「え、それって普通なの?」——違和感は“自分だけの当たり前”が見える瞬間
同じ出来事でも、ざわつく人と、全然気にならない人がいる。
「そこ、そんなに気になるんだ?」と言われて、逆に戸惑うこともあります。
最近、私はこう思うようになりました。
違和感って、直すべき欠陥でも、神経質だからでもなくて。
自分の中の「大事にしたい当たり前」が表に出てきた合図なんじゃないかって。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。スキやコメント、フォロー、本当に嬉しいです。ひとつひとつ、大切に読んでいます。…今日もここに置いていきます。
当たり前が違うと、違和感も違う
違和感って、自分の当たり前と、目の前の現実がズレた瞬間に出ることが多い気がします。
だから同じ場面でも、違和感が出る人と出ない人がいる。そこに優劣はなくて、単に当たり前が違うだけ。
そしてもうひとつ。
違和感って、たぶん——“丁寧に扱ってほしい”の形が、自分の中にあるってことでもあるんだと思う。
食事の終わり際に出る「余韻」の違和感
誰かと食事をしていて、いい時間だったはずなのに、終わり際に空気が変わることがあります。
相手が食べ終えたお皿をテーブルの端へ押しやったとき。まだ食べている途中なのに、汚れたナプキンがその皿の上に置かれたとき。
「え、これで終わりなの?」
相手に悪気はないかもしれない。合理的に片づけたいだけかもしれない。
でも私の中には、余韻や場の景色を、最後まで一緒に扱いたいみたいな当たり前がある。
小さな動作で、「時間の閉じ方」が違うと気づいてしまうんですよね。
寝る場所に置かれた瞬間の「不快」の違和感
自分の部屋で、友人が買ってきたコンビニ袋をベッドの上にポンと置いた瞬間。
話の内容より先に、視線が袋の底に向く。思考が止まる。
私の当たり前は、外に触れた可能性のあるものは、眠る場所に置かないという感覚です。
相手にとっては「ただの荷物置き場」。
どっちが正しいかじゃなくて、何を清潔と感じ、何を不快と感じるか——自分の輪郭が浮きます。
“役割”の陰に隠れる「人としての扱い」の違和感
タクシーを降りるとき。コンビニで会計を済ませるとき。
こちらが「ありがとうございました」と言っている横で、連れがスマホを見たまま、店員さんを一度も見ずに去っていくのを見たとき。胸の奥に、寂しさみたいなものが走る。
私の中には、相手がどんな仕事をしていても、人として挨拶を交わしたいという当たり前がある。
たぶん私は、「用事」より「人」を先に置きたい。そういう当たり前が、ここで出るんだと思う。
違和感を“自分の味方”にする3ステップ
外側の出来事の善悪を判定する前に、自分の中に起きた反応を拾う。私がやっているのはこれだけです。
①「違和感が出た」と実況する
②「どの瞬間?」を一点に絞る(皿/袋/挨拶のない横顔)
③「私の当たり前」を一言で置く
「余韻を最後まで共有したかった」
「眠る場所の清潔は守りたかった」
「人として向き合いたかった」
言葉にならない日は、「なんとなく嫌だった」でも十分。
さらに効くのが、3行メモ。
【出来事】/【引っかかった瞬間】/【私の当たり前】
違和感は「雑に扱わない」の入口になる
違和感は派手じゃない。だから「気にしすぎかな」で捨てやすい。
でも私が引っかかるのって、結局いつも**“扱い方”**なんですよね。
ものでも、場でも、人でも。
「そこを雑に扱われると、私の中の何かがざわつく」
それって裏返すと、私はそこを丁寧に扱いたい人なんだと思う。
だから私は、違和感を拾います。
自分を形作るパズルのピースのような、当たり前を一枚だけ確認する。
その一枚があるだけで、次の選択が少しだけ自分寄りになる。
もし今日、心に何かが引っかかったら。
それをなかったことにする前に、まずは「どの瞬間だった?」だけ拾ってみてください。
それだけで、少し進める自分に戻れることがあります。
もしどこかひとつでも引っかかったら、スキだけ置いていってもらえると嬉しいです。
また読みたいと思っていただけたら、フォローもぜひ。
よかったら、違和感の“正体”をもう一段だけ深掘りする話も置いておきます。
「この違和感、どこから?」前提が見えると、俯瞰できる話
「これが普通」が壊れた日、快適が来た。
妥協しなかったときの、気持ちの戻り方の話
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