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「これでよかった」にすれば、もう考えなくて済んだ。

「めでたしめでたし」で終わらせようとしていたのかもしれない。

あの人にも事情があった。
私にも学びがあった。
結果的には、これでよかったのかもしれない。

そう思えば、話はきれいに閉じる。
誰かを責めなくて済む。
もう掘り返さなくて済む。
痛いところに触れなくて済む。

でも最近、ふと思った。

それは本当に納得だったのか。
それとも、帳尻合わせだったのか。

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今日は、「これでよかった」と思うことで、見なくて済ませていたものについて書いてみます。

めでたしめでたし、にすると、たしかに安定する


私は、物事を丸く収めようとする癖がある。

嫌だったことも。
納得できなかったことも。
傷ついたことも。

最終的に、
「でも、あの人にも事情があったし」
「私にも学びがあったし」
「今となっては、必要な経験だったのかもしれない」
みたいに、きれいな形に整えようとする。

もちろん、本当にそう思えることもある。

時間が経って、自然に見え方が変わることもある。
あのときは苦しかったけれど、今の自分につながっていると感じることもある。

それはそれでいい。

でも、問題はそこではなくて。

まだ終わっていないのに。
まだ痛いのに。
まだ納得していないのに。

先に「これでよかったこと」にしてしまうことがある。

そうやって物語を閉じると、たしかに安定する。

話が終わる。
考えなくて済む。
誰かが安心する。
場が荒れない。
面倒なところに踏み込まなくて済む。

「あれはあれでよかったんだよね」と言えば、
それ以上、その話に触れなくて済む。

これは、かなり楽だ。

「これでよかった」は、正当化になることがある

有名な「酸っぱいブドウ」の話がある。

本当は欲しかったブドウに手が届かなかったキツネが、
「あのブドウはどうせ酸っぱい」と言って立ち去る話。

手に入らなかった痛みを、
「最初から欲しくなかった」に変えることで、自分を守る。

たぶん、それに近いことをしていたのだと思う。

本当は嫌だった。
本当は悔しかった。
本当は傷ついた。
本当は納得していなかった。

でも、それをそのまま持っているのは苦しい。

だから、
「これでよかった」
「必要な経験だった」
「私も成長できた」
「相手にも事情があった」
という言葉で、物語の帳尻を合わせる。

そうすると、少し楽になる。

自分が大人になったような気もする。
前向きに受け止められたような気もする。
もう終わったことにできたような気もする。

でも、正当化は、痛みを消してくれるわけではない。

ただ、その痛みを見なくて済む理由をくれるだけなのかもしれない。

飲み込んだものは、消えたわけではない

我慢は、一瞬は楽だ。

言わなければ揉めない。
見なければ傷つかない。
考えなければ、平気なふりができる。

「まあ、いいか」
「これでよかったんだ」
「もう終わったことだし」

そうやって飲み込むと、その場は静かになる。

でも、飲み込んだものは、なかったことにはならない。

言葉にならないまま、底の方に沈んでいく。
澱のように、少しずつ溜まっていく。

そして別の形で出てくる。

急に腹が立つ。
妙に冷たくなる。
人を信じにくくなる。
「どうせ言っても無駄」と思う。
似たような場面で、必要以上に反応してしまう。

そのとき私は、
「なんでこんなに反応しているんだろう」と思う。

でも、もしかしたらそれは、
その場だけの反応ではなかったのかもしれない。

過去に何度も飲み込んできたものが、
別の形で顔を出していただけなのかもしれない。

きれいに終わらせなくていい

きれいじゃないものを、ないことにしようとしていた。

憎しみ。
嫌悪。
許せなさ。
納得できなさ。
見たくない本音。

そういうものを持っている自分を、どこかでよくないと思っていたのかもしれない。

だから、きれいな話に変えようとした。

「でも、あの人にも事情があった」
「結果的には、これでよかった」
「私にも得るものがあった」

そう言えば、話は整う。

でも、整った話と、自分の中で本当に終わった話は違う。

事情を知ることと、許すことは別。
腑に落ちることと、美談にすることも別。

相手の事情が見えたからといって、
私の受け取り方まで、きれいに並べ直さなくていい。

嫌だったものは、嫌だった。
苦しかったものは、苦しかった。
まだ終わっていないものは、まだ終わっていない。

それを認めることは、
誰かを責め続けることではない。

ただ、自分の中で無理に帳尻を合わせない、ということだと思う。

終わっていないものを、終わったことにしなくていい

めでたしめでたしにすると、それ以降、考えなくて済む。

だから私は、そうしてきたのかもしれない。

考えなくて済むように。
触れなくて済むように。
痛いところを開かなくて済むように。

「これでよかった」と言って、話を閉じてきた。

でも、もう少しだけ、正直でいてもいいのかもしれない。

「これでよかった」と思ったとき、
一度だけ立ち止まってみてもいい。

これは本当に納得なのか。
それとも、これ以上見なくて済むように、
私が帳尻を合わせようとしているのか。

無理に憎まなくていい。
無理に許さなくてもいい。
無理に美談にしなくてもいい。

ただ、
まだ終わっていないものを、
終わったことにしなくていい。

たぶん私は、物語をきれいに終わらせるために、
自分の中に残っているものまで、急いで片づけようとしていた。

でも、片づいていないものは、
片づいていないままでいい。

それを見ないために、
もう自分の中で帳尻を合わせなくていい。
そんなことを思った。

よければ一言だけ。
いまのあなたにいちばん近かった一文、どれでしたか。
読むだけでももちろん大丈夫です。

▼合わせて読みたい

今回の記事では、
「これでよかった」と物語を閉じることで、
痛いところを見なくて済ませていたのかもしれない、という話を書きました。

近いところで、
相手の事情が見えたときに、
自分の感情まで変えなければいけない気がしてしまうことがあります。

理解できることと、
嫌だった気持ちが残ることは、別でいい。

そんな「事情」と「感情」の分け方について書いた記事です。

「事情はわかる」でも、気持ちまで変えなくていい。

もうひとつは、
相手の不安や空気を受け取りすぎて、
いつの間にか自分が処理する側になっていた、という話です。

飲み込む。
察する。
受け取る。
丸く収める。

その場は静かになるけれど、
本当に自分が持つものだったのかを見直す記事です。

受け取るのをやめたら、なぜか責められた気がした。

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◆ マガジン掲載お礼
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ご紹介くださり、ありがとうございました。
これからも、置いてよかったと思っていただける記事を、ひとつずつ書いていきます。


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