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【愛知】日本初のプロ野球試合、今はそのまま自動車学校 | 鳴海球場跡(後編) | 名古屋市緑区 | 2008年アーカイブ


名鉄自動車学校の職員の方にお願いし、一塁側スタンド部分に上がらせてもらった。昔は閉鎖されておらず、教習生もスタンドに登ることができたようだが、危険防止のため、現在は立入禁止となっている。


スタンド出入口はコンクリートで閉鎖されており、現在は使用できない。

戦後、突貫工事で建てられた中日スタヂアム、現在のナゴヤ球場が木造スタンドであったのに対し、戦前に大型娯楽施設として建設された鳴海球場は、コンクリート造のスタンドを備えていた。

戦争遺跡などを見ていても感じることだが、明治期から大正期にかけて造られた建造物には、レンガや石材などを用いた堅牢なものが多い。一方で、戦時中に急造された施設には、質素で、脆さを感じさせるものも少なくない。
一概には言えないが、鳴海球場のスタンド跡には、戦前の球場建築らしい重みがまだ残っているように思えた。


スタンド通路部分。
職員の方に、鳴海球場のことを聞いてきたり、スタンドに上げてほしいと言ってくる教習生はいますか、と尋ねてみたが、ほとんどいないとのこと。
跡マニアからすれば、すこぶるもったいない話である。


一塁側スタンド最上部からホームプレート方面を撮影。
一番球場らしさが感じられるアングルだった。


一塁側スタンド最上部から三塁ホーム側スタンドを撮影。


一塁側スタンド最上部から三塁側スタンドを遠望。
三塁側にはスタンドが二つ残っている。ホームプレート跡は写真左側にあたる。


扇形の形状が残る外野側。
当時の写真に写っていた、外野側の高台からタダ見している見物客は、おそらく奥の高台から観戦していたのだろう。


自動車学校のナイター施設の鉄塔。
鳴海球場自体にはナイター設備はなく、自動車学校開校後に設けられたものである。


三塁ホーム側スタンドの外側に残る出入口。
現在は埋められていて出入りはできないが、形状には当時の雰囲気がよく残っている。当時の写真でも、この出入口を確認することができる。


三塁ホーム側スタンド外側。
現在は職員用駐車場となっており、うまく全体を撮影することはできなかった。


三塁ホーム側スタンド出入口のアップ。三塁側にはスタンドが二つ残っているが、開場当時からあったのはこちら、内野側のスタンドである。


三塁外野側スタンドの外側。
外周道路からこのスタンド跡を見ると、今でも自動車学校というより、球場跡として見た方がしっくりくる。


三塁外野側スタンドの外側。
現在は車庫として使用されているスタンドで、窓や出入口は閉鎖されている。ただし、コンクリートなどで完全に埋められているわけではないようだ。


内野側(右)と外野側(左)のスタンドを外側から撮影。
二つのスタンドの間には、渡り廊下のような通路が設けられている。当時、なぜこのような間隔を空けて造られたのかは不明。


再び三塁内野側スタンドの外側。
外野側スタンドと比較すると規模はやや小さいが、窓の形状など、造形はこちらの方が丁寧に見える。


昭和末期の三塁ホーム側スタンド外側。
当時は現在のような職員用駐車場がなく、出入口の外側すぐが道路になっている。また、窓もまだ封鎖されていない。


一塁側スタンド外側。
三塁側でいうところの外野側スタンドにあたる部分である。ホーム側スタンドがあった場所は、現在は自動車学校の出入口となっており、建造物は取り壊されている。


外野センター側からホームベース方面を臨む。
自動車学校になったばかりの頃は、メインスタンドなども残っていたようだが、現在はご覧のとおり取り壊され、跡は残っていない。


外野グラウンドの外周部分。
見事な扇の弧を描いており、球場の形を意識しながら歩けば、往時の姿を思い浮かべることは難しくない。


かつて、ベーブ・ルースがプレーし、名古屋金鯱軍と東京巨人軍が日本初のプロ球団同士の試合を行った球場は、今では教習所のコースになっている。大切に保存されているというより、別の用途に使われながら、形を変えてしぶとく残っている。そのあたりが、なんとも名古屋らしい感じがする。

この中途半端さも含めて、鳴海球場跡は実に魅力的な場所だった。

<おわり>


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