではあるし時期や企画によってはある時もあるのだが言葉数が少ない事には変わりない)基本的にファンとは馴れ合わない。このストイックな距離感が私はとても好きだった。バンドと客がコミュニケーション出来るのは音楽を通してだけという、この痺れるほど格好良くて純粋な関係性のことが。
リリースの頻度も丁度良く、カップリング曲含めて1曲1曲じっくりと聴き込むことができる。新曲を追うことがファンとしての義務になったことは一度もなく、毎度心から楽しみに受け取ってきた。アルバム単位で曲順に聴く美学。CDを手にする文化。そして、ユニゾンの歌詞はいつだって地に足がついている。演算回路が狂うから永遠なんて誓わないし、早く帰って眠らなくちゃいけないから12時過ぎても解けない魔法は欲しくないし、嵐の中濡れるくらい構わないけどバスタオルの用意はお願いされる。この現実志向な歌詞が、日常を生きる者の味方になってくれる。物好き考察班のように、歌詞が示す真の意味を熟考したり、曲ごとの関連性が物語になっている事に気付いたりといった深い階層までは受け止められていなかったが、日常を送っていてふと口ずさんでしまうフックになるような言葉が多いなと思う。

FCの充実度も嬉しかった。その時々のツアーの出来事、あるいはトークテーマに沿ってメンバーが議論したりふざけたりするUSGラジオは、頭の回転が早くて本質を考えることが好きで、なおかつ気遣い人間の集まりということが会話の節々から伝わり、毎回飽きずに楽しく聴いていた。会報では、本当にこの人たちって人間性はバラバラだよな… と改めて実感させられるメンバーごとのコーナーや、ライブについてのインタビューなどが、真面目にしかし面白くも展開されており、その当時の活動に対する三者三様の思いや熱量を感じられる場所だった。
チケットがほぼ確実に取れることだけで、こちとら毎年更新継続していない。この街を、ずっと愛してたよ。(入り続けます。)

音源もライブも企業理念も、まるごと忖度無く愛せるバンドは、後にも先にももう出会えないかもしれないな。そもそも代替を探すとか、そういう話ではないのだが。


▼おわりに

3人のユニゾンと物好きたちの生存を確認し、ここまで生き延びた喜びとこれからを生きていく勇気をそこに映し出す定例行事は、2026年7月15日をもって最後となる。

UNISON SQUARE GARDENというバンドは残したいから自分が脱退するというたかおの意志、そして田淵と斎藤さん含めたバンドの総意は、ファンとして受け入れるのが “正しい” と思う。しかし正しく居られない今の私は、鈴木貴雄のいないUNISON SQUARE GARDENをユニゾンとは認識できない。少なくとも今は。
そもそも、ユニゾンはファンに向けたサービス音楽ではなく3人が楽しいと思う音楽を続けていくバンドでもある。だから誰か1人が楽しく無くなってしまったらそれはそれでもう、ユニゾンではなくなる。こう考えると、最後の最後まで3人はUNISON SQUARE GARDENを全うしていた事にも気づく。

“解散とはしない” 事をバンドとして選んだ以上、今後かたちを変えて再始動するかもしれない。その時は応援するつもりではいるし、バンドの活動方針をファンがああだこうだ言うのは不躾極まりないがそれでも正直な気持ちを述べると、たかお以外のドラマーで既存曲をやられたら…どんな顔をして観ればいいのか分からない。だから、どの未来が待っていようがどちらにせよ、自分の中でユニゾンとは一度区切りを付けてお別れしなくてはいけないという整理は変わらない。

最後の時くらい感謝の思いだけを持ちたいのに、それだけの透き通った感情を抱くことは全くできず、纏わりつく悲しみや後悔で濁りに濁っている心がなんとも情けない。ピロウズとの対バンは何とかして行くべきだったよなとか、30thでもfun time 724のcrazy birthday Tシャツを着ていく気満々だったんだよな、現体制での憂鬱はプリンセスをもっと聴きたかったからCharisma & Princessは複数公演行くべきだったな、とか。挙げだしたらキリがない。

言葉にしだしたらどうせラベル貼られて他のあれこれと同じにされる。解散じゃなくて活動休止だよ?他のバンドも数年後に再結成してるから何があるか分からないよ? ――違う。再結成を心待ちにするとかの遠い未来の話ではなく、今日明日をどうやって生きていけばいいのか分からないから問題なのだ。3人のユニゾンが紡ぐ時間は止まり、私だけが時間を進めることがものすごく苦しいのだ。ここから先はもう、3人のユニゾンと一緒に歳を重ねられない。私ひとりになってしまう。

たとえどれだけ気持ちが通じ合えた瞬間があったとしても、私達はすべて等しく個人である。バンドと客も、個と個。バンドの人生を自分の人生にしてはいけません。それは田淵のブログでも過去に発信があった。でも、理屈では到底解析出来ない引力のようなものに私は抗えなかった。それくらい、特別な3人だったんだよ。神様、いや魔法使いがいるならきっとこんな感じなのかなと思ってしまう程に。私は正しいファンになれなかった。出口チェックしておいてよ、って言われてたのに全然出来ていなかった。
願わくばもう一度、あの頃にタイムリープして、私の世界にまたUNISON SQUARE GARDENが現れて第一章を始められないだろうか。今まで起きたつらいこと悲しいことをもう一度体験しても全く構わないから、何なら寿命をほんの少し差し出しても全く構わないから、3人と過ごす時間をなぞり直したい。

時間の不可逆性を強く呪う。







ずっと続けばいいな けど 終わりが近づいてるのもわかるよ。
3人はすごいロックバンドだったってことを、鼓膜を超えて心臓に記憶してくるよ.

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