アウトプットはインプットの「内数」ではない #223
議論をしていると、時々、論点が大きくズレてしまう人に出会います。
話をよく聞いてみると、単純に前提となる知識が不足していることが多いものです。
残念ながら、何事も「知らなければできない」。
最低限の知識を持つことは、議論に参加するための条件だと言えるでしょう。
一方で、まったく逆のタイプの人もいます。
いわゆる「ノウハウコレクター」と呼ばれる人です。
積極的にセミナーに参加し、本も何冊も読んでいます。知識量は決して少なくありません。
しかし、不思議なことに、実務の場面ではその知識が活かされない。
議論には参加できるのですが、どこか説得力に欠けてしまうのです。

■ 学びには二つの入口がある
一般的には、インプットとアウトプットは、
インプット(学び) → アウトプット(実践)
という順番で成り立つと考えられます。
つまり、アウトプットはインプットの結果として生まれるものであり、ある意味では「インプットの内数」と捉えることもできます。
しかし、私はあえてこう言いたいのです。
“アウトプットは、インプットの内数ではない。”
むしろ、両者は別物として捉えるべきだと思っています。
禅の思想では、学びには二つの入り方があるとされています。
• 理入(理論から入る)
• 行入(行動から入る)
理入とは、知識や理屈から学ぶ方法。
行入とは、実際の行動や経験から学ぶ方法です。
多くの人は、理入ばかりを重視してしまいます。
つまり、本を読み、セミナーに参加し、知識を集めることです。
しかし、本当に身につく学びは、
行動を通じて得られる経験の中にあります。
■ スポーツに例えると分かりやすい
例えばスポーツを考えてみてください。
強くなるためには、もちろん練習が必要です。
基本を身につけ、さまざまな技術やノウハウを習得します。
しかし、練習だけで強くなるわけではありません。
場合によっては、
10時間の練習より、1時間の実戦の方が価値が高い。
そんなことも少なくありません。
特に価値があるのは、自分より実力のある相手との対戦です。
人は、自分の実力を超える負荷がかかったときにこそ成長するとも言われています。
現状の能力を上回る経験の積み重ねが、実力を高めていくからです。
実戦でなければ、自分の実力不足を本当の意味で自覚することはできません。
■ 学び続けなければ退いていく
福沢諭吉の言葉に、次のようなものがあります。
“進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。 ”
変化の激しい現代においては、止まっているつもりでも、実際には後退していることが少なくありません。
だからこそ、学び続けることが重要です。
しかし、その学びは、
インプットだけでは不十分です。
■ 成長に必要なのはアウトプット量
知識を学ぶことは大切です。
しかし、それだけでは不十分です。
本当に成長する人は、
学んだ以上の量を実践する人です。
インプットしたノウハウを試し、失敗し、修正し、また試す。
このサイクルの中で、知識は「使える力」に変わっていきます。
だからこそ私は、こう考えています。
成長するためには、インプットの数倍のアウトプットをする意識が必要だ。
もちろん、学ぶことは大切です。
しかし、それ以上に大切なのは「使うこと」です。
極論ですが、アウトプットは、インプットより先だとすらいいたいところです。
アウトプットしてこそ、自身の未熟さを自覚し、持ち得た知識は初めて価値を持つのだと思います。
