「休んでいていいのかな」では、休んだ気がしない
39.7℃まで熱が出た。
さすがに、そのときは本当に何もできなかった。
記事を書くどころか、起きていること自体がしんどい。
置き所のない身体を、ただ横たえているだけで精一杯だった。
「休んだ方がいい」と判断して休んだというより、
身体の方から強制的に止められた
という感じに近かったのかもしれない。
それから少しずつ、身体のしんどさが引き、少しなら動けるようになってきた頃だった。
「スキ、返さなきゃ」
「コメントも返さなきゃ」
「そろそろ記事を書かなきゃ」
「早くいつもの状態に戻らなきゃ」
そんな言葉が、次々と頭に浮かんできた。
まだ目が回る。少し動いただけでも疲れる。
身体は、まだいつもの状態には戻っていない。
なのに、
頭の中の「動かなきゃ」だけが、先に復帰していた。
身体が回復したから自然と動きたくなった、というより、
少し動ける余地ができた瞬間に、
「じゃあ、そろそろやれるよね」
と、頭の中の何かが急かしてくる感じだった。
なんだろう、この焦り。
久しぶりの記事になりました。
今日は、その休んでいた間に見えてきたことを書いてみようと思います。
私は今、何をしているんだろう
「何かしなきゃ」が出てきたとき、ふと思った。
私は今、何をしているんだろう。
答えは、ものすごく単純だった。
休んでいる。
回復するために、休んでいる。
でも、それまでの私は、
「まだ通常状態じゃない」
「いつものように動けない」
という方ばかりを見ていた気がする。
つまり、
“今していること”ではなく、“今できていないこと”を見ていた。
記事を書いていない。スキを返していない。コメントに返信していない。
そうやって並べると、自分が「欠けている状態」に見えてくる。
でも、
「今は休養している」
と捉えてみると、少しだけ見え方が変わった。
何もしていないのではない。
今は、身体に必要な「休む時間」なのだ。
そう考えると、一瞬だけ「動かなきゃ」が静かになった。
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休むと罪悪感が出る、だけではなかった
それでも、しばらくするとまた、
「そろそろ何かした方がいいんじゃない?」
という感じが出てくる。
休んでいるだけなのに、やるべきことを放置しているようで、ほんのり後ろめたい。
私はこれまで、こういう状態をかなり雑に、
「休むことに罪悪感がある」
と捉えていた。
休む。
↓
罪悪感が出る。
そんな二段階だと思っていた。
でも、今回もう少し丁寧に眺めてみると、その間に一段あるらしい。
休んでいる。
↓
「休んでいる自分は、あまりよくない」と判断する。
↓
後ろめたくなる。
↓
その感じを消したくなって、何かしようとする。
どうやら私は、
休んだから罪悪感を持ったというより、
先に「休んでいる自分はよくない」と判定し、その判定に反応して罪悪感を持っていた
のかもしれない。
だとしたら、「罪悪感を感じなくていいよ」と言うだけでは少し違う。
その手前で私はすでに、休んでいる自分を裁いている。
これは、少し大きな違いだった。
私の中には、合格基準があるらしい
では私は、何をもって「よくない」と判定しているんだろう。
考えてみると、私の中にはこんな基準があるようだった。
動いている。
役に立っている。
誰かに何かを返している。
何かを生み出している。
そういう私は、たぶん「OK」。
反対に、
休んでいる。
何もしていない。
何も生み出していない。
誰の役にも立っていない。
そういう状態になると、落ち着かなくなる。
何かひとつでもやれば、少し安心する。
記事を書いた。返信した。家のことをした。
そうすると、「何もしていない」という場所から少し離れられる。
でも、ここで疑問が出てきた。
じゃあ、どれだけ役に立ったら合格なんだろう。
記事を書けばいい?
コメントに返信すればいい?
どこまでやったら、「はい、これで十分です」となるんだろう。
考えてみても、その地点が見つからなかった。
ひとつ終われば、また次が出てくる。
まだできる。
もう少しできる。
これもやっておいた方がいい。
そうやっている限り、
合格するための基準はあるのに、合格地点だけが存在しない。
ずっと試験を受けているのに、満点が何点なのかも、いつ終わるのかも知らないような感じだった。
自分でも少し呆然とした。
私は、誰に何を返そうとしているんだろう
AIと壁打ちをしているうちに、別の問いが出てきた。
私は、誰に何を返そうとしているんだろう。
この後ろめたさは、少し「借金」に似ている気がした。
何かを返していないと落ち着かない。
受け取ったものには返さなきゃいけない。
何も返さない時間が長いほど、負債が増えていくような感じがする。
でも、考えてみれば奇妙だった。
そもそも私は、誰に何を借りているつもりなんだろう。
何を返したら、返済完了なんだろう。
その返済条件は、誰が決めたんだろう。
私はいったい何に対して、こんなにずっと後ろめたいんだろう。
返済しようとしている感覚はある。
でも、元の借金はよく分からない。
それなのに、
「まだ足りない」
という感覚だけは残っている。
ここまで来ると、まだうまく答えられない。
「何もしなくても価値がある」という言葉なら、私は知っている。
意味も分かる。人に向かってなら言える。
病気で寝ている人を見て、
「何もしていないから価値がない」
なんて思わない。
でも、
その基準を自分にも同じように適用できるか。
となると、どうも別の話らしい。
頭では分かっている。
でも、自分が本当に何もしていない状態で、
「それでも私はここにいて大丈夫だ」
と感じられるかというと、感覚はまだそこまで追いついていない。
「今回は39.7℃だったから」で終わらせない
もうひとつ、気をつけたいことがある。
今回休めたのは、
39.7℃も熱があったから。
そういう説明にしてしまうことだ。
もちろん、実際にかなり具合は悪かった。
けれど、
「これだけ熱があったんだから、今回は特別」
としてしまえば、元のルールは何も変わらない。
普段は役に立たなきゃいけない。
普段は動かなきゃいけない。
ただし、39.7℃なら免除。
というルールになるだけだ。
そうすると今度は、
「どのくらい具合が悪ければ、休んでも許されるんだろう」
という別の審査が始まる。
熱があるなら休んでいい。目が回るなら休んでいい。
では、少し動けるようになったら?
そこでまた、
「もうできるよね」
が始まる。
だから今回は、
「病気だったから特別に休めた」だけでは終わらせたくない。
今は、答えを出すより観察してみたい
だから今回は、
「なぜ私はこうなったのか」
を突き止めるところまではやらなくていいかなと思っている。
この基準をどこで身につけたのか。誰の影響なのか。
探せば、何か見つかるのかもしれない。
でも今は、それをきれいに説明することが目的ではない。
私が欲しいのはたぶん、
何もしなくても、ここにいて大丈夫だった。
という実感の方だから。
それは、
「何もしなくても価値があります」
と言い聞かせるだけでは、手に入らないのかもしれない。
むしろ、
実際に何もしない時間を過ごして、それでも一日が終わった。
誰かとの関係もなくならなかった。
そのとき自分の中で何が起きたのかを見る。
そういう経験の方が、今の私には必要なのかもしれない。
だから、少し実験してみようと思う。
休む。
返せないものは、返さない。
できないことは、できないままにしておく。
「まだ何かできるんじゃない?」
という声が出てきても、すぐに従わずに少し見てみる。
そのとき、本当に何が起きるんだろう。
本当に誰かから責められるんだろうか。
それとも、
誰にも何も言われていないのに、
私が先に自分を責め始めるんだろうか。
今のところ、答えはまだ分からない。
「何もしなくても大丈夫だった」
と言えるところまで来たわけではない。
だから今は、
「何もしなかったら、実際には何が起きるのか」
そこを、しばらく観察してみようと思っている。
もし何かひとつでも心に残るところがあったら、スキやフォローで受け取ったことを教えてもらえたら嬉しいです。
▼あわせて読みたい
「疲れないようにしよう」なのに、「疲れるまでやらなきゃ」と思っていた
疲れるのは怖いのに、疲れていないと「まだできたんじゃない?」と思ってしまう。
今回見えてきた「休んでいる自分をよくないと判定する感覚」とも、かなり近いところにある話です。
「役に立たないといけない」と思い込んで、自分を削ってきた人へ
今回、「動いている・役に立っている私はOK」という、自分の中の基準が見えてきました。
こちらは以前、その「役に立たないといけない」という感覚そのものを見ていた記事です。今読み返すと、今回の「私は誰に何を返そうとしているんだろう」という問いにもつながっている気がします。
◆ マガジン掲載お礼
記事をご紹介いただいたマガジンを、気づいたものから掲載しています。
見つけるたびに、嬉しく受け取っています。
ご紹介くださり、ありがとうございました。
これからも、置いてよかったと思っていただける記事を、ひとつずつ書いていきます。
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