「事情はわかる」でも、気持ちまで変えなくていい。
相手の話を聞いて、
「ああ、そういうことだったのか」と事情がわかった瞬間、
さっきまで確かに嫌だったはずの気持ちを、
なぜか自分で引っ込めようとしていた。
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事情がわかると、気持ちを引っ込めなきゃいけない気がしていた
相手の話を聞いて、
「ああ、そういうことだったのか」と思うことがあります。
余裕がなかったのかもしれない。
その人なりの事情があったのかもしれない。
そうなるまでの流れも、なんとなく想像できる。
私はそうやって“事情を考えてしまう側”なので、
わかった瞬間に、よく「じゃあ仕方ないか」に進みそうになっていました。
本当は、嫌だった。
傷ついていた。
納得できていなかった。
でも、事情がわかった以上、
その気持ちは引っ込めないといけない気がしていたんです。
理解したんだから、
もう責めちゃいけない。
もう受け入れないといけない。
もう許す方向に行かないといけない。
そんな空気を、自分の中で勝手につくっていました。
理解は「わかること」、感情は「自分の中に起きたこと」
でも最近、やっと分かりました。
理解したことと、
そのとき自分の中に出てきた感情は、
別でよかったんだと。
理解は、相手の事情や背景が見えること。
「ああ、この人はこういう前提でそうしたんだな」と分かること。
一方で感情は、
その出来事に触れたとき、自分の中に実際に起きた反応です。
嫌だった。
悲しかった。
腹が立った。
もう同じ距離ではいたくないと思った。
それは、理解できたかどうかとは別に、
ちゃんと起きた“自分の本音”なんですよね。
だから、
事情はわかる。
でも、嫌だった。
この両方があっていい。
むしろ、その両方があるほうが自然なんだと思います。
理解したからって、すぐに気持ちまで変わらなくていい
たぶん今まで苦しかったのは、
「事情がわかったら、気持ちも変えなきゃいけない」と思っていたからです。
でも、気持ちはそんなに都合よく切り替わらない。
事情はわかる。
でも、まだ痛い。
理由は見える。
でも、まだ嫌だ。
相手の背景は想像できる。
でも、私はそれを心地よいとは思えない。
それでいいんだと思います。
理解したからって、
すぐに許したくならなくてもいい。
理解したからって、
「もう気にしていません」という顔をしなくていい。
理解したあとに残る
「私は嫌だった」
「これは受け入れたくない」
「少し距離を置きたい」
も、ちゃんと本物の気持ちです。
「わかる」が広すぎて、いろんな意味を背負いすぎていた
日本語の「わかる」って、広いなと思います。
事情がわかる。
理屈がわかる。
気持ちがわかる。
そうなるのもわかる。
このへんが、ひとつの言葉に乗りやすい。
だから、
「理解する」は本当は“事情が見える”くらいの意味でも、
いつのまにか
共感した
同意した
受け入れた
許した
ところまで、自分の中で話が進んでしまうことがある。
でも、そこは分けてよかったんですよね。
理解は理解で終わらせていい。
そのうえで、
私はどう感じたのか。
私はこれをどう扱いたいのか。
そこは、自分の側の話として残していい。
理解されたからといって、受け入れられたとは限らない
逆もまた然りで、
理解されたからといって、
受け入れられた、許された、というわけでもないんですよね。
「事情はわかったよ」
と
「それで大丈夫だよ」
は、別。
だからこそ、
理解という言葉に、許しや同意まで全部乗せなくていいんだと思います。
理解してほしい、の中には、
責めないでほしい、
悪者にしないでほしい、
受け入れてほしい、
そんな願いが混ざることもある。
でも本来、
理解は理解。
そこから先は、
それぞれの気持ちや境界線の話なんですよね。
気持ちまで、急いでいい人にしなくていい
私はずっと、
事情がわかったら、気持ちもきれいにしなきゃいけないような気がしていました。
でも、そうじゃなかった。
事情はわかる。
でも、嫌だった。
理解はできる。
でも、まだ気持ちは追いついていない。
その状態のままでも、いい。
理解できる自分を消さなくていいし、
同時に、出てきた感情までなかったことにしなくていい。
その両方を持ったまま、
「私はどうしたいか」を見ていけばよかったんだと思います。
もし今、
相手の事情はわかるのに、どうしても苦しい。
わかった以上、もう気にしちゃいけない気がする。
そんなふうに自分の感情を片づけようとしていたなら、
“事情がわかること”と
“自分の気持ち”を、
いったん分けてみてもいいのかもしれません。
わかることと、感じることは、別だから。
もしどこかひとつでも引っかかったら、スキだけ置いていってもらえると嬉しいです。
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▼合わせて読みたい
相手のことをわかろうとするほど、自分を責める方向に話が進んでしまうことがあります。しんどさと自己否定を分けて持ちたいときに、こちらもつながります。
「苦しいことより、苦しい自分をみじめにすることのほうが、しんどい。」
強い言葉や出来事に触れたあと、「傷ついた自分」と「相手の事情や言葉の中身」を分けて持ちたいときに。今回の話とかなり近いテーマです。
「傷ついたのは本当。でも、あの言葉まで本当とは限らない。」
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