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形だけが、続いていた。

しばらく前、Noteの更新が止まった時期がある。

投稿の間隔を見ると、そこだけ空いている。それまでは毎日書いていた。

そのあいだ、日課は続いていた。

この違いは、なんだろう。


続く

歩いた。
体を動かした。
朝、コーヒーを淹れた。
写真を撮った。
夜、日記を書いた。

毎日やっていた。
谷の最中も、やっていた。

続けようと決めたわけではない。
目が覚めて、湯を沸かして、豆を挽いていた。
気づくと終わっていた。

飲みたい、とは思わなかった。
いつもなら、飲みたいから淹れている。
あのときは、その感じがなかった。
それでも淹れた。
今思うと、もったいない。


中身

あの時期の日記を、あとで読み返した。

気分がある。
体調の数字がある。
毎日書いている項目が、いつもどおり並んでいる。

それだけだった。

普段なら、そこから何かを考えている。
書いているうちに、思ってもいなかったことが出てくる。
それが面白くて書いている。

あの時期の日記に、それがない。
項目が埋まっているだけだ。

歩いているあいだも、同じだった。
いつもは考え事をしている。
空を見て、何か思う。
撮るものを探している。

あのときは、何もなかった。
歩いていた、というだけだ。

外から見れば、いつもと同じことをしていたのだと思う。


止まる

日記は、日課として続いた。
Noteは、止まった。

書こうとした日はあった。
画面を開いて、しばらく見て、閉じた。
一行も出てこない。

できなかったことは、ほかにもたくさんある。
ただ、このどちらも書く行為だ。
片方は続いて、片方は止まった。

そのときは、なぜかを考えなかった。
考える力のほうも、そこにはなかった。
ただ、書けなかった。


戻る

ある日、書けた。

何が戻ってきたのか、そのときは分からなかった。
書けたことに気を取られていた。

あとになって考えると、深まっていくのが楽しい、という感覚が戻っていた。
私はそれが好きで書いている。
あれがないあいだ、書くことには何もなかった。

なぜ戻ったのかは、いまも分からない。
日課を続けたから戻った、とは思っていない。
時間が経った、としか言えない。


戻ってきたとき、入る形が残っていた。

歩く形。淹れる形。書く形。
中身が抜けたまま、それだけが動いていた。

底にいるあいだ、続けること以外に、目的はなかった。
あのとき私がしていたのは、たぶんそれだけだ。


※私は精神科の専門医ではない。ここに書いたのは一人の当事者の感じ方であり、双極性障害の経過には個人差があります。


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