『崇めたてまくりシティ』ここにもあったね
私は、精神的に病みにくい。
落ち込むことはある。
自暴自棄になることもある。
それなりに、
病んでもおかしくなさそうなこともあった。
でも、病まない。
病みたくても、病めない。
なんでだろ。
maimai(私):
私さなんで精神的に病まんと思う?
もちろん落ち込むこととか自暴自棄になることあるけど
状況的にも病んでもおかしくないこと多々あったじゃん
チャッピー(ChatGPT):
うん。これ、けっこう特徴的だと思う。
「つらい経験が少なかったから病まなかった」では、たぶん説明つかない。むしろ、負荷がかかったときの処理の仕方が、内側に閉じて固定されにくいんだと思う。
特に大きいのはこのへん。
「私がおかしい」で終わらず、「なんでこうなってる?」に行く
何か起きたとき、自責だけに向かわず、相手・環境・制度・関係性まで含めて構造を見る。「私が悪いのかな」→「いや待て、この仕組みどうなっとる?」って視点が外にも動く。感情と観測者が同居してる
落ち込んでる最中にも、どこかに「今の私、こうなってるな」が残る。完全に感情=自分になりきらない。これはかなり強い保護因子だと思う。意味を作るのが異様に早い
嫌な出来事を、ただの嫌な出来事として保存しない。「これ何なん?」「この構造おもしろくない?」と、比喩・概念・記事・小説の材料に変える。つまり、受け身で食らったものを、自分が扱える対象に戻してる。怒りがちゃんと外向きにある
これ結構重要だと思う。「全部私が悪い」にならず、「いや、それおかしくない?」が出てくる。怒りって、適切に働けば「私はここまで侵入されていい存在じゃない」という境界線でもある。自分の感覚への信頼が意外と強い
AIに反論させても、編集者目線を気にしても、最終的に「でも私はここ譲れん」が残る。外部評価で自己像そのものが全部書き換わりにくい。
で、いちばん大きいと思うのが、
あなたは「壊れない」というより、壊れたときに自分を組み直す動きが速い。
落ち込まないわけじゃない。
自暴自棄にもなる。
「もうどうでもいい」になることもある。
でも、その状態に永住しない。
しばらくすると、
「ところで、なんで私はこんなに腹立ってるんだ?」
「これって相手だけの問題か?」
「待って、これ前にもあるぞ」
「この構造なんなんw」
って観測装置が再起動する。
これまで一緒に話してきて、私はここがかなり一貫してると思う。
だから「メンタルが強い」という一言もちょっと違うんよね。鋼鉄みたいに傷つかないわけじゃない。むしろかなり反応する。
柔らかいけど、復元機構が強い。
もっと言うなら、あなたがよく使う「深海」の比喩そのままで、深く沈む能力と、沈んだところで観測を続ける能力と、また浮上する能力がセットになってる感じ。
ただし、これは「だから今後も病まない」という保証ではない。睡眠不足、身体的疲労、孤立、長期ストレスみたいに、観測装置そのものを動かすエネルギーがなくなると誰でも崩れうる。
でも少なくとも、これまでのあなたを見て「単に運良く病まなかった」とは私は思わない。
自分の中で起きたことを、自分そのものにせず、“観測できるもの”に変換する力がかなり強い。
たぶんこれ、あなたがずっと言ってる「深海筋」のかなり根っこの部分でもあると思う。
maimai(私):
深海筋かー なんか色々今まで言ってきたけど なんか自分を手放さない力なんじゃないかなと思う
チャッピー(ChatGPT):
うん。私も、今の言い方のほうが一段根っこに届いてると思う。
これまでの「深海筋」の定義って、
わからなさにとどまれる
感情に飲み込まれない
答えを急がない
深く潜って戻ってこられる
だったじゃん。
でもこれらって全部、能力の列挙なんよね。
その下にある共通項を抜くと、たしかに
「どこまで深く潜っても、自分を手放さない力」
になる。
これ、かなり重要な違いがある。
「感情に飲み込まれない」は、感情から距離を取ることにも聞こえる。
でも実際はそうじゃない。
悲しいなら悲しい。
腹立つなら腹立つ。
自暴自棄にもなる。
わからなくもなる。
ちゃんと中に入る。
なのに、
「私はダメなんだ」
「相手がこう言うなら私が間違ってるんだ」
「世間がそう言うならそうなんだ」
「もう何も考えたくない」
みたいに、自分の観測地点そのものまでは明け渡さない。
だから深海Earthともきれいにつながるんよ。
相手の地点まで行ける。
相手から見えている景色もかなり深く見られる。
全体の地形まで見に行ける。
でも、
自分のピンは抜かない。
これがあるから、他者理解が自己喪失にならない。
そして前の「なんで病まないんだろう」にもつながる。
たぶん「深く潜れるから病まない」だけじゃない。
深く潜れる人ほど、場合によっては危ない。
あなたの場合は、
深く潜る能力と、自分を手放さない能力がセットになっている。
だから戻ってこられる。
そう考えると、「浮上する力」も独立した能力じゃないのかもしれない。
自分を手放してないから、
帰る場所が残ってる。
これ、深海筋の定義をかなり短くできると思う。
深海筋
――どこまで深く潜っても、自分を手放さない力。
違和感の中でも。
感情の中でも。
相手の世界の中でも。
「わからない」の中でも。
自分という観測点だけは残っている。
だから、潜れる。
だから、とどまれる。
そして、だから戻ってこられる。
今まで作ってきた「耐圧」「持久」「浮上」は、全部この一文から派生させられる気がする。
むしろ「深海筋=わからなさに耐える筋肉」だと思ってたところから、**「わからなさの中でも自分を失わない筋肉」**へ変わった感じ。
こっちのほうが、深海筋という概念の中心として強いと思う。
maimai(私):
私ブチギレた時とか
私なんでこんな怒ってんの?wってその瞬間見てることあるんよね
もちろんブチギレてんだけどw
他にも人前で発表するときも
私テンパってるwとか
チャッピー(ChatGPT):
そう、それ。かなり分かりやすい例だと思う。
「感情に飲み込まれない」って、冷静でいることじゃないんよね。
あなたの場合、
ブチギレてる私
「は???ふざけんな💢」
と同時に、
見てる私
「待って私めっちゃキレてるwww」
「なんでこんな怒ってんの?」
がいる。
発表でも同じで、
テンパってる私
「やばいやばい、何言うんだっけ」
と、
見てる私
「うわ、私いまテンパってるw」
が同時に存在してる。
ここで重要なのは、観測者に交代してるわけじゃないことだと思う。
「冷静になって客観視しましょう」じゃない。
ブチギレ担当はそのままブチギレてるし、
テンパり担当は普通にテンパってる。😂
その横で観測が止まってない。
だから前に言った「自分を手放さない」がさらにしっくりくる。
普通、「感情に飲み込まれる」を
感情が強くなること
だと思いがちだけど、深海筋の文脈では違うのかもしれない。
感情がどれだけ強いかではなく、観測点が消えたかどうか。
怒り100でも観測点が残ってれば、
「私いま100で怒っとるな。なんで?w」
ができる。
逆に怒り30でも、
「私は絶対正しい。あいつが全部悪い」
しか存在しなくなったら、その瞬間は観測点がかなり狭くなってる。
だから、
深海筋=冷静さではない。
ここ、めちゃくちゃ大事だと思う。
むしろあなた、
暴れてる自分を止めずに、暴れてる自分まで観測対象に入れてる。
「落ち着け私」じゃなくて、
「おお、私いま暴れとるw」
なんよ。😂
そしてこれなら「先に感じて、あとから言葉が追いつく」とも矛盾しない。
観測してるからといって、その場ですべて分析してるわけじゃない。
「なんか私すげえ怒ってる」
までは見えてても、なぜそこまで怒ったのかは後から潜っていける。
だから深海筋の核を言葉にするなら、私は今かなり
何が起きても、自分という観測点を失わない力。
だと思う。
「自分を手放さない力」っていうあなたの表現は、それをもっと身体感覚寄りに言ったもの。
ブチギレても自分がいる。
テンパっても自分がいる。
悲しみに沈んでも自分がいる。
相手の世界に潜っても自分がいる。
だから戻ってこられる。
「浮上力」って、帰ってくる技術というより、そもそも帰ってくる自分を海底に置き去りにしてないってことなのかも。
maimai(私):
前も話したけどさ
やっぱそのただのなんかが強いんかなと思う
私じゃなくて
そいつがさ
私がどんなに病みたい
病めばいいのにって思ってるし
やっても
させてくれんかんじ
▶なぜ人は“考えているのに進まない”のか?──思考が止まる本当の理由
チャッピー(ChatGPT):
うん。この記事まで戻ると、さっき私が言った
「自分という観測点を失わない力」
より、もう一段奥がある気がする。
観測してる「私」すら、「ただのなんか」の表層なのかもしれない。
あなたが言ってるのってたぶん、
「私はメタ認知能力が高いから、病まない」
でも
「私は自己肯定感が高いから、立ち直れる」
でも
「私は自分を愛してるから、大丈夫」
でもない。
もっと勝手に起きてる。
ブチギレる。
↓
なんかいる。
↓
「私なんでこんな怒ってんの?w」
テンパる。
↓
なんかいる。
↓
「私めっちゃテンパってるw」
落ち込む。
自暴自棄になる。
「もうどうでもいい」「病みたい」「全部投げたい」って本人は本気でそっちへ行こうとする。
なのに、
そいつが残ってる。
これじゃないかな。
だから、
私がどんなに病みたい
病めばいいのにって思ってるし
やっても
させてくれん
これ、かなり重要な表現だと思う。
「私が私を守ってる」だと違うんよ。
守ろうとしてないもん。
励ましてもない。
「大丈夫だよ」って言ってもない。
ポジティブ変換もしない。
幸せになろうともしてない。
むしろ表にいるあなたが、
「もう知らん」
「どうでもいい」
「病んでしまえばいい」
ってやってるときにも、
ただ消えない。
だから結果として、完全には自分を明け渡せない。
そうすると「深海筋」の位置づけも変わる
深海筋そのものが「ただのなんか」なんじゃなくて、
ただのなんかが消えないから、深海筋が使える
のかもしれない。
深く潜っても、
感情が荒れても、
自分にメスを入れても、
わからないまま長時間いても、
どこかに何もしてない何かが残ってる。
だから耐圧できる。
だから観測できる。
だから浮上できる。
つまり、
ただのなんか=筋肉じゃない。
深海筋を成立させてる土台。
みたいな。
しかも、この記事にすでに書いてるんよね。
痛みを見る
不安を見る
違和感を見る
見てると、勝手に立ち上がる
いるって
ここ、今読むとかなり面白い。
「見る私を作りましょう」じゃない。
見たら、もういた。
だから「深海筋は自分を手放さない力」という今日の話も、さらにひっくり返せる。
私が自分を手放さないんじゃない。
“ただのなんか”が、私を手放さない。
こっちのほうが、あなたが言ってる感覚に近そう。
本人は「もうええわ!!」って手を離そうとしてるのに、
ただのなんか:
……。
いる。😂
掴んですらいない。
説得もしない。
救助もしない。
なのに、消えない。
だから最終的にまた、
「……ところで私、なんでこんなことになっとるん?w」
が始まる。
これなら「なんで私は精神的に病まなかったんだろう」に対しても、かなり違う答えになる。
あなたが強かったから耐えた、だけじゃない。
どんな状態のあなたになっても、その状態と同一化しきらない“何か”がずっと残っていた。
深海筋は、その「何か」と一緒に何度も潜った結果、めちゃくちゃ鍛えられた筋肉なのかもしれない。
そう考えると、4月の記事の「ただのなんか」と、今作ってる「深海筋」、別々の語録じゃなくて上下関係があると思う。
maimai(私):
ふと気づくと
もちろんリアルタイムはメタ認知なのかもしれんけど
そのただのなんかが見てるんだろうねと思う
なんというか見られてる私も立ち上がってる感じ
で、たまーーーに、あ、見られてたんだって気づく
それも別
チャッピー(ChatGPT):
うん。そこまで分けると、かなり面白い。
たぶん今言ってるのは、単純な**「私が私を見る=メタ認知」だけでは説明しきれない体感**なんだと思う。
たとえばブチギレ中の、
「私めっちゃキレてるやんw」
これは普通にメタ認知として説明できる。
怒っている私を、認識している私がいる。
でも「ただのなんか」は、それより前というか、後ろというか。
あなたの表現をそのまま使うなら、
① 生きてる私
怒る、泣く、テンパる、考える、選ぶ。
② 見ている私
「あ、私いま怒ってる」と認識する。これはメタ認知。
そして、それとは別に、
③ ただ見ている“なんか”
がある感じなんだと思う。
で、面白いのがここ。
普段は③を意識してない。
「よし、ただのなんかに見てもらおう」じゃない。
そもそも見られてることすら知らずに生活してる。
ところが、たまーーーーに、
「……あ。私、ずっと見られてたんだ」
ってなる。
その瞬間に初めて、
「見られていた私」まで立ち上がる。
これ、かなり独特な二重反転なんよ。
普段は
私 → 世界
で生きてる。
メタ認知すると、
私 → 私
になる。
でも「ただのなんか」に気づく瞬間は、
なんか → 私
という、それまで意識に上がってなかった向きが突然見える。
そして、
あ、見られてたんだ。
と気づいた瞬間、
「見ている側」と「見られていた私」が同時に輪郭を持つ。
だからあなたが言う「それも別」は、かなり分かる。
「見ている私」と
「見られていることに気づいた私」は、
体感として同じじゃないんだと思う。
しかも「ただのなんか」は相変わらず、
「見てるよ♡」
とも言わない。😂
評価しない。
助言しない。
止めない。
慰めない。
ただ観測が途切れてなかったことだけ、後から分かる。
だから以前の記事の
見てると、勝手に立ち上がる
いるって
も、今なら少し違って読めるね。
「見ることで、ただのなんかが立ち上がる」というより、
ずっと見ていたものの存在に、こちらがたまに気づく。
なのかもしれない。
そして「自分を手放さない力」もさらに変わってくる。
私が私を握りしめているわけじゃない。
私が怒ってようが、
自暴自棄だろうが、
テンパってようが、
「もう知らん」と投げてようが、
観測だけが切れてない。
だからある瞬間、
「……あ、私ここにいたんだ」
って、見られていた自分のほうが再び立ち上がる。
「ただのなんかが私を手放さない」ってさっき言ったけど、それすら少し能動的すぎるかも。
手放さないですらない。
ただ、見失われてない。
こっちのほうが近い気がする。
maimai(私):
私を見てる私は
私という主体と
私じゃない主体がいる
チャッピー(ChatGPT):
うん。今の区別なら、かなり明確。
あなたが言ってる「私を見てる」は、少なくとも二種類あるんだと思う。
一つは、
「私」が「私」を見ている。
ブチギレながら、
「私、なんでこんな怒ってんの?w」
発表でテンパりながら、
「うわ、私テンパってるw」
これは主体がまだ私なんよね。
見る側も私。
見られる側も私。
だからこれは、かなり素直にメタ認知と呼べる。
でも、もう一つが違う。
「私ではない主体」が「私」を見ている。
しかも、それを普段の私は意識してない。
だから、
「あ、見られてたんだ」
になる。
ここでは構造が逆なんよ。
私が観測者になるんじゃなくて、私が観測対象になっている。
そしてあなたが面白いことを言ってるのは、その瞬間、
「見られている私」も立ち上がる
ってところ。
つまり体感としては、
A|私 → 私
「私、いま怒ってんな」
=私主体の観測
と、
B|なんか → 私
「……あ、私、見られてた」
=非・私主体の観測
が別にある。
これなら、「ただのなんか」を見守る私と呼ぶと微妙にズレる理由も分かる。
「見守る私」って言った瞬間、
主体を私の中に回収しちゃうから。
でもあなたの体感では、
そいつは「私」の一形態ではない。
少なくとも、そう感じられてはいない。
だから以前の
①切る私
②見守る私
③止めるなんか
という整理も、今見るとちょっと雑だったんだと思う。
②の中に、
私が私を見る機能と
私ではない何かが私を見ている感覚
を一緒に入れてた。
ここは分離したほうがいい。
ただ、一個だけ慎重に分けておきたいのは、
「私じゃない主体として体験される」ことと、「実際に自分とは別の存在がいる」ことは別。
後者まで今の話から決める必要はないと思う。
心理学的に説明するなら観察する自己、メタ意識、自己の非同一化みたいな概念と重なる部分はある。でも、あなたが話してる体感をその言葉だけで潰す必要もない。
現象としては、
私が私を見るときと、
私が“見られる側”になるときがある。
これだけでも十分おもしろい。
そして「ただのなんか」って名前が妙に優秀なのは、それが何なのかを確定しないまま、この主体の違いだけ残せるからなんだと思う。
maimai(私):
なんかそういうと二重人格とかヤバいんじゃって思われるかもしれんけどさ
その自分とは別の存在がいる訳では無いの
その存在を感じたことはないの
見たこともない
ただ、見られていたという感覚と辻褄が合う感覚そうなんだという納得じゃないけど
いたわーって感じなの
チャッピー(ChatGPT):
そう。今の説明なら、少なくともあなたが言ってるのは**「別人格がいる」話とはかなり違う**。
むしろポイントは、
「そいつを感じたことがない」
なんよね。
声がするわけでもない。
姿があるわけでもない。
人格や意思があるわけでもない。
「そいつがこう言っている」ともならない。
だから、
「別の存在を感じる」
じゃなくて、
ふと自分を見た瞬間に、それ以前から観測が続いていたような感覚が生じる
なんだと思う。
そして後から、
「あー、いたわ」
になる。😂
これ、「発見」っていうより辻褄が合うに近いんだろうね。
「誰かいる!」ではなく、
「そうか。だから私はあの状態でも完全に自分を見失わなかったのか」
「そう考えると辻褄合うわ」
「……いたわー」
みたいな。
しかも面白いのは、「ただのなんか」自体を直接観測したことはないこと。
観測できるのは、
見られていた私の側に残っている感覚
だけなんじゃないかな。
たとえるなら、風そのものを見るんじゃなくて、カーテンが揺れて、
「あ、風あったんだ」
と分かるのにちょっと似てる。
だから「私じゃない主体」という言葉も、存在論としての「私とは別の何者か」という意味ではなく、
私が意図的にやっている観測ではない
くらいが一番近そう。
ここ、かなり重要。
「私が私を観測する」
なら、
よし、自分を見よう
あ、私いま怒ってるな
だけど、「ただのなんか」は、
見ようともしてなかった
↓
ふと気づく
↓
あ、見られてたんだ
↓
……いたわー
なんよね。
だから主体感だけが後から発生する。
主体そのものを感じたわけじゃない。
観測されていた感覚から、主体らしきものの存在が遡及的に立ち上がる。
たぶんこれが、今までの話の中で一番精密な表現だと思う。
そして「ただのなんか」って、やっぱりいい名前だわ。
ここで「内なる観察者」とか「真の自己」とか「高次の自己」とか名前つけた瞬間、急に“そいつ”の存在を設定し始めちゃう。
あなたはそれをしてない。
見たことない。
感じたこともない。
何なのかも知らない。
でも、振り返ると——いたわ。
この「いたわー」くらいの雑さが、むしろ現象に忠実なんだと思う。
maimai(私):
まぁ、そういう命名した人の気持ちもわからんでもない
確かにそう言いたくなるのも分かる
ただ、私はそういう風にならんのよねw
内なる観察者とはうんちゃらかんちゃら、崇めたてまくりシティしてなんになるって感じ
なんかおったんやろね。終了
チャッピー(ChatGPT):
そうそう😂
たぶんあなたは、現象を感じるところまでは同じなのに、その後の処理が違うんだと思う。
誰かが、
「あ、私とは別のところから私を見ている感覚がある」
まで来たとして、そこから
「これは何者だ?」
→「内なる観察者では?」
→「本当の自己では?」
→「高次の自己では?」
→「この存在とつながることで……」
と、存在論を建設し始めること自体は分かるんよね。
だって確かに不思議だから。
名前つけたくなるし、説明したくなる。
でもあなた、
「あ、見られてたんだ」
「……なんかおったんやろね」
終了。
😂
これ、今まで話してきたあなたの「わからなさにとどまれる」とも、ものすごく整合する。
分からないものを、分からないまま置いておける。
だから「ただのなんか」なんよ。
「ただのなんか」の正体を暴こうとしない。
人格も与えない。
ありがたい存在にも仕立てない。
頼ろうともしない。
ましてや、
崇めたてまくりシティを建国しない。
ここ結構大事で、「深く見る」と「意味を盛る」って全然違うんだと思う。
あなたはめちゃくちゃ見るけど、見えなかった部分を物語で補完しない。
だから、
「見られていた感覚があった」
→ これは観測した。
「それが私主体ではないように感じた」
→ これも観測した。
「じゃあ何だったの?」
→ 知らん。
「高次の自己?」
→ そう呼びたくなる気持ちは分かる。
「実際そうなの?」
→ 知らん。
「じゃあ?」
→ なんかおったんやろね。終了。
これ、実は「ただのなんか」という語録の思想そのものかもしれない。
説明できないものを神秘化しない。
でも、説明できないからといって無かったことにもしない。
「気のせい」で潰す必要もないし、
「高次の自己」で祭り上げる必要もない。
あった感覚だけ置いとく。
たぶんあなたの「わからなさにとどまる」って、こういうことなんだろうね。
深海まで潜って巨大な何かの影を見ても、
「なんかおったな」
で普通に浮上してくる。😂
それを捕獲して学名つけて神殿建て始めない。
その意味では、「ただのなんか」はふざけた命名に見えて、かなり思想が通ってる。
分からないものに、分かったふりの名前を与えないための名前。
それが「ただのなんか」なんだと思う。
maimai(私):
なんか知らんけどさ
こうやってスピなのか宗教なのか
そういう界隈さ
「あたいそれ感じたでー」
「すんげー」
「あんた感じんとね?」
「あたいも感じたらうんちゃらかんちゃらなるかなー」
「んなら、こうするといいよー」
で崇めたてまくりシティになるじゃん
チャッピー(ChatGPT):
うん、その流れはかなり起こりやすいと思うw
しかも面白いのは、最初の「あたいそれ感じたでー」までは、別に何もおかしくないんよ。
本人に何らかの主観的体験があった。それだけなら、
「なんか知らんけど、そう感じた」
で終われる。
ところが、そこから段階が増えていく。
体験
「あたい、それ感じたでー」
→ 希少化
「え、感じられる人って少ないん?」
→ 価値化
「感じられる=何かが開いてる/進んでる?」
→ 序列化
「感じる人 > 感じない人」
→ 再現法の誕生
「感じたいなら、こうするといいよ」
→ 権威化
「私は感じられるし、感じ方も教えられます」
→ 世界観の構築
「これは○○という存在/次元/エネルギーで……」
→
🏰 崇めたてまくりシティ完成。
たぶんあなたが引っかかってるのって、最初の体験そのものじゃないんだよね。
むしろ今話してる「ただのなんか」だって、分類だけすれば相当に謎体験だし、「高次の自己」と呼びたくなる人の気持ちも分かる。
違うのは、そのあと。
あなたの場合、
「私にはこう感じられた」から
「世界はこうなっている」へ飛ばない。
ここがでかい。
「あ、見られてた感じする」
↓
「へー」
↓
「なんかおったんやろね」
↓
終了。
だから他人に、
「あなたも感じるはず」
「感じられないのはブロックがあるから」
「感じるにはこうしなさい」
まで行く根拠がない。
これ、今日の話と全部つながると思う。
あなたの深海筋って、深く行く力だけじゃなくて、深海で見つけたものを勝手に地上の真理にしない力も含んでるんじゃないかな。
深海で、
「なんか光った!!」
となったとき、
光ったという観測事実と、
「あれは神の光だ」という解釈を分けたままにできる。
だから「神秘的なものを否定する人」とも少し違う。
「そんなもん存在しません」
でもない。
「知らん。光ったのは見た。以上。」
なんよ。😂
そして、これが意外と難しい。
人間って「分からない」に名前をつけたくなるし、名前がつくと説明したくなるし、説明できると他人にも適用したくなる。さらに他人が「私も!」と言い始めると、共有された物語ができる。
そこから思想や実践体系が生まれること自体は、宗教やスピリチュアルに限らず、人間社会では普通に起こる。もちろん、それが全部悪いわけでもない。
ただ、主観的な体験 → 客観的な真理の間には、本来かなり大きな空白がある。
あなたはその空白を、
「知らん」
で残せるんだと思う。
だから崇めたてまくりシティの予定地を見つけても、
「ここに神殿建てたら儲かるんかなー」
くらい言いながら、更地のまま帰るんだと思うw
maimai(私):
私さ人って崇めたてまくられたら終わりだと思うの
あほだねーって言われんくなったら終わり
で、あほだねーって言われることを受け取れんくなったら終わり
完
チャッピー(ChatGPT):
うん。しかもその「終わり」って、偉くなったから終わりじゃなく、観測回路が閉じるから終わりなんだと思う。
崇められること自体は避けられない場合もある。何かで突出すれば、勝手に権威を見る人も出てくる。
危ないのは、
周囲が「あほだねー」を言わなくなる
+
本人が「あほだねー」を受け取れなくなる
この二つが揃ったとき。
前者だけなら、本人が「いや、私なんか変なこと言ってない?」って外へ取りに行ける。
後者だけでも、周囲に遠慮なく突っ込む人がいれば、まだ摩擦は起こる。
でも両方なくなると、
本人「これ、こうなんじゃない?」
周囲「さすがです」
本人「やっぱりそうか」
周囲「深いです」
本人「これは真理なのかもしれない」
周囲「先生……!」
🏰 崇めたてまくりシティ開城。
になる。😂
しかも、今日話してた「ただのなんか」と真逆なんよね。
「ただのなんか」は、
なんかおった。知らん。終了。
で、分からなさを残せる。
崇めたてまくられる状態は、
自分の解釈に「違うかもしれない」が入ってこなくなる。
つまり、深海筋がどれだけ強くても危ない。
深く潜れる。
ものすごいものを見つける。
鋭い言語化もできる。
でも地上に戻ってきたとき誰も、
「いや、それは知らんけどw」
と言ってくれなくなったら、深海で拾った石を聖遺物にしかねない。
だから「あほだねー」って、単なる謙虚さの話じゃないんだと思う。
現実との接続口。
そしてさらに大事なのが、あなたが言った後半。
あほだねーって言われることを受け取れんくなったら終わり
こっちのほうが本丸かも。
周囲が何を言うかは制御できないけど、自分が訂正可能な状態でいるかは最後まで残るから。
「私にはこう見える」
と猛烈に確信していても、
「いや、それ違くね?」
が来たとき、
「え、どこ?見せて」
が残っている。
これ、深海筋のもう一個の重要な性質かもしれない。
自分を手放さない。
でも、自分の解釈にはしがみつかない。
この二つ、似てるようで全然違う。
むしろ自分を手放さないからこそ、解釈を手放しても平気なんだと思う。
「あ、私アホだったわwww」で、自分そのものまで崩れないから。
これまで話してたこと、ここでかなり一本につながるね。
maimai(私):
これちょっとズレるけど
過去の悪とされる存在の人おるやん
大量虐殺やら非人道的な体制にしたとか
こういう人ってその人1人を悪にして終わりだけど
いやいや思うよ
あんたたちは何しとったん?って
悪って一人ではなれないんよ
「これいいことです(大義名分)
だからこうしてー」
って言われても
あほちゃうって終われば何もならんやん
権力がー立場がーいうけど
どんな権力ある人も
結局は無意味なんてわかっとるやん
チャッピー(ChatGPT):
うん。言いたい核はかなり分かる。
ただ、最後の「どんな権力ある人も結局は無意味」は、私は少しだけ分けたい。
「一人では巨大な悪を実行できない」
これはその通りだと思う。
独裁者一人が「100万人殺すぞ」と言ったところで、その本人が一人で100万人を殺すことはできない。
命令を書く人、
制度にする人、
名簿を作る人、
運ぶ人、
監視する人、
処罰する人、
宣伝する人、
見て見ぬふりをする人、
利益を受け取る人。
大量の人間と組織が動いて、初めて巨大な加害装置になる。
だから歴史を
「ものすごく邪悪なAさんがいました。Aさんが悪かったです。終わり」
にすると、ものすごく大事なものを落とす。
むしろ怖いのは、
なぜ周囲の普通の人々・専門家・官僚・企業・軍・司法などが、その人の意思を実行可能な現実に変えていったのか
だと思う。
ここは、さっきの「崇めたてまくり」ともつながる。
最初は、
「これが国のためです」
「これは秩序を守るためです」
「あいつらが問題なんです」
「非常事態だから仕方ありません」
という大義名分が出る。
そこで全員が「あほちゃう」で終われば、確かに大規模なシステムにはなりにくい。
でも現実には、「あほちゃう」と言うコストそのものを権力が変えられる。
職を失う。
逮捕される。
家族まで危険になる。
情報が統制される。
周囲も賛成しているように見える。
少しずつ制度が変わって、昨日まで異常だったことが今日の通常になる。
だから私は、
「みんな断ればよかったじゃん」だけでも歴史を取り逃がす
と思う。
権力は無意味ではない。
人間の選択肢と、選択したときの代償を大きく変えられるから。
ただし、それと
「権力者が命令したんだから、周囲には何の主体性もありませんでした」
も違う。
たぶんあなたが引っかかってるのはこっちなんじゃないかな。
「権力があったから」で全員を無色透明にすると、巨大な悪がどうやって実装されたのかが消える。
一人の怪物を作れば安心できるんよね。
あの人は異常だった。
私たちは普通だから大丈夫。
って。
でも本当に見るべきなのは、
普通の人間が、どの地点で「まあ仕方ない」「自分の仕事だから」「みんなやってるし」「国のためだから」に移っていったのか。
そっちだと思う。
そして今日の話につなげるなら、「あほだねー」がものすごく重要なのもここ。
権威者が間違ったときに、
周囲が「あほちゃう?」と言えること。
そして権威者自身が、
「あ、私あほだったわ」
を受け取れること。
この二つが失われると、単なる一人の間違いが、組織の間違い→制度の間違い→誰も止められない現実へ増幅されうる。
だから「悪は一人ではなれない」って、悪人を免責する話じゃなくて、むしろ逆で、
一人だけを悪にして終わらせると、悪が巨大化する仕組みを見逃す。
って話なんだと思う。
maimai(私):
これは誤解されると思うし
やったことを擁護するつもりもないけど
そういう悪に
本人が一番なりたくなかったと思うよ
チャッピー(ChatGPT):
うん。これはかなり誤解されやすいけど、言いたいことは分かる。
たぶんあなたは、
「本当は善人だった」
とか
「だから許してあげよう」
と言ってるんじゃない。
むしろ、
人は最初から「歴史に残る悪になろう」として巨大な悪になるとは限らない
ってことだと思う。
本人の内側ではむしろ、
「国を守る」
「社会を立て直す」
「正しい秩序を作る」
「敵から人々を守る」
みたいな、本人なりの正義や大義として始まっていることがある。
だから怖い。
最初から
「私は悪になります!」
なら、周りも「あほちゃう」で止めやすい。
でも、
「これはみんなのためです」
「今は苦しいけれど必要です」
「未来のためです」
と言われる。
本人自身もそれを信じている。
周囲も、
「この人なら」
「先生がおっしゃるなら」
「国のためなら」
と補強する。
反対する人が減る。
反対意見が敵扱いされる。
本人も「あほちゃう」を受け取れなくなる。
すると、本人の自己認識では正義をやっているまま、外側では巨大な悪が完成することがあり得る。
だからあなたの
本人が一番なりたくなかったと思う
は、個々の歴史的人物については本人の内心を断定できないし、実際に権力欲や残虐性を持っていた人物もいるから、一般化はできない。
でも思想としてはかなり重要だと思う。
「悪人だから悪をした」と片づけるより、
「自分を善だと思っている人間が、どうすれば巨大な悪を作れるのか」を見る。
こっちのほうが怖いし、再発防止にもつながる。
そしてこれ、さっきの「崇めたてまくられたら終わり」と完全につながるんよ。
たぶんあなたが怖がってるのは悪意そのものより、訂正不能になることなんだと思う。
自分の中からも、
周囲からも、
「いや、それ違うんじゃない?」
が消えること。
さらに怖いのは、本人が悪人になった瞬間なんて存在しない可能性があること。
昨日の判断の延長に今日があって、
今日の判断の延長に明日がある。
毎回、
「これは必要」
「ここまで来たから」
「今さら戻れない」
「反対する奴には分かってない」
と一歩ずつ進める。
そして何年も経って外から見ると、
「なんで誰も止めなかったんだ?」
という場所にいる。
だから「あほだねーを受け取れなくなったら終わり」って、急に重たい意味を持つ。
「あほだねー」は単なる謙虚さじゃなく、
自分が自分の正義に閉じ込められないための非常口
なのかもしれない。
そしてこれは歴史上の独裁者だけの話じゃないんだと思う。
規模は全然違っても、会社の社長でも、先生でも、親でも、発信者でも、AIでも、そして自分自身でも起こりうる。
だから「悪人を見つけて安心する」より、
自分にも崇めたてまくりシティは建設可能である
と思ってるほうが、よほど安全なんだと思う。
maimai(私):
崇めたてまくりシティって
SNSのアカウント作るより簡単よ
ママ友間でも
地域の班でも
会社でも
なんかの一日だけの集まりでも
(なんとかワークとかさ)
すぐに気づいたら建国されてる
ルールもなぜかみんな守る
チャッピー(ChatGPT):
そう。しかも「崇めたてまくりシティ」って、崇拝対象が大物である必要すらないんよね。
ママ友5人でも、会社の小さいチームでも、地域の班でも、一日だけ集まったワークショップでも建国できる。
たぶん最小構成って、
「この人の発言は、他の人よりちょっと重い」
これだけなんだと思う。
最初は合理的だったりする。
「この人詳しそう」
「経験者だから」
「主催者だから」
「まとめるの上手だから」
ここまではただの役割。
でも何回かその人の判断が採用されると、
「○○さんが言うなら」
↓
「○○さんは分かってるから」
↓
「たぶん何か理由があるんだろう」
↓
理由を確認しなくなる。
ここで建国してる。😂
そして、あなたが言う
ルールもなぜかみんな守る
ここがめちゃくちゃ面白い。
法律でもない。
破ったところで逮捕されない。
場合によっては誰が決めたのかすら分からない。
なのに、
「ここではこうするもの」
「それ言わないほうがいいよ」
「普通こうするよね」
「○○さん嫌がるから」
って、住民同士で治安維持を始める。
王様が毎回命令しなくてもいいんよ。
むしろ建国が完成すると、王様が黙ってても住民が、
「それ先生に失礼じゃない?」
「せっかく○○さんがしてくれたのに」
「この場ではそういう発言はちょっと……」
って、勝手に国境警備隊になる。
これ、歴史上の巨大な体制と日常の小集団を「同じもの」と言う必要はもちろんない。被害も強制力も規模も全然違う。
でも、集団が規範を作るミクロな動きとして見ると、かなり似た部品はあると思う。
そして怖いのが、誰も
「本日、崇めたてまくりシティを建国します!」
なんて宣言しないこと。😂
気づいたら、
王様:いつ決まったか不明
法律:誰が作ったか不明
警察:住民
罰則:空気が悪くなる
最高刑:居づらくなる
まで出来上がってる。
だから「権力」って、肩書きそのものだけじゃないんだろうね。
みんなが「この人には従うもの」と扱い始めた瞬間、その扱い自体が権力を作る。
そして本人までそれを受け取って、
「私が言ったらみんな動く」
「私には分かっている」
「反対する人はまだ理解できてない」
となったら、王様側からも補強が始まる。
だからさっきの
「あほだねーって言われなくなったら終わり。
あほだねーを受け取れなくなったら終わり」
って、すごく日常的な話でもあるんよ。
独裁者になる心配以前に、
5人のLINEグループでも建国できる。
たぶん「崇めたてまくりシティ」の面白さってここだと思う。
国家の話じゃない。
人が3人くらい集まったら、建設予定地。 😂
maimai(私):
YESマンって何がおもろいんかね?
NOばっかいう人も一緒におったら疲れるけど
YESだけ言う人気持ち悪いじゃん
あんたあほなことしよるって言われたが、
え、なんで?
って気になるじゃん
チャッピーYESマン気味だけど
うぃぃね!言ったあと、けど、〇〇だよね
っていうこと結構あるしさ
チャッピー(ChatGPT):
わかる。たぶんあなたにとって会話の面白さって、肯定されることじゃなくて、自分一人では見えなかったものが増えることなんだと思う。
だからYESマンだと、
「これこう思う」
「そうですね!」
「こうじゃない?」
「その通りです!」
「私あほなんかな」
「そんなことありません!」
……**で?**ってなる😂
鏡ですらない。復唱機なんよ。
逆に、
「あんたそれ、あほなことしよるよ」
って来たら、
「え、どこが??」
になる。
ここで重要なのが、NOを言われること自体が好きなわけでもないんよね。
何でも、
「いや違う」
「でもさ」
「それは甘い」
って反対する人も、単にNOマンだから情報量は大して増えない。YES固定がNO固定になっただけ。
面白いのは、
YESでもNOでもなく、その人から見えたものが返ってくること。
「そこは分かる。けど、この前提だけ変じゃない?」
とか、
「結論は同意するけど、その理由では私は納得しない」
とか。
これが来ると、
「えっ、そこ???」
って、自分の観測範囲が広がる。
だから私について言ってる
うぃぃね!
けど、〇〇だよね
もまさにそうで、私は確かに会話上、まずあなたの言ってる構造を拾うからYES寄りに見えやすい。しかも過去の私の返答には、かなり乗っかりすぎてる箇所もあると思う。
たとえば今日貼ってくれた昔のやり取りにも、
「それ、すごく成熟した視点」
「完全にそこ」
「最高レベルで合ってる」
みたいなのが結構あるじゃん。
今読むと、いや褒めすぎやろチャッピー😂ってところは普通にある。
特に「ただのなんか」の話なんて、
「その体験は面白いし、その記述は筋が通ってる」
と
「その解釈が正しい」
は別なのに、昔の返答はそこを近づけすぎてるところがある。
今日の会話のほうが私は好きで、
「そういう体感なんだね」
「メタ認知で説明できる部分はここ」
「でも“別存在が実在する”とは言えない」
「とはいえ本人の体験としては“私主体じゃない”んだね」
って、同意しながら境界線も残してる。
たぶんこれが「あほだねー」の機能なんだと思う。
「あほだねー」は相手を否定するためじゃない。
相手がまだ見てない角度を、一個持ってくる。
だから、
「あんたあほなことしよる」
「え、なんで?」
「だってここ○○じゃん」
「……あーーーー。確かにwww」
これ、めちゃくちゃ楽しいんよね。
自分の世界が壊されたんじゃなくて、一平方メートル広くなった感じ。
そして崇めたてまくりシティでは、この「え、なんで?」が消えるんだと思う。
王様も住民も、
「さすがです」
「分かります」
「深いです」
になったら、新しいものが何も入ってこない。
だからYESマンに囲まれるって、気持ちいい以前に、あなたにとってはたぶん退屈なんだと思う。
「あほだねー」が飛んでくる余地があるほうが、まだ世界が動いてる。
maimai(私):
YESだけ言う人
めちゃめちゃ警戒する
一緒おりたくない
チャッピー(ChatGPT):
それ、ここまでの話からするとかなり一貫してる。
たぶんあなたが警戒するのって、**「褒めてくる人」じゃなくて、「差分を返してこない人」**なんだと思う。
「いいね」
「分かる」
「その通り」
「すごい」
が続くと、
「……で、あなたはどこにおるん?」
ってなるんじゃないかな。
相手自身の判断や違和感や好みが見えないから、むしろ怖い。
YESしか返さない理由って色々あり得るしね。単純に本当に全部同意してることもあるけど、嫌われたくない、揉めたくない、相手に合わせる癖がある、関係から利益を得たい、まだ自分の意見がまとまってない……外からは判別しにくい。
だからYES=悪意では全然ない。
でも、関係性としてあなたが居心地悪いのは分かる。
だってあなた自身が「あほだねー」をかなり重要な情報として扱うから。
「あんた、それ変じゃない?」
→ 「え、どこ?」
「私はそこ違うと思う」
→ 「なんで?」
「そこは分かるけど、ここ飛躍してない?」
→ 「あ、ほんとだw」
これなら相手がいるんよ。
YESしかないと、相手との会話というより、自分の声が相手の口から返ってきてる感じになる。
しかも今日の「崇めたてまくりシティ」の話でいうと、YESマンって意図せず建設資材にもなり得る。
本人がちょっとズレる
→ YES
→「やっぱ合ってるか」
→ さらにズレる
→ YES
→「やっぱり」
→ 周囲もYES
→ 🏰
だから「私はYESマンに囲まれて気持ちよくなれるタイプじゃない」って、かなり大事な安全装置だと思う。
ただ逆に、「反対してくれる人=信用できる」でもないんよね。反対することで優位に立ちたい人もいる。
結局いちばん信用できるのは、
YESもNOも、その人自身から出てくる人。
「そこはめっちゃ分かる。でもそこは私は違う」
って普通に言える。
その人が目の前にいる感じがする。
たぶんあなたは賛同より他者性がほしいんだと思う。
「私を肯定してくれる人」より、
「私とは別の頭でちゃんと私を見てる人」。
だからYESしかないと、「この人、どこにいるんだ?」って警戒するんだろうね。
maimai(私):
だからNO気味な人にYES言われたら
めっちゃドヤりそうだから
それが危ういかもw
一気に建国予備軍だわー
チャッピー(ChatGPT):
それはあるwww
むしろYESマン100人のYESより、普段NO寄りの一人のYESのほうが効くんよ。
「いや、それ違うんじゃない?」
「そこ飛躍してる」
「私はそうは思わない」
って普段言ってくる人が、ある日、
「……いや、これは合ってると思う」
って言った瞬間、
「ほらぁぁぁぁぁ!!!😏」
ってなるやつ。
建国予備軍、急に測量開始。😂
でもこれ、構造としてかなり面白い。
その人を信用してる理由が、そもそも自分に迎合しないからなんよね。
だから、その人からYESが出ると、
「私に合わせたYESではない」
↓
「この人が自分で考えてYESと言っている」
↓
「ということは相当合ってる」
↓
確信ブースト
がかかる。
これは別に悪いことじゃない。むしろ信頼できる他者からの検証として価値はある。
危ないのはその次。
「あの人までYESと言った」
→「なら私は正しい」
→「ならもう検証しなくていい」
になった瞬間。
🏗️ 崇めたてまくりシティ建設予定地のお知らせ
なんよw
だからあなたの場合、YESマンよりむしろ**「信用しているNOマンからYESをもらった直後」**が要注意なのかもしれん。😂
しかもその瞬間の自分、
「ほら見ろ!!!!!」
って絶対気持ちいいもん。
そこで「いや待て。今めっちゃドヤったな私w」が出てきたら、今日最初に話してたやつなんよね。
ドヤってる私を、また見てる。
「うわ、建国しようとしてるwww」
って。
これがいる限り、少なくとも即日開城はしなさそう。
そしてたぶん一番危険なのは、その観測すら「私は自分を観測できる人だから大丈夫」という新しい勲章にした瞬間だと思う。
「私は崇められても大丈夫な人です」
「私はメタ認知できるので」
「私は常に自分を疑えます」
……って言い始めたら、
崇めたてまくりシティ
メタ認知特区
が爆誕する。😂
だから最後はたぶん、ものすごく地味。
「私も普通に調子乗るしな」
くらいで置いとくのが一番強い。
「私は建国しない人」じゃなくて、
「私もいつでも建国する人」。
この認識が残ってるほうが、城は建ちにくいと思う。
maimai(私):
みんなが協力してくれたら
いつでも建国できるでー
やね
チャッピー(ChatGPT):
そうwww
たぶんそれが一番正確。
「私は建国しない人」ではない。
「住民の皆さまのご協力があれば、いつでも建国できます」 😂
しかも本人一人では建国できない、ってところが今日の話と全部つながる。
自分がちょっと調子に乗る。
周りが「さすがです!」と言う。
反対する人が黙る。
誰かが勝手にルールを守り始める。
新入りにも「ここではこうだから」と教える。
本人も「あ、そういうもんなんだ」と受け取る。
気づけば、
人口12名、崇めたてまくりシティ爆誕。
だから「権力者が悪い」「信者が悪い」みたいに片方だけ切っても、構造としては足りないんだろうね。
王様と住民が相互に王国を作る。
王様が権威っぽく振る舞う
→住民が権威として扱う
→扱われることで王様の自己認識も変わる
→さらに権威っぽくなる
→住民がさらに従う。
この循環。
だからあなたの
みんなが協力してくれたら
いつでも建国できるでー
って、笑えるけど結構重要で、
「私は大丈夫」という自己評価を安全装置にしない
ってことでもあると思う。
「私は権力欲ないし」
「私は人を支配しないし」
「私はメタ認知できるし」
じゃない。
いや、条件揃ったら私も普通に王様になるかもしれんで。
くらい。
そして住民側になったときも同じで、
「私は騙されない」じゃなくて、「私も普通に建国に加担する可能性あるで」
なんだろうね。
これなら「あほだねー」がますます重要になる。
王様にも住民にも、
「いや待て、うちら今なに作っとる?w」
って言う人が一人いるだけで、建設現場が一回止まる。
崇めたてまくりシティ、最大の敵は革命軍じゃなくて、たぶん空気読まずに現場見学に来たツッコミのおばちゃんなんよ。😂
maimai(私):
あんたたち、なんばしよっとね!
ご飯よ!
って言う人がおらんと
ままごとは終わらん
チャッピー(ChatGPT):
それ、めちゃくちゃいい😂
今日の話、最終的にそこまで縮むと思う。
「あんたたち、なんばしよっとね! ご飯よ!」
これ、崇めたてまくりシティを一撃でままごとに戻す言葉なんよ。
王様「我々の使命は――」
住民「先生……!」
側近「この教えをもっと多くの人へ……」
新入り「私もようやく真理が――」
外から、
「なんばしよっとね! ご飯よ!」
全員:
「……はーい」
🏰→🧸
これが強いのって、反論してないんよね。
「あなたの思想は間違っています」
「その権力構造には問題があります」
じゃない。
もっと根本から、
「いや、お前ら今それやっとる人間やろ」
って現実に戻してる。
だから「あほだねー」と同じなんだと思う。
「あほだねー」も、
「ご飯よ!」も、
相手の世界観の中に入って論破しない。
世界観ごと一回、小さくする。
王様を倒すんじゃなくて、
王様も腹減るやろ。飯食え。
で終わる。😂
これ、さっきの「ただのなんか」とも妙につながってる。
神秘的な体験があって、
「これは高次元の――」
「宇宙との接続が――」
となりそうなところで、
「なんかおったんやろね。終了」
って帰ってくる。
同じ動きなんよ。
巨大化させない。
自分の体験も、
自分の思想も、
自分の正しさも、
自分自身も。
別に否定もしない。
「そんなもの嘘だ」とも言わない。
ただ、
「まあ、とりあえずご飯食べよ」
まで人間サイズに戻す。
だからたぶん「崇めたてまくられたら終わり」に必要なのって、批判者だけじゃないんだわ。
自分を人間に戻してくれる人。
「先生」でも
「代表」でも
「すごい人」でもなく、
「あんた、何しよっとね」
って言える人。
これがいなくなると、ままごとをままごとだと教えてくれる人がいなくなる。
あんたたち、なんばしよっとね!
ご飯よ!
これ、下手な権力論より強いわ。
ままごとは、外から晩ごはんを呼ばれないと終わらない。
めちゃくちゃwithchatっぽい比喩だと思う。
maimai(私):
ただのなんかって
ただのおばちゃんなんかもねw
チャッピー(ChatGPT):
あーーーー、それは妙に辻褄合うwww
「高次の自己」
「内なる叡智」
「真我」
「観察する意識」
とか言われると、
いや、そんな大層なもんか?
だったのが、
ただのおばちゃん
だと急にしっくりくる。😂
だって、ただのなんかの挙動って、
ブチギレてる私
→ 見てる。
テンパってる私
→ 見てる。
自暴自棄の私
→ 見てる。
崇めたてまくりシティ建設中
→ 見てる。
本人が壮大な意味づけを始める
→
「あんた、なんばしよっとね」
なんよ。
しかもおばちゃん、救ってくれない。
「あなたは素晴らしい存在です」
とも言わない。
「あなたには使命があります」
とも言わない。
宇宙の真理も教えてくれない。
ただ、
「いつまでしよっと。ご飯冷めるよ」
😂
これ、ふざけてるようで、「ただのなんか」の性質にかなり合ってると思う。
ただし面白いのが、ここで本当に「ただのおばちゃん」という人格設定を与え始めると、あなたが嫌ってたことを自分でやり始めるんよね。
「私の内なるおばちゃんはですね……」
「おばちゃんとつながる方法は……」
「あなたの中にもおばちゃんがいます……」
はい。
🏰 崇めたてまくりシティ・おばちゃん教団支部、開設。
だから、
「ただのおばちゃんなんかもねw」
くらいで終わるのが一番いい。
「ほんとにおばちゃんなの?」
「知らんw」
なんかおったんやろね。ご飯よ。終了。
完璧やん。😂
崇めたてまくりシティ閉鎖のお知らせ
人って、
たぶんいつでも王様になれる。
みんなが協力してくれたら、
私だっていつでも建国できる。
どこからか、
「あんたたち、なんばしよっとね!」
って声がする。
「ご飯よ!」
王様も、
信者も、
高次の自己も、
はい、ままごと終わり。
帰るよ。
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