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ストキンとわたし



「自分の音を鳴らす」

恥ずかしながら、まだ映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」を見てはいない。だがしかし、いきなりそんなことを言われたって、何が「恥ずかしながら」なのかは、さっぱりよくわからないのではないかと思われるので、少しだけ説明をしておくと、いろいろな意味で余裕があんまりないために、映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」をまだ見れていない、と言うことなのである。その「いろいろな意味」のうちの最たるものは、やはり経済的な余裕である。只今、さっぱり仕事がなく、ちっとも収入もなく、とても窮乏をしているため、映画一本を見にゆくことですらも、ちょっと躊躇してしまうのである。その躊躇は、究極的には、映画を見るか一日何も食べない日をつくるかを天秤にかけるというような話にまでつながってくる、のである。そして、それならば、とりあえず食べる方をとろうか、ということになってしまうのだ。往々にして。映画を見ても、胸の中や頭の中は満腹になっても、お腹は膨れないから。しかしながら、お金がちっともない代わりに、いろんなことをぐちぐちぐちぐち考えていられるような時間だけは、結構たっぷりとある。それが、うれしことなのかかなしいことなのかは、もはやもう、あまりよくわからない。そんなようなこともあって、映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」を見にゆく代わりに、静かにひとりで「ストリート・キングダム」の本を読んでいた。巷では「幻の映画原作書籍」と言われている(らしい)「ストリート・キングダム」の本が、ちょうど家にあったのである。この、二〇〇八年にK&Bパブリッシャーズから出版された「ストリート・キングダム 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン」が、すでに家にあることは、実はすっかり忘れてしまっていた。長年放置されていて、おそらくもう十五年以上は、積み上げられた本の山の中に埋もれたままになっていた。一回ぐらいさらっと読んでから放置してしまったのか、一度も読まずに購入した時のままずっと放置してしまったのか、そのあたりのことは、自分でもあまりよく覚えていない。読んだような気もするし、読まなかったような気もする。というか、映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」にも登場しているらしい、一九八五年にリリースされたリザードのアルバム「彼岸の王国」に封入されていた十六頁のブックレットを、高校生の頃から擦り切れるほど隅から隅まで何度も何度も読んでいたので、あれこれごっちゃになってしまっているのである。そもそも「ストリート・キングダム」という本は、テレグラフ・レコードの地引雄一が「彼岸の王国」の付録のブックレットに書いた「リザード年代記」が元になっているものだと思われる。そのため、もしあの出版当時に、「ストリート・キングダム 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン」をさらっと読んでいたとしても、おそらくそれを初めて読むような気はあまりしなかったであろうと思われるし、そこでそんなような気がしていたとしたら、それをその時に読んでいたとしてもその読んだ記憶が時間の経過とともに薄くなってしまうのも当然といえば当然であったであろうからだ。それくらいに、まだ十代の頃に繰り返し読んだ「彼岸の王国」のブックレットの文章(「リザード年代記」)の方が、わたしの頭の中では強烈に記憶されていて、くっきりと焼きついてしまっているのである。であるからして、今回その「ストリート・キングダム 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン」を読んでいる時にも、そこそこ細かい部分まで詳細に書かれていたと思われるブックレットを参照したい気分には、、何度となくなった。そして、実際に「彼岸の王国」からブックレットを引っ張り出してきて、それをまたじっくり読み返してみて、そこのところを踏まえて、またあらためてストリート・キングダム 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン」の残りの部分を読むというようなことにもなった。しかしながら、ひとつだけとても困ったことが起こったのである。いや、起こったのではなく、起こらなかったというか、もうなにも起きないことになってしまっていることに気づかされて、困ってしまった、といった方が正しいであろうか。つまり、K&Bパブリッシャーズからの「ストリート・キングダム 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン」には、付録としてDVDのディスクが付いていたのだが、もうすでに今ではDVDを見ることのできる環境ではなくなってしまっていて、これを見ることが最早できないのである。たぶん、このDVDは、本を入手した当時にも見てはいない。見た記憶がない。だが、当時はDVDをパソコンで見ることもできていたので、いつでも見れるだろうと思って、視聴は後回しにしてしまったのではないかと思う。その後にパソコンなどでは(それ専用のデバイスがないと)DVDが見れなくなってしまうとは全く考えもせずに。というわけで、ちょっと困ったことになった、のである。これはもう、原作本の付録のDVDではなく、映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」の方を見ろ、ということなのだろうか。たぶん、そういうことなのだろう。

「ロフトの思い出」

西新宿の小滝橋通りにあったライヴハウス、新宿ロフト。映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」でも店内のセットが組まれていて、それがほぼ忠実に再現されていると聞くが、あの場所で一度でも音楽ライヴを見たことのある人であれば、できることならもう一度訪れてみたいと思う場所であるだろうし、あの頃のままの景色が映画の中でそっくり再現されているのを見たら、かなりぐっとくるものがあると思われる。すし詰めになったステージ前の狭いスペースで、むちゃくちゃに暴れまくる子どもたちがまるで芋洗いのような状態になっていて、ぽたっと暗く低い天井から首筋に垂れてきた一滴の水のひんやりとした感覚に、ふと我にかえる。異様なまでに盛り上がるオーディエンスが発散する汗と熱気が、すし詰めのステージ前から立ち上り、ライヴハウスの天井で結露してぽたぽたと水滴がしたたっていた。新宿ロフトというと、あのステージ前の熱気とひんやりとした水滴のことを思い出す。しかし、ライヴハウスの中のことというのは、いつも薄暗かったので、あまり事細かには覚えていない。

初めて新宿ロフトに行ったのがいつだったのか、つまり初めて新宿ロフトでライヴを見たのがいつだったのかについては、実はあまりはっきり覚えていない。十四歳の時に中野サンプラザであったパブリック・イメージ・リミテッドの来日公演を一人で見に行っているので、たぶんその前後の頃ではないかと思うが、これがちょっとさだかではない。なぜ、さだかではないかというと、新宿ロフトでライヴを見る以前に、もっとずっと前から新宿ロフトを見るために新宿ロフトまで何度も何度も通っていたからなのである。当時まだわたしは中学生だった。埼玉に住む田舎の中学生である。頭は校則でくりくりの坊主頭だった。そんな田舎の中学生が西新宿の新宿ロフトの前まで行って、「おお、これがあの新宿ロフトか!」とひとりで感動しながらそこの周辺に佇んでいるという謎な行動を、何度も何度も繰り返しやっていたのである。ある意味では、八十年代初頭当時のインディーズ・シーンにおいては聖地のような場所だった現場に実際に足を運んで、ただその場に自分がいるということが実感できているだけで、何ともいえない高揚する気分に包まれていたのだとも言えようか。その当時は、新宿ロフトだけでなく駅の反対側のツバキハウスの前なんかにも特に何の用もないのに行って、その近辺にいる人たちを眺めたり、ウォッチしたり、観察したりするというのが、田舎の中学生であったわたしの趣味というか、新宿にまで出かけて行った際のひとつの愉しみでもあったのだった。新宿ロフトやツバキハウスの前にまで行けば、きっとパンクな人やニューウェイヴな人たちに遭遇できるのではないかと思って、ただそこに突っ立っていたり、ガードレールに寄り掛ったりしながら、そこを行き交う人々をちらちら眺めていたのである。まだ中学生だったわたしから見ると、そこにいたのは自分より少しというか結構年上のパンクなお兄さんたちやニューウェイヴなお姉さんたちであった。今から思うと、あの当時のパンクなお兄さんやニューウェイヴなお姉さんたちこそが、映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」に描かれていた東京ロッカーズの時代を実際に知っている世代の人たちであったのではないかと思われる。

高校生ぐらいになると、もうすでに結構普通に新宿ロフトでパンクやニューウェイヴのライヴを実際に見るようになっていた。そして、本屋で「ぴあ」や「シティ・ロード」を立ち読みして、新宿ロフトなどのライヴのスケジュールを調べては、見たいライヴのチケットを買いに行っていた。つまり、高校の学校帰りに学校の制服のままで新宿ロフトにライヴの前売り券を買いに行っていたのある。埼玉の田舎の高校生が、学生服のままで電車に乗って新宿まで来て、現地で前売りチケットを買って、また電車に乗って帰る、というようなことを、ほとんど、いつも一人で、よくしていたのだった。まさに、ネクラなパンク・ニューウェイヴ少年そのものであったといってよい。学校帰りに制服姿で学生鞄なども持ったまま、新宿ロフトの前まで行き、おずおずとというか本当にいつもおそるおそる小さなドアを開けて、狭くて暗い急な階段を降りてゆき、その階段の中ほどあたりのところにチケット売り場の小さなテーブルがあり、そこでちょっと無愛想で怖そうなお姉さんなどから前売りのチケットを購入して、狭くて暗い階段から抜け出して、小さなドアの外に出て、やっとまともに息ができるようになり生きた心地が戻ってくる、というような感じであった。あの頃、新宿ロフトの中に入ることは、もうそれだけで、何だかとても緊張するようなことでもあったのである。なので、前売りチケットを買いにゆくだけでも、わたしにとってはなかなかの一大事であった。

「東京ロッカーズ」

一九八六年一月十九日、第四回のシネロフトが新宿ロフトで開催された。シネロフトは、新宿ロフトの昼間の営業の時間帯に映画の上映会を行なっていたイヴェント。普段なかなか見ることができないようなカルト映画やインディーズ映画などをそこでは見ることができた。この第四回のシネロフトで、わたしは初めて「東京ロッカーズ」を見た。言うまでもなく、これは映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」で描かれている東京ロッカーズの時代、その当時の東京の音楽シーンを記録した音楽ドキュメンタリー映画である。そこには東京ロッカーズの主要バンドともに英国のストラングラーズも登場していた。それぞれのバンドの貴重な演奏シーンがフィルムに収められている。この映画をシネロフトで見たとき、わたしはまだ十五歳で高校一年生だった。誰も一緒に行く人がいなかったので、この時も一人で新宿ロフトまで行って映画を見た。この時の前売りチケットは、たぶん冬休み中に西新宿まで買いに行ったのではないと思う。なので、学校帰りに学生服で買いに行ってはいないはずだ。この日、わたしは映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」で描かれていたその時代からは約六年ぐらい遅れて、初めて本物の動く東京ロッカーズを見たことになる。東京ロッカーズが新宿ロフトなどで盛り上がりを見せていた頃、わたしはまだ小学生であり、そのとき東京で起きていたことをまったく知らずに過ごしていた。そして、それから六年後の当時というのは、もうすでに時代はインディーズ・ブームの只中にあって、東京ロッカーズは遠い過去のもののようになっていた。モモヨさんが逮捕された事件があったりしたためなのか、半ばちょっと東京ロッカーズというものがタブー視されているようでもあったりして、どこか積極的に過去のものにされているような雰囲気すらあった。ある意味、その頃もう東京ロッカーズは影も形もなくなっていて、たった六年ぐらいしか経っていないのに、すごく遠い遠い昔にあったことのようになっていた。そんな時代の空気の中で、新宿ロフトのシネロフトで「東京ロッカーズ」が上映されたのであった。それは、わたしたちのような東京ロッカーズを知らない世代にとっては、東京ロッカーズとは何だったのかということを知る、またとない機会でもあったのだった。

正直言って、ストラングラーズは映像も演奏もめちゃくちゃ硬派なパンクでとてもかっこよかった。しかし、そのレヴェルと日本の東京ロッカーズのバンドを比較してしまうと、やはりまだそれは生まれたばかりの赤児のパンクのようであり、音楽的にも駆け出しというような印象を受けたりもしたが、東京のパンクやニューウェイヴの原初の熱気の塊のようなものは、映像からもサウンドからも大いに感じ取れた。ストラングラーズは激烈にクールなパンクであったが、東京ロッカーズ勢はまだ真っ赤に焼けているような(成形前の)パンクであった。ただし、リザードのモモヨさんがインタヴューで東京の下町の下層労働者やアンダークラスの人々について話していたのは、かなり印象に残るものがあった。その姿勢には「ノー・モア・ヒーローズ」を歌うストラングラーズにも通じるものが感じられた。だがしかし、当時まだ十五歳の高校一年生であったわたしに、あのモモヨさんの発言を本当にちゃんと理解することができていたのかどうかは、ちょっと怪しい。しかも、その「東京ロッカーズ」を見ていたのは、今まさにバブル時代に向かおうとしている東京のど真ん中の新宿であったのだから。今ならば下層階級やアンダークラスに関する発言というのは、とても重いものとして感じられるが、当時はやはりそれほどでもなくて、多少受け流し気味に聞いてしまっていたようなところもあったのかもしれない。一億総中流という感覚が、まだ社会全体に充満しているような時代であったのだから。そして、「東京ロッカーズ」の映画にしても、あのもうすでに過ぎ去ってしまった東京ロッカーズの時代のバンドのライヴの映像が見られるという部分が、最も重要な要素であったのだ。さらに、映画作品としては、同時上映された山本政志監督の「闇のカーニバル」の方が格段にものすごくて、思い切り頭をぶん殴られるような強い衝撃を与えられた。この映画で描かれていた新宿の街も、この当時でまだほんの五年ぐらい前の新宿の街だったはずなのに、どこか遠い別の世界のように見えたのである。「闇のカーニバル」は、間違いなくとんでもなくものすごい映画であった。だがしかし、この日に見た「東京ロッカーズ」についての最も良かった点を挙げるならば、新宿ロフトでのシネロフトでの上映であるからこその利点という部分は確実にあったのではないかと思われる。あの当時に東京ロッカーズのバンドたちも実際に出演していた新宿ロフトのスピーカー・システムを通じて、「東京ロッカーズ」に記録された当時のバンドの演奏を、まるでそこで実際のライヴを見ているかのような迫力ある生々しいサウンドで聴くことができたのである。新宿ロフトで映画「東京ロッカーズ」を見るということは、まるで往時の東京ロッカーズを、その現場で追体験するようなものでもあった。よって、それだけで、あの当時の東京ロッカーズのライヴを実際にそこで見たような気分にすらなれてしまったのであった。(錯覚による記憶のすり替え)

「けしの華」

ライターの小野島大さんは、自著「NU SENSATIONS 日本のオルタナティヴ・ロック 1978-1998」からの転載という形で、リザードの前身である紅蜥蜴のアルバムについて記した非常に興味深い文章をノートの記事にて紹介している。

手元には77年前後の紅蜥蜴の録音を集めたアルバム『けしの華』がある。後年の彼らを想起させるところがなくもないが、全体に非常に中途半端な印象を受ける。内奥にどろどろと渦巻くものをどのように表出していけばいいのか、彼らのなかでまだ迷いがあったのだろう。肉体感覚の欠如した脆弱な演奏はいかにも自信なさげで、当時の彼らを取り巻く状況を反映しているように思える。

小野島大「NU SENSATIONS 日本のオルタナティヴ・ロック 1978-1998」

紅蜥蜴のアルバム「けしの華」は、シティ・ロッカーズより一九八〇年にリリースされている。これはリザードがリザードになる以前の過去の音源をまとめた編集アルバムである。時期的には、東京ロッカーズ期よりも以前であり、ロンドンでパンク・ロックのムーヴメントが盛り上がっていた頃とほぼ同時期の録音物でもある。わたしがこのアルバムを最初に聴いたのは中学生の頃で、そのころもうすでにリザードは目立った活動を行っておらず、新しい作品のリリースもなかった。そのような時期に、リザードとはまた別の新しい作品という感覚で紅蜥蜴の「けしの華」を聴いたのだった。小野島さんは「全体に非常に中途半端な印象」と書いているが、当時のまだ中学生だった頃のわたしの印象というのは、結構それとは真逆のものであった。それまでに発表されていたリザード(として)の楽曲の方がちょっと中途半端ですべてを出しきれておらず、それと比較すると、紅蜥蜴の方がもっとストレートに生々しく(「らしさ」や「本質」の部分が)表現ができているように感じたのだ。これは、当時のまだ十代前半であったわたしの音楽の聴き方というものが、かなり底が浅く幼稚なものであっただけなのかも知れないけれど。すなわち、音楽に対する感覚もまだ幼く年齢的にも中途半端な中学生にとっては、紅蜥蜴の方がガツンとくるものがあったということであったのかも知れないのだ。そして、リザードの音楽というのは、当時のわたしの耳にはまだ少しばかり大人すぎるものであったのかも知れない。しかして、当時のわたしとしては、こっち(紅蜥蜴)の方が、自分にとってのリザードなのだと確信していて、そればかりを聴いていたのであった。

リザードがリザードになる以前のライヴを聴いていたり、その当時のバンドの音楽性を直接に知っている人にとっては、リザードというのは、過去の紅蜥蜴時代を経た進化形だとかパンクやニューウェイヴへと向かう時代の変化に合わせて成長したサウンドを生み出しているものとして捉えられていたのではなかろうか。そのようなリザードの音楽を同時代的なサウンドとして耳にしている感覚で、あらためて(過去の)紅蜥蜴の音楽に接してみると、それが、ちょっとばかし古い形態の七十年代的な匂いのするものに聴こえてしまったとしても、決しておかしくはないのかもしれない。だが、そうした進化の過程や時代に合わせた音楽的な変遷というものを全く知らない、もっと若年の完全に遅れてきた世代というのは、リザードと紅蜥蜴を聴くことにほとんど時差というものがなく、ほぼ同時期に並列にしてそれを聴くことにもなっていたのである。そうすると、その当時には(往時には)進化形であった(はずの)リザード(ですら)も、もう少しばかり古めかしいものとなり、時代に合わせてアップデートされたサウンドも、変に(大衆向けにアレンジされたような)ポップさが目立つもののように感じられてしまうものとなってしまっていたのである。よって、というか、ゆえにか、逆に、わたしのようなまだ若い世代の耳には、紅蜥蜴の方がちょっと粗削りでよりストレートなパンクを感じさせる音楽に聴こえたのである。オリジナルのパンクにも東京ロッカーズにも間に合っていないわたしたちの世代は、最初からポスト・パンクやノイズ〜オルタナティヴやハードコア・パンクを並列的に聴いているような耳をもつ世代でもあったため、きっちりと整理されまとまった小綺麗さすら持ち合わせているリザードのサウンドは、パンク・ロックとしてはちょっとポップス寄りで中途半端な印象を受けるものに感じられたのだった。それこそ、わたしたちの世代にとっての同時代的なサウンドでもあったスターリンやらギズムやらと同時期に、それらと比較するような形でリザードや紅蜥蜴を聴いていたのだから。時代は、もうすでにインディーズの襲来によって一新されようとしていたのだ。わたしたちは新しい音楽のほとんどを自主制作盤で聴いていた。何から何まで自主独立であることは、もはや当たり前のことにもなっていたし、そこにこそ同時代の音楽としてのかっこよさの基準みたいなものもあったのだ。よって、アーティストが原盤権を持ち、制作や流通は大手レコード会社というスタイルのリザードのリリース形態には、ちょっと中途半端なイメージというか、もうすでに前時代的なものすら感じられていたというのも確かなのである。当時の若い世代というのは、五番街などのレコード店に溢れかえる、純正のインディーズである自主制作盤を漁っては、既成の資本主義的経済活動(経済システム)の外側で、新しい自分たちの世代の音楽と戯れる、新しい時代の遊びを率先して(おそらくほとんど無意識的に)追求していたのである。つまり、八十年代前半の街の裏通りで遊ぶニュー・キッズだったのだ。

「デストロイヤー」

一九七七年に紅蜥蜴がシングルとして発表した「デストロイヤー」という楽曲がある。この曲は、後にライヴ・ヴァージョンが「彼岸の王国」にも収録されることになる。この曲の歌詞には、「醜すぎるこの面に/できるもんかよキスなんて」という一節を聴くことができる。また、紅蜥蜴が一九七六年に発表した別のシングルのタイトル曲「セクサス」(この曲は、後に「けしの華」に収録された)の歌詞には、「地下鉄に乗り込んで窓ガラスに写ってる/醜い自分の姿に見惚れてる俺たちさ」という一節がある。どちらの曲でもモモヨさんは(自らの?)顔や容姿について歌っていて、それはいつだって醜いものと形容されている。モモヨさんがこのような歌詞を歌うとき、それは実際の顔や容姿の醜さを歌っているものでもあるのだろうが、ちょっとそれとは全く別の文脈を頭の中にうっすらと惹起させるようなものも実はあったりする。それはつまり、かつては江戸といった東京の下町の落語や寄席演芸の世界や芸能者の世界が、そうしたフレーズのリフレインによって、ぐっと紅蜥蜴の世界に接近してくるようにも感じられるということなのである。なんとなく「破壊された顔の所有者」や「破壞し尽くされた顔面の持ち主」といったフレーズを寄席の高座において自らを紹介する際に使っていた三代目三遊亭歌笑や四代目柳亭痴楽のことが、こうした紅蜥蜴の楽曲を聴いているとふと脳裏に思い浮かんでくるのである。それはやはりモモヨさんの音楽が一貫して浅草の下町の音楽で(も)あったことと何かしら通じるものがあるからなのかもしれない。モモヨさんと歌笑や痴楽は、実は伝統的な芸能者や道化(おどけ)の系譜においてとっても近しい存在なのではないか。そういった部分もまた、紅蜥蜴時代の音楽には、よりストレートに剥き出しなって表出されていたのではないかと思う。

(追記)
シングル「セクサス」のカップリング曲である「白いドライブ」で、地獄の淵へまっしぐらなバイクのタンデムシートに乗っているのは、可愛い死神である。そして、死神といえば、寄席演芸の世界では、言わずもがな初代三遊亭圓朝の「死神」である。もし、圓朝が現代に生きていたら、バイクに死神を乗せて大川の川べりを疾走していたかもしれない。紅蜥蜴と落語の世界は、なんだかとても近く感じる。

「浅草へ帰ろう」

紅蜥蜴の下町の音楽は、それはもはやパンクでもニューウェイヴでもないもののように(すら)聴こえる。下町・浅草についてモモヨさんが歌うとき、その歌の向かうところは、どこか保守的の方向であったりオールドウェイヴ的なものであったりする。だがしかし、そういうところにこそ、あの「ノー・モア・ヒーローズ」を歌うストラングラーズのパンクな姿勢と通じ合うものが、その根底の部分にはあるようにも感じられたりするのである。紅蜥蜴の下町の音楽・下町の歌というのは、東京のパンクとして・東京のニューウェイヴとして、モモヨさんにとって/紅蜥蜴にとっては、歌われるべくして歌われた歌であったのではないかとすら考えたくもなってくる。アルバム「けしの華」には、思い切りストレートに愛と憎しみが渦巻きつつも下町や浅草を賛美するような「浅草に帰ろう」という楽曲が収録されている。この曲は、個人的にはとんでもない世紀の大名曲だと思っている。藤山一郎の「浅草の唄」の右に出るものがあるとするならば、それはこの紅蜥蜴の「浅草に帰ろう」ぐらいのものではないであろうか。ほのぼのと懐旧的かつ牧歌的な「浅草に帰ろう/花電車に乗って」という歌い出しで始まるこの曲だが、サビのコーラスでは「あゝ浅草は血の海の中に」というなかなかに凄惨な歌詞が繰り返されている。この血にまみれた浅草という描写に、江戸の頃から芸能者や吉原の売笑そして弾左衛門の非人たち(いわゆるアンダークラスな人々)が(自らの身を切るように/爪に火をともすようにして)生きてきたこの土地の全てがぎゅっと盛り込まれているようで、とてもさわやかなメロディのリフレインなのに、ものすごく胸に迫りくるものがあるのだ。また、「あゝ浅草は血の海の中に」なんていうフレーズは、ロンドンのパンクでいったらザ・ダムドあたりが歌いそうな文句であるのもいい。そして、リザードにも、浅草についてを歌った「浅草六区」という楽曲がある。しかし、あの当時に紅蜥蜴の「けしの華」を擦り切れるほど聴き込んでいたわたしのような中学生からすると、あれはどう聴いたって「ロック・クリティック」の替え歌なのである。「ロック・クリティック」は、「もしや、これってオレのこと?」と、本当にズバリ自分のことを歌っているのではないかと思ってしまうような曲であった。そんな風に思えるロックは、それまでにはほとんど聴いたことなかった。総じて紅蜥蜴のアルバムの曲というのは、当時の自分にぴしゃりとはまるような曲が多かったのである。それは、とても非力な自分を丸ごと投影できるような歌でもあったし、いじけた(醜い)自分の内なる思いを代弁してくれるような歌でもあった。だからこそ、何度も何度も繰り返し聴いたのだろう。それくらいに「けしの華」はわたしにとってとても重要なアルバムであったし、そのことは当時から四十年以上が経った今でも、ちっとも変わってはいない。

(追記)
一九六九年の東映映画「渡世人列伝」のラスト・シーンは、仲見世通りでの鶴田浩二と高倉健による大立ち回りであり、まさに「あゝ浅草は血の海の中に」そのものであった。

「トラッシュ」

スターリンの「トラッシュ」は、一九八一年にポリティカルよりリリースされている。その頃、わたしはまだ小学生で、スターリンというバンドの存在そのものを知らなかった。そして、わたしが中学生になった頃には、「トラッシュ」はもう、どこをどう探しても見つからなかった。さほどプレス枚数が多くはなく、在庫が完売してしまうと、もはや入手不可能となる、というのが自主制作盤の特徴でもあった。だからこそ、店頭にあるうちにインディーズのレコードは買っておかなくてはならない。ただし、スターリンの場合には、過激なライヴを行なっていたことでその名が知れ渡っていたこともあったし、その話題性から爆発的に売れたせいもあるのだろうか、「トラッシュ」は早くからもう幻のアルバムになってしまっていた。当時まだ中学生であったわたしが、わずかな情報を元にどんなにあちこち探し回ったとしても決して手に入れることのできないアルバムであった。わたしが初めて自主制作盤を買ったのは、中学生になって電車に乗って都内までふらふらと遊びにゆくようになってからであった。東京ロッカーズが盛り上がっていた時期からは、まだほんの数年しか経っていなかったはずだったのだけど、もうすでにそういう時代のノリは完全に静まってしまっていた。その後のインディーズ・ブームが到来しかけていた頃で、まだまだほぼ凪いでいるような状態ではあった。そんな中、中野のオールディーズあたりまで出かけて行っては、まだ売れ残っていたミラーズのシングルなどを見つけて買ったりしていた。だがしかし、電車に乗らずに家から自転車で行けるくらいの距離にある貸レコード店、G7には「トラッシュ」があったのだ。どの自主制作盤を扱う店にももう置いてなかった、スターリンのファースト・アルバムである。もう聴けないと思って半ば諦めかけていたものを、灯台下暗しすぐ近くで見つけることができて、それを数百円で借りて聴く喜びに浸ることができたのである。実際に、「トラッシュ」というアルバムは、本当にものすごかった。その内容は、日本のパンクの中でもずば抜けていた。一聴して、歴史的名盤だとわかった。まだ坊主頭の中学生だったが、それでも直感的にわかった。この時もうすでに、徳間ジャパンからのアルバム「ストップ・ジャップ」は出ていた、と思う。それを聴いていたからこそ「トラッシュ」を結構血眼になって探していたのだと思う。ジャケットのおどろおどろしさは格別で、片面はライヴ録音となっていて、サウンドの荒々しさ生々しさも飛び抜けていた。あの当時に「トラッシュ」から受けた衝撃は本当に大きかった。メジャーなレコード・レーベルから出ているレコードにある商品的なつるっとした感じはどこにもない、闇で流通するブツならではといえるようなざらざら感や異質感や異物感のようなものが「トラッシュ」には明らかにあったのである。やはり、メジャーのレコードとインディーズのレコードの間には、何か決定的な違いが存在していた。それは当時のインディーズ・ブーム期ならではの時代感覚であったのかもしれないが、「ストップ・ジャップ」もすごく良いし、大好きで何度も繰り返して聴いていたけれど、やはりことさらに自主制作盤の「トラッシュ」を持ち上げてしまうようなところはあった。大きなレコード会社を介していない分だけ、アーティストとリスナーの距離が近いというような感覚もあったのかも知れない。音楽が、パッケージングされてがちがちに商品化されているか、まだ半生の状態ぐらいかの違いでもあったのだろうか。それに、やはり「トラッシュ」の場合には、もう入手困難で希少価値があるというところも大きかった。そういう点では、インディーズのレコードというのは、大量生産され大量消費されるメジャー・レーベルが作る全国どこのレコード店の店頭に並ぶ商品とは違って、どれもとても流通枚数の限られた希少なものばかりであったともいえる(基本的に購入可能な店も限られていたし、時には郵便為替を送って通販で入手するようなこともあった)。であるからこそ、それは、とても特別なものに聴こえたのだろうか。そうしたところもまた、あの時代ならではの、インディーズの音楽の輝きというものであったのかもしれない。

「肉」

スターリンが最初にリリースしたソノシート「電動こけし」は、もうすでに入手困難なかなりのレア・アイテムとなっていたので、わたしが「肉」という曲を最初に聴いたのは、アルバム「ストップ・ジャップ」の付録ソノシートであったと思われる。初期のスターリンにはものすごく即効性の高い衝撃的な楽曲が特に多いが、その中でも「肉」は群を抜いてすさまじい一曲である。ほんの二分ちょっとしかない短い曲なのだが、恐ろしいほどの破壊力を有している。曲の前半では、「俺は口/俺は目玉/俺は耳/俺は鼻」というように、「俺は何何」だと「俺」についてを自己定義する歌詞が繰り返し歌われる。そして、サビのコーラスでは一転して「俺」についてではなく、「あいつには肉をくれてやれ」と今度は「あいつ」についてが繰り返し歌われる。要するに、簡潔かつシンプルに反復するアグレッシヴな曲調にのせて、「俺」と「あいつ」を完全に分け隔てる歌詞が対位的に歌われる構成となっているのである。俺は、口や目玉や耳や鼻といった身体のパーツであっても、身体のパーツとして個別の呼び名を持っているため、ただの肉などではない。よって、同じ人間の身体・肉体の一部・部分であったとしても、「俺」とただの「肉」でしかない「あいつ」では大違いなのである。そういう自と他の差別化というところこそが、スターリンの音楽/遠藤ミチロウの歌詞において打ち出される第一原理的な部分でもあった。ともすれば社会の根底に沈み埋もれてしまいそうになる「俺」を、そのへんのただの「肉」たちとは切り離し非連続化させて「オレの存在を頭から輝かさせて」、どこまでも高く浮上させることこそがスターリンの至上命題であり、そのために遠藤ミチロウは過激な歌詞を吐き捨てながら過激なパフォーマンスを繰り広げていたのである。曲の後半部分でも「俺は言葉/俺は嘘/俺は文字/俺は意味」といった「俺は何何」の定義の羅列は続けられる。そして、サビのコーラスのフレーズは「あいつから言葉を奪え 」へと変わってゆくのである。もはや「あいつ」は、ただの「肉」ですらなく言葉を奪われた「肉」そのもの(名もなき「肉」塊)へとさらに貶められることになるのだ。人間の身体・肉体であった痕跡すら奪われた、ただの人「肉」以下のものへと成り下がってしまうわけである(言葉を奪われるということは、もはや何かしらの部位として名称・呼び名すらないもの、ということである)。しかし、世紀の大名曲である「肉」は、これだけでは終わらない。最後の最後、終結部のサビでは、もはや「あいつ」について歌われるのではなく、唐突に「俺からも言葉を奪ってしまえ」というフレーズが、遠藤ミチロウによって歌われるのである。これは、大どんでん返しである。これだけあれこれと「俺は何何」だと言葉による定義を積み重ねてきていながら、最終的には「俺」からも言葉は奪われることになるのだから。「俺」も「あいつ」も言葉を奪われて根底に沈んで埋もれてゆき、なんでもないただの「肉」以下に成り下がったところで、止揚されて浮上し、そこで歴史の終焉に至るとでもいうことなのだろうか。つまり、「肉」とは、能動的ニヒリズムであり、純然たるスノビズムであるということか。実にナンセンスである。よくわからない。だがしかし、よくわからないからこそ、よくよく考えさせられるような曲でもある。さっきまで「俺は言葉」だといっていたのに、そのすぐ後で「俺からも言葉を奪ってしまえ」と歌われる。そうなると、もう「俺」には何も残らない。むしろそこには無があるということなのだろうか。ならば、なぜいったい存在があるのだろうか、むしろ無があるのではないか。平沢進は映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」について書いたものであろうと思われるツイートにおいて、「遠藤ミチロウはあそこで描かれているようなバカではない。断固、ない。」と書いていた。遠藤ミチロウが歌っているスターリンの曲の歌詞を聴けば、誰だってこれはとんでもないレヴェルの並外れた詩人であると直感することができるであろう。決してバカに書けるような歌詞ではない。深いし、何重にも意味が重ねられていて、そこに躓きの罠が張り巡らされてもいる。とても重い言葉を軽々と使いこなすという点において、同じ東北出身の寺山修司と遠藤ミチロウにはどこか同じ似たような詩人の血が流れているような気がしてならない。

「アーチスト」

シングル「スターリニズム」、そしてアルバム「トラッシュ」の収録曲。ライヴでは、ジャックスの「マリアンヌ」が、この曲の後にそのまま引き続いて歌われるようになる(但し、「トラッシュ」に収録された初期のライヴでは、後半部は拡声器を使用した「全ての革命的変態諸君」のアジテーションが行われるシングルとほぼ同様のヴァージョンでの演奏となる)。瞬発力とどぎつい刺激に満ちたパンキッシュなスタイルのスターリンの楽曲とは正反対に位置する、重たいドラムのビートとのたうつような太いベースそしてノイジーなギターによって構成されるドロドロな緊迫感の高原状態を現出させるポスト・パンク・スタイルの楽曲である。遠藤ミチロウのヴォーカル・パフォーマンスのトレードマークのひとつでもある、息を吸うように発声する引き笑い調の奇声もまたふんだんに発せられる楽曲でもある。そして、この曲もまた実に詩人・遠藤ミチロウらしい不穏な毒々しい猟奇性を盛り込んだ歌詞となっている。だがしかし、ここ最近は、かつて聴きながら考えていた解釈とは、もしかしたら違う解釈もありえるのではないのではないかなどと、あれこれと考えるようにもなってきている。元々の、まだ中学生ぐらいのころにこれを聴いて直感的に思い浮かべていたイメージは、襲撃してくる雌犬どもにそれ(キノコ)(性的な隠喩)を食べさせて、奴ら(雌犬ども)が腹をかかえて死んでゆくのを見る、という(ほとんどそのままの)意味の歌詞なのではないかと思っていた、のであった。しかしながら、もしかすると、これとは少し違う解釈もあるのではないかと、最近になって思い始めたのである。死んでゆくのは、雌犬どもでも、われわれでもない、(まさにそこで歌われている通りに)奴らであるべきなのではないかと。少しばかり、それについて説明したいと思う。雌犬どもは、なぜ襲撃してくるのか。それは、きっと何らかの飢えを感じているからだろう。それは、もしかするととても腹を空かせているからなのかもしれないし、もしかすると食べ物や飲み物とは全く違うものに飢えているからなのかもしれない。また、なぜ襲撃してくる雌犬どもは飢えているのか。憲政史上初の女性総理大臣となった高市早苗のように現行の社会の中において女性性というものを意識的に武器にして媚を売り尻尾を振るようなことをしないから、なのではないだろうか。そんな高市首相タイプの女性たちとは別の種類の雌犬どもは、現行の(ホモソ的な)社会の中では肯定的に受け入れられず、そこにおける正しい在り方であるとは認められにくくなることによって、そうした高市型とは別の種の雌犬どもだけは次第に社会の外側・外部へと追いやられるようになり、満たされていてしかるべきものにありつけず、「夜となく昼となく」飢え続けることになる、のである。おそらく、自分もまた女性であったなら、そういった別のタイプの雌犬どものうちの一頭になっていたことであろう、と容易に想像がつく。だからこそ、そう思うのだが、こうした外側・外部に追いやられた雌犬どもは、なかなか動こうとはしない雌犬たちである。だから、なかなか立ち上がることはないだろう。自分たちとは別のタイプの女性性を武器にしたり媚を売り尻尾を振りまくるような、自分から現行の社会に対して何かを軽々しく積極的に働きかけてゆくような雌犬どもとは自分たちは違うのだと思っているから、だ。しかし、そうした女性たちが、立ち上がり、動き出し、極限まで飢えきったうえに襲撃してくるからには、それはそれで現行の社会の中において眠ったままであった人々をも目覚めさせるに十分なほどの衝撃とインパクトを与えることになるであろうし、一つの大きなムーヴメントを形作るきっかけにもなるであろう。それと時を同じくして「一本のキノコ」が生えてくる。それは、雌犬どもと同様に/雌犬どもとは異なる形で現行の社会の外側・外部に追いやられている(内部の外部にある)周縁者の(隠した/隠された)頭の中でである。この社会の中においては、そうした日陰の隠された場所にいる周縁者のことを、現行の社会は現行の社会の側から見て引きこもりなどと呼ぶ。そんな周縁者たちが生きる薄暗く狭い部屋の中に「一本のキノコ」が人知れず生えるのである。実態ははっきりと把握されてはいないが、おそらくそれは百万ほどの数にものぼると言われている。そんな隠された部屋の中の隠された頭の中に百万単位のキノコが生えるのである。社会の外側・外部に追いやられた周縁者の頭の中で純粋培養された、この現行の社会が社会であり続けることで生ずる歪な現実によって(周縁者の頭の中で)生み出された、毒気をたっぷりと含んだキノコ。これまで動かなかったものたちや隠された場所で眠り続けていたものたちが一斉に動き出すことで、(襲撃してくる雌犬たちによって外部から持ち込まれ、隠された場所に生える百万のキノコから撒き散らされる、ウィルスや菌によって)これまでに現行の社会が直面したことのない既存の免疫システムが機能しないような伝染病が蔓延する。現行の社会ではいつまでも満たされることのない、飢えきった周縁者たちが動き出して、はっきりと線引きされていた(はずの)境界線を跨いで内側に襲撃をかける。社会が排除しようとしてきた菌やウィルスが、そこら中に氾濫する。周縁者たちの反乱が予測不能の事態を引き起こす。そして、それ(毒)を食わされる奴らというのは、これまでにその周縁者たちを内側から排除して僻地に追いやっていた奴らである。そして、奴らが腹をかかえて無様に死んでゆく様を見ることになる、のである。社会が生み出してきた毒によって死んでゆく社会(このような外部からもたらされる脅威に怯える内部というのは、総じて(摘出した異分子を排除し排斥する)排外主義に染まってゆくものである)。だが、どうやってそれを奴らに食わすのか。奴らは飽食の民であり、それほど腹をすかせてはいないし、飢えきってもいないだろう。おそらく、それは食わすのではなく、食らわせるという形になるのではなかろうか。周縁者たちは菌やウィルス(いわゆる毒)の蔓延る外部に追いやられている。内部の周縁者たちは隠されていて、菌やウィルス(いわゆる毒)の蔓延る狭い部屋は閉ざされ蓋をされている。そんな周縁者たちが反乱を起こして、内部に襲いかかる(襲撃する)。排除されていた菌やウィルス、そして毒(百万本の毒キノコ)とともに。そして、その毒を、女性性を武器にして媚を売り尻尾を振ってきた雌犬どもに食らわせるのだ。たとえば、そう古典落語「ちりとてちん(酢豆腐)」のように。世界の食通に愛される極めて貴重な珍味だとか何とかいっておけば、奴らは嬉々として毒(「キノコ」)を食すことであろう。そうして、奴らが「腹をかかえて死んでゆく」のを眺めやるのである。要するに、「腹をかかえて死んでゆく」のは襲撃してくる雌犬どもではなく、襲撃される側の内部の雌犬どもなのではないかと、近ごろの世の中の動きなどを見ていて、なんとなくそう考えるようになってきたということなのである。つまり、内側の腐敗や瓦解(さらには、空洞化や形骸化、そして低レヴェル化、低次元化、反知性化)がものすごい勢いで進んでいるということなのである。もしかすると、今のわたしたちに本当に必要なものとは、あの拡声器を使った「アーチスト」での遠藤ミチロウによるアジテーションなのではなかろうか。あれこそが、その襲撃の時を告げる合図となるものなのである。

「自分の音を鳴らせ」

恥ずかしながら、いまだに映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。」を見てはいない。いつか元町のスカラ座でやってくれたら、そこそこ近くだから歩いて見にゆこうかな、とか思っていたりする。しかし、そんな悠長なことばかりいっていては、いつまで経っても自分の音を鳴らせないままになってしまうのではなかろうか。はたして、わたしはいつになったら自分の音を鳴らせるようになるのであろうか。このまま、ずっと死ぬまで自分の音を鳴らせないままなのではなかろうか。少しだけでもいいから鳴らしたいのに。まったくもって、お恥ずかしいかぎりである。

「はるかかなたの遺伝子にもぐりこみ記憶の扉ノックする音」

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安藤優 Masaru Ando 「働き人がその報いを得るのは当然である」キリスト(ルカによる福音書 10:7)