好きなことがわからないあなたへ|心に余白ができたら、忘れていた「好き」を思い出した話
「私は、何が好きだったんだろう」
ふと、
そんなふうに思うことは
ありませんか?
毎日の仕事や家族のこと、
人間関係や将来への不安。
やることはたくさんあるし、
それなりに毎日を過ごしている。
でも、ふと立ち止まったとき、
「私は、本当は何がしたいのか」
「夢中になれるものがない」
そんなふうに、自分の気持ちが
わからなくなることがあります。
以前は好きだったことも、
今は思い出せない。
「自分らしく生きたい」
と思っているのに、
何をしたいのかが見えない。
そんなとき、私たちはつい、
「何か新しいことを探さないと」
「やりたいことを見つけないと」
と、外へ答えを探そうと
するかもしれません。
でも、私自身を振り返ると、
本当に好きなことは、
必死に探しに行かなくてもいい。
そう思うようになりました。
私の場合、
「心からの好き」
を思い出させてくれたのは、
小学生の頃から一緒に暮らしていた、
2匹の愛犬でした。
悲しみに寄り添い続けたあとに見えた世界
コロとポテトのことは、
別の記事でも詳しく書きました。
2匹を相次いで見送った私は、
人生で経験したことのないほどの
悲しみの中にいました。
毎日、毎日、泣きました。
仕事中は目の前のことに集中しても、
家に帰って一人になると涙が止まらない。
何かをしようとしても、
涙が出る。
でも私は、
その悲しみを無理に消そうとは
しませんでした。
ただ、悲しいから泣く。
寂しいから、その寂しさを感じる。
そうやって、
自分の中にある感情と
一緒に過ごしました。
そして、
何か月も経ったある朝。
ふと目を覚ますと、
なんだか景色が違って見えました。
空気がさわやかで、
あたたかくて。
心がスッと軽くなっていました。
悲しみを、
無理に消したわけでもありません。
前向きになろうと
頑張ったわけでもありません。
ただ、十分に悲しんだ。
そうしていたら、
いつの間にか自然に心が動き始めていた。
そんな感覚でした。
そして、その頃。
ふと、
「コロとポテトを描きたい」
と思ったのです。
心にスペースができたとき、突然出てきた希望の種
なぜそう思ったのかは、
今でもよくわかりません。
でも、
「描きたい」
ただ、それだけでした。
私は、2匹の似顔絵を
色鉛筆で描き始めました。
毎日少しずつ。
無心で描きました。
当時の絵は、
今ほど上手ではありません。
それでも、
できあがっていく2匹の顔を見て、
不思議なほど心が癒されました。
「この子たちは、確かに生きていた」
そんな感覚がありました。
写真とは、また違う。
自分の目を通して、
自分の手で描いていくことで、
「私はこの子たちを、こんなふうに感じていたんだ」
という、
自分の想いまで見えてくるようでした。
絵の中の2匹の目は、
とても優しくて、
あたたかくて。
見ていると、
「今も私を見てくれているような気がする」
そんな感覚になりました。
もちろん、
それが本当にそうなのかは
私にはわかりません。
でも、私はその絵に、
とても癒されたのです。
そして、気づきました。
「私、絵が大好きやったんや」
忘れていた「好き」が、そこにあった
考えてみれば、子どもの頃、
絵を描くことが大好きでした。
でも、
仕事や人間関係や将来への不安で
頭がいっぱいだった頃の私は、
そんなことすら忘れていました。
「何がしたい?」
と聞かれても、答えられない。
「趣味は?」
と聞かれても、思いつかない。
そんな状態でした。
心の中にあった悲しみと、
ちゃんと一緒に過ごしていたら。
いつの間にか心に少し余白ができて。
その余白から、
「描きたい」
という気持ちが、自然に顔を出した。
本当の望みは、
最初から自分の中にあったのでした。
ただ、
心がいっぱいになっていると、
それが見えないだけなのかもしれません。
小さな「好き」が、今の私につながっていった
その後、
私は愛犬たちの似顔絵を
描くようになりました。
大切なペットさんの絵を描いてほしい
というご依頼をいただくようにもなり、
今一緒に過ごしている子だけでなく、
天に還った子の似顔絵を
描かせていただくこともありました。
依頼してくださった方が、
とても喜んでくださる。
「描いてよかった」
そう思える経験が、
少しずつ増えていきました。
そして、
絵を描くことそのものの楽しさも、
どんどん溢れました。
自分の気持ちを自由に絵にする。
誰かの心が、
少しほっこりするような絵を描く。
そんなことが、
私は好きだった。
今では、
絵は私の活動の中でも
大切なものの一つになっています。
動画の画像やサムネイル。
ブログやnoteのイラスト。
そして、
こうして愛犬たちの物語を
届けるための絵。
あの時、
心の奥から自然に出てきた
「描きたい」という小さな気持ちが、
今の私につながっています。
だから私は、コロとポテトが、
私の中にあった「絵」という宝物を
思い出させてくれた。
そのような気がしています。
愛犬たちが残してくれたもの
「愛犬が旅立ったあとも
飼い主が前を向いて人生を歩めるように、
旅立ちの前から贈り物を準備している」
こんな話を聞いたことがあります。
それが本当なのかどうかは、
私にはわかりません。
魂がどうつながっているのか。
愛犬たちが、
本当に何かを伝えてくれたのか。
それを証明することもできません。
でも、
私自身の人生を振り返ったとき、
2匹との出会いから別れまでの時間が、
その後の私の人生に大きなものを
残してくれたことは確かです。
2匹との別れをきっかけに、
私は初めて、自分の感情を、
逃げずに感じきるという経験をしました。
そして、その後に、
「絵が好きやった」
という、自分の中にあった
純粋な気持ちを思い出しました。
それは、
私にとって大きな転換点でした。
だから私は、
2匹が最後に、
自分たちの存在そのものを通して、
私の中にある宝物に気づく流れを
つくってくれたのかもしれない。
そんなふうに感じています。
「好き」は、探すものではなく、思い出すもの
今振り返ってみると、
「絵が好き」という気持ちは、
新しく生まれたものではありませんでした。
ずっと私の中にあったものです。
ただ、
仕事や人間関係や将来への不安で
心がいっぱいになっていた頃には、
それが見えなくなっていた。
そして、
心に少し余白ができたとき、
「あ、ここにあった」
と、思い出すことができた。
だからもし今、
「自分が何をしたいのかわからない」
「好きなことが思いつかない」
「何かを始めたいけれど、何をしたらいいのかわからない」
そう感じていたとしても、
無理に答えを探さなくても
いいのかもしれません。
毎日を変えようと頑張る前に、
まずは、自分の心を少し休ませてあげる。
悲しいなら、悲しい。
疲れているなら、疲れている。
悔しいなら、悔しい。
今感じているものを、
すぐにどうにかしようとせず、
「そうなんやね」
と、少しだけそばにいてあげる。
そうして、
心に少しスペースができたとき、
ふと、
「これ、好きだったな」
「これをやってみたいな」
「なんとなく、これが気になる」
そんな小さな気持ちが
浮かんでくることがあるかもしれません。
それは、
今すぐ人生を大きく変えるような
ものではないかもしれない。
私の場合は、
「絵を描きたい」
という、本当に小さな気持ちでした。
でも、
その小さな「好き」が、
今の私につながっています。
だから、
もし何か心に浮かんできたら、
正解かどうかを考えすぎずに、
できる範囲で、
ほんの少しやってみてほしいと思います。
そこから何が始まるのかは、
その時にはわからなくてもいい…
もしかすると、
その小さな一歩の先に、
忘れていた「本当の好き」や、
これからの人生につながる何かが
待っているかもしれません。
もし今、
自分の「好き」がわからなくなっていても、
焦らなくて大丈夫。
新しい何かを、
必死に探しに行かなくても大丈夫。
まずは、
心に少しだけ余白を
つくってあげてください。
その余白から、
まだ眠っているあなたの「好き」が、
そっと顔を出してくれる…
きっと、
そんなタイミングがくると思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
