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「疲れないようにしよう」なのに、「疲れるまでやらなきゃ」と思っていた


ものすごく活動量の多い人を見ることがある。

あれもやっている。
これもやっている。

一人なのに、二人か三人いるんじゃないかと思うくらい、いろいろなことをしている。

そういう人を見るたびに、

「よく疲れないな」

と思っていた。

もちろん、本当のところはわからない。

見えないところでは休んでいるかもしれないし、体力にも個人差がある。

ただ、その人を見ながら、ふと自分の中に別のものが見えた。

私はずいぶん、

「疲れること」

を気にしている。

疲れたくない。

疲れるのが怖い。

できれば、疲れないようにしたいと思っている。

なのに。

少し考えてみると、私は一日の終わりにあまり疲れていないと、どこか落ち着かなかった。

疲れるのは怖い。
なのに、疲れていないと罪悪感がある。

なんだ、この矛盾は。

元気が残っていると、「これでいいの?」と思う

1日を終える。

それで、まだ元気だったとする。

本当なら、

「今日は余力があるな」

でいいはずだ。

でも私の中には、どうも、

「手を抜いたのかな私」

「こんなに元気が残っていていいのかな?」

「今日は、いい加減にやっていたのかな?」

という声が出てくることがある。

疲れていない。

それだけなのに、

何か悪いような気がする。

逆に、くたくたになっていると、

「今日はよくやった」

と妙に納得しやすい。

考えてみたら、不思議な話だ。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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ボロボロになるところまでやるのが、美しい

もう少し見ていくと、私の中には昔から、

自分を削ってでも人のために尽くすのは美しい

という感覚があったように思う。

仕事とは、一日の終わりにはくたくたになるもの。

人のために何かするなら、自分のことは後回しにする。

できるところまでではなく、できなくなるところまでやる。

それくらいして初めて、

「ちゃんとやった」

ことになる。

どこで覚えたのかはわからない。

誰か一人に教えられたというより、いろいろなところから少しずつ染み込んできたものなのかもしれない。

自己犠牲。

献身。

身を粉にして働く。

そんなものに、どこか「美しい」という色がついていた。

だから私は、

ボロボロにならずに一日を終えることを、どこかで悪いことのように感じていたのかもしれない。

「頑張った証拠」って、なんだろう

ここまで考えていて、

「頑張った証拠」

という言葉が脳内でひっかかった。

なんだか、昔どこかで聞いたことがあるような響きだ。

でも、改めて考えると少し変だ。

頑張ったことに、証拠って必要なんだろうか。

疲れていること。

寝る間も惜しんだこと。

自分の時間を削ったこと。

立ち上がれないくらい消耗したこと。

そういうものを差し出さなければ、

「本当に頑張ったんです」

と認めてもらえないのだろうか。

そもそも、誰に。

そんなことを考えたら、

「疲れ」が、ずいぶん別のものに見えてきた。

疲れはただ、疲れなのかもしれない。

体や頭を使えば疲れることもある。

楽しいことをしていても、もちろん疲れることはある。

ただ、

疲れたから立派なのでもなければ、疲れていないから足りないわけでもない。

それだけのことなのかもしれない。

疲れなくてもいい

私はこれまで、疲れることをかなり恐れていた。

「また疲れてしまうかもしれない」

「これをやったら、しんどくなるかもしれない」

そんなふうに、疲労を避けようとしていた。

けれど、その一方で、

疲れていない自分には、

「もっとできたんじゃない?」

と迫っていた。

疲れたくないのに、

疲れるところまで自分を使おうとする。

ずいぶん矛盾することを、自分にさせていたのだと思う。

でも、もしかしたら、

疲れないように、ずっと気をつけていた。
なのに、いざ疲れていないと、今度はそんな自分を責める。

だったら私は、どちらに転んでも自分を許していなかったことになる。

何かをしたあとに、まだ元気でもいい。

一日の終わりに、

「まだ立てるな」

「まだ頭が動くな」

「まだ少し余裕があるな」

と思ってもいい。

それは、何かが足りなかった証拠ではない。

手を抜いた証拠でもない。

ましてや、誰かに申し訳なく思うようなことでもない。

私はたぶん、

「疲れないようにしよう」

と思いながら、

疲れていない自分を、許していなかった。

そのことに、ようやく気づいた。

疲れるのは怖い。

なのに、疲れていないと罪悪感がある。

そんな自分の中の矛盾を見つけたら、

少しだけ、

「ボロボロにならなくてもいいのか」

と思えた。

一日の終わりに元気が残っていても、それを悪いことにしなくていい。


今は、そのくらいのところに立っている。

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▼あわせて読みたい

「これさえ終われば」休むために、私は全力で動いていた

休む時間をつくりたいのに、そのために目の前のことを全部片づけようとして、かえって全力で動いていた。
今回書いた「疲れていないと、どこか悪いような気がする」という感覚にも、どこかつながっていたのかもしれません。

「ちゃんとやっているのに、満たされない」の正体。

やるべきこと、誰かへの対応、役割を果たすことを先にしているうちに、自分のことが後回しになっていた。
「ちゃんとする」ために自分をどこまで差し出すのか。今回の「ボロボロになるまでやることを、美しいと思っていた」という話ともつながる一本です。

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ご紹介くださり、ありがとうございました。
これからも、置いてよかったと思っていただける記事を、ひとつずつ書いていきます。


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