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黒羽遊園地の秘密|第3話|処刑場へ続くメリーゴーランド

 アルバイトを始めて一週間経った。
黒羽遊園地に向かうバスの中、小森谷大翔は隣の席でスマホゲームに興じている乾海斗に、声を潜めて話し掛けた。
「なあ海斗、お前、仕事中に何か変なものとか見てないか?」
「変なもの? 何も見てないけど…例えば、どんなもんだよ」
「大きな裁ち鋏で襲い掛かるピエロとか、遊園地を覆いつくす霧とか…」
「おいおい、物騒だな。ホラーゲームみたいだ。園長が脅すから錯覚したんじゃないのか?」
「……そうかもな」
大翔は小さくため息をついて窓の外に目をやった。冷房の効いた車内から見る夏の夕暮れは、鮮やかすぎるオレンジ色で、どこか現実味を欠いていた。
アルバイト初日以来、早紀には会っていない。彼女は本当に存在していたのか…。
大翔は、早紀が掴んだ手の感触と、可笑しそうに笑う顔を思い出していた。こんなに鮮やかに思い出せるのに、あれが幻覚だったとは考えられない。
「それにしても、俺、その、早紀さん? に一度も会ったことないんだけど。 お前が綺麗綺麗って言うから、会いたいんだけどな」
海斗はスマホゲームから顔を上げると、大翔をからかった。
「そ、そんなに綺麗って何度も言ってないだろ?」
「言ったよ。お前が女の子のこと話すなんて初めてじゃないか? 宇佐美が聞いたらショック受けるだろうな」
宇佐美めるは、二人の大学の同級生だ。自称オカルト系ユーチューバーで、何故か大翔にまとわりついてくる。しかし、それは好意とは少し違う気がすると大翔は思っていた。
「…案外、平気なんじゃないかな」

 河合は更衣室で作業着に着替え、この園で最も古いアトラクションの一つであるメリーゴーランド「銀河の馬車」へと向かっていた。
彼は、更衣室を出たところで会った森田園長のことを思い出していた。河合が一礼して横を通り過ぎようとした時、森田が彼の肩に冷たい手を置いて言ったのだ。
「あそこの馬たちはね、とても寂しがり屋なんだ。連れて行かれないように気を付けたまえ」
「…」
河合が少し引き攣ったような顔で森田を見ると、森田の口元が、三日月のように歪んだ。
「冗談ですよ。今日もよろしくお願いしますね」
「もう、止めて下さいよ」
河合は笑いながらその場を後にしたのだが、森田の言葉が妙に心に引っ掛かってしまったのだ。
(バカバカしい…、ただの冗談を気にするなんて)

 河合はラグビー部に所属している。体格が良く、一見すると強面で、後輩からは「頼れる兄貴分」として慕われるタイプだ。しかし、その内面は外見とは正反対だった。
彼は極度のロマンチストで、可愛いものが大好きだった。本当は海斗のような愛嬌のある容姿に憧れている。幼い頃から、本心をさらけ出す前に周囲から「男らしさ」を期待され、そのイメージを裏切らないように振る舞い続けてきた。不満のない人生ではあったが、常に自分を偽っているような後ろめたさが胸のどこかにあった。だからこそ、黒羽遊園地のアルバイト募集を見つけた時は、人目を気にせずメルヘンな世界に浸れると心が躍り、迷わず応募したのだ。
目的地であるメリーゴーランドが近づくにつれ、河合の厳つい顔には、隠しきれない柔らかな笑みが浮かんでいた。

 河合がメリーゴーランドに到着すると、整備士の佐藤じいさんが、油の染みた軍手で軽く手を上げた。
「おう、来たか。まずは可動部の油差しから頼むよ」
「了解です」
河合は真鍮の懐中電灯で木馬たちを照らす。昼間は子供たちの笑顔を乗せて回る華やかな回転木馬も、夜の闇の中では、剥き出しの歯が生々しい獣の群れのように見えた。河合は慣れた手つきで整備用のハッチを開け、古い歯車にオイルを注していく。その時だった。
「ヒヒーン……!」
静寂を切り裂いて、馬の嘶きが聞こえた。
「うわっ!?」
河合は飛び退き、周囲を見渡した。しかし、そこには止まったままの木馬がいるだけだ。
「……幻聴か。園長があんな怪談じみたこと言うからだ」
河合は苦笑いし、作業を再開しようとした。だが、その背後で「ガコン」と重厚な金属音が響く。振り返ると、動くはずのないメリーゴーランドが、ゆっくりと回転を始めていた。
「佐藤さん!?」
河合が驚いて佐藤じいさんを大声で呼んだ。
「おい、誰だ! 操作盤をいじってるのは!」
佐藤じいさんが慌てて操作室へ駆け寄ったが、中には誰もいない。それどころか、レバーは「停止」の位置にある。にもかかわらず、回転の速度はみるみる上がっていく。しかもその回転は、本来とは逆の方向に。
「おい、冗談だろ……!?」
逆走するメリーゴーランドから、聞いたこともないような不協和音のオルゴールが流れ出す。その音色は、次第に歪んだ叫び声のように変化していった。
 
 突然、目の前の景色が歪んだ。霧が渦を巻き、メリーゴーランドの周囲だけが、別の空間へと塗り替えられていく。
木製の馬たちは、みるみるうちに本物の肉と毛並みを持ち、鼻息を荒くする生きた馬へと変貌した。その背には、豪華な貴族の衣装を纏った「骸骨」たちが跨っている。
「な、なんだこれ……!?」
河合の顔が恐怖と驚愕で、色を失った。逃げようとした彼の足元に、一筋の縄が蛇のように伸びてきた。
「うわあぁぁ!」
縄が河合の首に巻き付く。一頭の黒馬に乗った骸骨が、冷酷な眼差し(そこには眼球すらないが)を向け、馬を急加速させた。
河合の体は宙を舞い、地面を激しく引きずられる。
「助けてくれ! 誰か!」
河合は首に巻きつく縄を両手で掴み、必死に解こうと藻掻く。

 その頃、「ファンタジー・エリア」の巡回と清掃をしていた大翔は、遠くから聞こえる異常な音に気づいた。
「この音……メリーゴーランドか?」
大翔が駆けつけると、そこには異様な光景が広がっていた。猛スピードで逆回転する遊具。その周囲には、現実のものとは思えない紫色の発光する霧が立ち込め、メリーゴーランドの内側が見えなくなっていた。
傍には、呆然と立ち尽くす整備士の佐藤じいさんの姿があった。
「佐藤さん! 何があったんですか!?」
「小森谷君か! メリーゴーランドが勝手に逆走して…河合君が巻き込まれたんだ!」
佐藤は震える指で、回転の渦を指差した。霧の向こうには、縄で引きずられながら、異界の住人たちに弄ばれる河合の姿が、蜃気楼のように見え隠れしていた。
「早紀! 早紀、頼む! あの子を助けてやってくれ!」
突然、佐藤じいさんが虚空に向かって叫んだ。
「早紀さん……!? 今、早紀さんって…」
大翔の心臓が跳ねた。佐藤はメリーゴーランドを見つめたまま言った。
「…彼女はあそこにいる。異界に取り込まれた者を助ける事ができるのは彼女だけだ。わしも昔、彼女に救われた事がある……」
その言葉が終わる前に、大翔の体は動いていた。
「待て、小森谷君! 戻ってこれないかもしれんぞ!」
佐藤の制止を振り切り、大翔は逆走するメリーゴーランドの渦中へと飛び込んだ。

 視界が反転し、強烈な重力が大翔を襲う。
目を開けると、そこは中世の処刑場のような、荒涼とした大地だった。空は血のような赤色に染まり、巨大なメリーゴーランドの支柱が、天を突く塔のようにそびえ立っている。
「河合!」
大翔は、馬に引きずられ意識を失いかけている河合を見つけた。
その時、背後から彼女の声が響いた。
「……どうして来たの?」
振り返ると、肩にロープを担いだ早紀が立っていた。月光に照らされた透けるような白い肌に、黒い髪を風に靡かせて。
「あなたまで取り込まれるわ。 ここは生者が来る場所じゃないのよ!」
早紀は怒ったように叫んだ。しかし大翔は、彼女の姿を見た瞬間、恐怖よりも喜びが勝ってしまった。
「早紀さんに会えるかもと思ったら……勝手に足が……」
大翔の正直な言葉に、早紀は呆れて大きなため息をついた。だが、その口元には、微かに微笑みが浮かんでいた。
「……自分の面倒は自分でみてよ。いい?」
「はい!」
大翔は力強く返事をした。小学生の男の子が、先生に褒められた時のように嬉しそうな笑顔で。

「これ持って、私と反対方向に走って!」
早紀はロープの端を大翔に渡すと、風を切るような速さで走り出した。大翔も同時に、逆方向へ全速力で駆け出す。二人の間に張られたロープが、異界の重い空気を震わせた。 大翔の存在に気づいた骸骨の騎士たちが、カタカタと顎を鳴らし、巨大な大鎌を振りかざして突進してくる。馬の蹄が大地を削り、死の臭いが鼻を突く。大翔は向かってくる骸骨の騎馬隊の横を間一髪のところですり抜ける。
「今よ!ロープを引いて!」
早紀の号令で、大翔は足を踏ん張りロープを強く引き絞った。ピンと張られた縄が、突進してきた馬たちの前足を無慈悲に薙ぎ払う。
「ヒヒィーーン!」
断末魔のような嘶きと共に、骸骨の騎士たちが次々と前のめりに崩れ落ちた。その混乱の隙を突き、早紀は倒れた骸骨の手から大鎌を奪い取ると、河合を縛り付けていた縄を切った。
「河合!」
大翔が滑り込むようにして、解放された河合の元に駆け寄る。
「しっかりしろ、河合!」
河合は生気のない顔をしていたが、力強く胸が上下している。
意識の混濁する中、彼がわずかに目を開けると、銀色の月光を背負い、巨大な大鎌を携えて佇む早紀の姿が映った。
「…聖女…?」
小さく呟くと、眠りに落ちるように、河合の意識は深い闇へと沈んでいった。

しかし、安堵する暇はなかった。落馬した骸骨たちが、折れた骨を繋ぎ合わせながら、どろりとした執念を湛えて起き上がってくる。 さらに異界の空がひび割れ、そこから巨大な、名状しがたい黒い影が、獲物を求めて降りてこようとしていた。
「出口が閉じるわ! 早く彼を連れて、あの光の渦へ走って!」
早紀が指差す先には、現実世界へと繋がる小さな光の穴があった。
「早紀さんは!?」
「私は……私はここの住人。一緒には行けないわ」
「でも、あいつらに襲われるんじゃ!?」
「大丈夫よ、私は『特別』だから」
早紀の表情が、一瞬だけ寂しげに歪んだ。
「振り返らずに走って。早く!」
大翔は後ろ髪を引かれる思いで、河合を抱えて光の中へ飛び込んだ。
 
 気がつくと、大翔はメリーゴーランドの前の芝生に倒れ込んでいた。
機械は止まり、不気味なオルゴールの音も消えている。隣には、気を失った河合が横たわっていた。
「小森谷君! 河合君! 無事か!」
佐藤じいさんが駆け寄ってくる。
やがて、河合がうめき声を上げて目を覚ました。
「……う、うう……。俺、何してたんだ?」
「逆走したメリーゴーランドに引きずり込まれたんだ。小森谷君が助けてくれたんだよ」
佐藤の説明に、河合は自分の体を見回した。あちこち擦り切れてる、特に背中はボロボロたった。幸い、厚手の作業着だったので、肌の傷は軽かった。しかし、メリーゴーランドで出来た傷にしては、不自然なほど土まみれだった。そして、首には痛々しい痣が出来ていた。
「……凄く怖くてリアルな夢を見た。骸骨が馬に乗ってて……。でも、現実じゃなかったんだな」
大翔は黙って、手元にあった水のペットボトルを河合に手渡した。
「助かったよ、小森谷。ありがとな……」
河合が喉を鳴らして水を飲むのを横目に、大翔はゆっくりと立ち上がり、今は静まり返ったメリーゴーランドを見つめた。
そこにはもう、骸骨の騎士も、逆走する不協和音も、そして――早紀の姿もなかった。
彼女は本当に大丈夫なんだろうか? 
今も、あの異界のどこかで一人ぼっちでいるんだろうか?
「早紀さん……」
大翔は、自分の手のひらに残るロープの感覚を確かめるように拳を握りしめた。佐藤じいさんが言った通り、彼女は確かにあそこにいた。

黒羽遊園地の秘密|第4話|ユーチューバーとデジタルゴースト|sugar


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