知らないから学び できないから習う “七転八起” #03
何事も、最初から上手くできる人はいません。
知らないことがあり、分からないことがあり、失敗を重ねる。
その過程で人は学び、少しずつできることを増やしていきます。
だからこそ、人には「学ぶこと」が必要であり、同時に「教え合うこと」も必要なのだと思います。
自分一人の経験だけでは、学べることに限りがあります。
だから、先人から学ぶ。誰かの失敗から学ぶ。
誰かの成功から学ぶ。そして、自分自身が経験したことを、次の誰かに伝えていく。
学びとは、自分のためだけにあるものではないのかもしれません。
そんなことを考えていると、私はふと、達磨大師の「二入四行論」にある「理入」と「行入」という考え方を思い出します。
■ 「理入」と「行入」
達磨大師は、禅宗の祖師として知られる人物です。
達磨に仮託された教えとして伝わる『二入四行論』では、仏道に入る方法を大きく「理入」と「行入」の二つに分けています。
「理入」とは、教えを学び、道理を理解すること。
「行入」とは、理解したことを実際の修行・実践に移すことです。
もちろん、仏教における「理入」「行入」を、現代の教育論にそのまま当てはめることはできません。
しかし、現代の学びという視点から見ると、非常に示唆的です。
私たちの学習にも、「知る・理解する」、そして、「やってみる・実践する」という二つの側面があります。
現代的な言葉で考えれば、「理入」は知識や理論に、「行入」は経験や実践知に重ねて考えることができます。
大切なのは、どちらか一方ではありません。
理解したことを実践し、実践した結果から、さらに理解を深める。
その往復によって、知識は少しずつ自分のものになってい行く、いわゆる、ナレッジマネジメントなのかと思います。
■ 「分かっているのに、できない」という壁
理屈を頭で理解していても、それがそのまま行動につながるとは限りません。
「やったほうがいいことは分かっている」
「正しい方法も知っている」
「必要性も理解している」
それでも、なかなか行動できない。
私たちは、そんな経験を誰もが持っているのではないかと思います。
人が何かを身につけていく過程を説明する考え方として、「学習の5段階」と呼ばれるモデルがあります。
1段階:知らないからできない(無意識的無能)
最初は、「知らないから、できない」という状態です。
何を知らないのかさえ分からない。
2段階:分かっちゃいるけどできない(意識的無能)
そこから知識を得ると、「分かっている。でも、できない」という段階に入ります。
ここが、学びにおける大きな壁です。
3段階:がんばればできる(意識的有能)
そして、繰り返し練習することで、「意識すれば、できる」という段階に進みます。
4段階:あたりまえにできる(無意識的有能)
さらに経験を積むと、「意識しなくても、できる」状態へと近づいていきます。
最初は意識していたことが、いつの間にか自然にできるようになる。
知識と経験が結びつき、身体感覚として身についていく段階です。
5段階:無意識的有能を教えられる(意識的有能)
そして、その先には、「自分が自然にできることを、人に教えられる」という段階があります。
ここが、とても重要だと思います。
自分ができることと、人に教えられることは同じではありません。
自分では自然にできていることを、改めて言葉にしてみる。
「なぜ、そうするのか」
「どこに注意するのか」
「どこで失敗しやすいのか」
それを説明できて初めて、自分の経験が他者の学びにもつながっていきます。
学ぶことの先には教えることがあり、教えることで自分自身の理解もさらに深くなると言えます。

■ 学びを妨げる「現状維持バイアス」
「分かっているのに、できない」という状態には、人間の心理である「現状維持バイアス」と呼ばれる傾向も関係しています。
人は、変化によって得られる利益だけではなく、変化に伴う不安や負担にも目を向けます。
そのため、今の状態を維持しようとする方向に傾きやすいのです。
だからこそ、学びにおいて大切なのは、「分かった」で終わらせないことです。
小さくても構わないし、失敗しても構わないので、まず、やってみることです。
その結果から考えて、もう一度やってみる。
この繰り返しによって、「分かっているだけ」の状態から、「できる」に向かって進んでいきます。
■ 教える側にも「学習段階」という視点を
この考え方は、学ぶ側だけではなく、教える側にとっても重要です。
なぜなら、人によって現在地が違うからです。
自分にとっては当たり前のことが、相手にとっては初めて知ることかもしれません。
反対に、相手にとってはすでに身についていることを、いつまでも繰り返し説明してしまうこともあります。
教育で大切なのは、何を教えるかだけではなく、「相手が今、どこにいるのか」を理解することです。
そして、もう一つ大切なのが、相手の個性を尊重することです。
「角を矯めて牛を殺す」ということわざがあります。
曲がった牛の角を直そうとするあまり、牛そのものを死なせてしまう。
つまり、小さな欠点を直そうとして、全体を壊してしまうことを戒める言葉です。
教育にも、同じことが起こり得ます。
もちろん、基本を教えることは大切です。
しかし、基本から外れているものを、すべて「間違い」として矯正すればいいわけではありません。
基本を身につけたからこそ、その先に個性が生まれる。
基本を理解したからこそ、応用が生まれる。
教育とは、型にはめることではなく、その人が自分の力で型を超えていけるようにすることでもあるのだと思います。
■ 学び続けるということ
現代は、変化のスピードが速い時代です。
昨日まで価値があった知識が、今日は新しい技術によって更新されます。
一度身につけた知識だけで、長い間生きていけるとは限りません。
だからこそ、「リスキリング」という言葉が注目されるようになりました。
しかし、学び直しは、何も特別なことではないのだと思います。
分からないことがあれば、学ぶ。
知らないことがあれば、知る。
できないことがあれば、やってみる。
失敗したら、また考える。
できるようになったら、その経験を誰かに伝える。
その繰り返しです。
そして、自分一人で経験できることには限りがあります。
だからこそ、誰かの経験を自分事として捉える。
「自分だったらどうするだろう」
「自分にも同じことが起きたら、どう考えるだろう」
そうやって他者の経験を、自分の学びに変えていくのだと思います。
そして、自分が経験したことは、また誰かの学びにしていく。
学ぶことと、教えることの「理論(理入)」と「実践(行入)」です。
この二つを行き来しながら、人は少しずつ成長していくのだと思います。
転んでも、立ち上がる。
分からなければ、学ぶ。
できなければ、やってみる。
できるようになったら、誰かに伝える。
そう考えると、学び続ける人生そのものが、「七転び八起き」なのかもしれません。
今日も一つ学び、昨日より一歩前へ進む。
そしていつか、自分の経験が誰かの一歩を支えられるように、学ぶことを、やめない人でありたいと思います。
