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「自分で選んだのに、不安になる」そんな時にできること。

PCでnoteを読んでいたら、ある文章の前で手が止まった。

「選んだ方を、正解にしていく」

そんな言葉に近いものだったと思う。

その瞬間、以前、人から聞いた言葉を思い出した。
細かい内容は違うけれど、その言葉にも、同じような感覚があった。

正解を選ぶ、というより。
選んだあとに、その選択を正解にしていく。

ああ、私はこの感覚を、もう少しちゃんと言葉にしたかったのかもしれない。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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◆ 選ぶ前は、たぶんたくさん調べている

私は、正解を探しがちだ。

何かを選ぶ前に、いろいろ調べる。
比較する。
人の感想を読む。
メリットとデメリットを見る。
「こっちで本当にいいのかな」と考える。

それ自体が悪いとは思っていない。

調べることは、慎重さでもある。
雑に決めないための時間でもある。
自分なりに納得して選ぼうとする姿勢でもある。

ただ、問題はそのあとだった。

たくさん調べて、
考えて、
自分で「これ」と選んだはずなのに。

選んだあとで、また不安になる。

本当にこれでよかったのかな。
別の方がよかったんじゃないかな。
もっと調べたら、違う答えがあったんじゃないかな。
誰かに聞いたら、もっと正しい判断ができたんじゃないかな。

そうやって、選んだあとも答え合わせを続けたくなる。

◆ 自分で選んだからこそ、不安になる

人に決めてもらったことなら、どこかで言い訳ができる。

あの人がそう言ったから。
そうするしかなかったから。
流れでそうなったから。

でも、自分で選んだものは、少し怖い。

自分で選んだ。
だから、自分の責任になる。

そう思うほど、選んだあとに不安が出てくる。

間違っていなかったと確かめたい。
これでよかったと誰かに言ってほしい。
自分の選択が正しかった証拠を、あとから集めたくなる。

正解を探しているようで、
本当は、安心できる後ろ盾を探していたのかもしれない。

◆ 正解にしていく、は正当化ではない

ここで、少し気をつけたいことがある。

「選んだ方を正解にしていく」と言うと、
あとから理由をつけて、自分を納得させることのように聞こえるかもしれない。

でも、私が言いたいのは、それではない。

間違っていなかったことにする。
都合の悪いものを見ない。
不安や違和感をなかったことにする。

そういう正当化の話ではない。

むしろ、不安も見る。
違和感も見る。
うまくいかなかったところも見る。

そのうえで、

「私はこれを選んだ」
「では、ここからこの選択をどう扱っていくか」

と、自分の手にハンドルを戻すこと。

それが、私の言いたい「正解にしていく」、という感覚に近い。

◆ 選んだあとの関わり方で、意味は変わっていく

たとえば、何かの講座を受けると決めたとする。

申し込んだあとに、
「本当にこれでよかったのかな」と不安になることがある。

そのとき、また別の講座を調べ続けることもできる。
口コミを見続けることもできる。
もっとよさそうなものを探して、心を揺らし続けることもできる。

でも、そこで一度、

「私はこれを選んだ」
「なら、この中から何を受け取るか」
「どう使えば、自分のものになるか」

と考えてみる。

それは、自分に言い聞かせることではない。
選択を雑に放り出さないことだと思う。

仕事を引き受けると決めたときも、同じかもしれない。

引き受けたあとに、
「やっぱり断ればよかったかな」と思うことはある。

その不安を消す必要はない。
でも、不安だけにハンドルを渡さなくていい。

負担が大きいなら、調整する。
条件が曖昧なら、確認する。
次に同じことが起きたときの判断材料にする。

そうやって、その選択を自分の経験に変えていく。

行くと決めたこと。
行かないと決めたこと。
買うと決めたこと。
やめると決めたこと。
伝えると決めたこと。
黙っておくと決めたこと。

どれも、選んだ瞬間に正解かどうかが完全に決まるわけではない。

選んだあとの自分の関わり方によって、
「あれでよかった」が少しずつ育っていくのだと思う。

◆ 選んだ自分の後ろ盾になる

たぶん、私はずっと、
正解を選びたかった。

でも本当は、
後悔しない保証が欲しかったのかもしれない。

誰にも責められない選択。
あとから間違っていなかったと言える選択。
損をしない選択。
不安にならなくて済む選択。

そんなものを探していた。

けれど、選ぶ前に全部わかることは、あまりない。

だからこそ、
選んだあとに、自分が自分の後ろ盾になる。

「私はこれを選んだ」
「ここから、この選択をどう育てるかを見ていこう」

そう言えるだけで、
少しハンドルを握り直せる気がする。

正解は、選ぶ前にどこかに置いてあるものではなく、
選んだあとに、自分の関わり方の中で育っていくものなのかもしれない。

自分で選んだのに、不安になる。

そんな時は、
また答え合わせに戻る前に、一度だけ思い出したい。

この選択を、ここからどう扱っていくか。

その問いに戻ることが、
選んだ方を正解にしていく、ということなのだと思う。

もしどこかひとつでも引っかかったら、スキだけ置いていってもらえると嬉しいです。
また読みたいと思っていただけたら、フォローもぜひ。

▼合わせて読みたい

今回の記事では、
自分で選んだあとに不安になったとき、
もう一度「答え合わせ」に戻るのではなく、
その選択をどう扱っていくかについて書きました。

「どうしたらいい?」
「何が正解なんだろう」

そう思うとき、私たちは答えだけではなく、
安心材料や判断基準を探していることがあるのかもしれません。

こちらの記事では、
「答えがほしい」の中身を少し分けてみました。

「どうしよう」って、私は何を探しているんだろう。

もうひとつ、こちらも近い記事です。

選んだあとに不安になると、
「これでよかったんだ」と自分に言い聞かせたくなることがあります。

でも、納得は無理に作るものではなく、
いま自分が何を納得したがっているのかに気づくところから始まるのかもしれません。

「納得できない」そんな時、心の中で起こっていること

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記事をご紹介いただいたマガジンを、気づいたものから掲載しています。
見つけるたびに、嬉しく受け取っています。




ご紹介くださり、ありがとうございました。
これからも、置いてよかったと思っていただける記事を、ひとつずつ書いていきます。


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