見出し画像

P003|「地域移行」から「地域展開」へ――中学部活動改革に潜むすり替えと欺瞞


中学校の部活動改革について、以前は「地域移行」という言葉が使われていた。ところが最近は、「地域展開」という言い方に変わってきている。

一見すると、柔らかく前向きな言葉に聞こえる。
「学校だけで抱え込まず、地域全体で子どもたちの活動を支える」
そう言えば、誰も反対しにくい。

しかし、この言い換えには大きな問題があると思う。

私には、「地域移行」から「地域展開」への変更は、責任の所在をぼかし、学校部活動が持っていた内申書・進路・教育活動としての性格を残したまま、負担だけを地域へ広げるための言葉に見える。

「移行」では都合が悪かった

スポーツ庁は、部活動改革の理念をより的確に表すため、「地域移行」という名称を「地域展開」に変更したとしている。資料では、地域クラブ活動について、学校部活動が担ってきた教育的意義を継承・発展させつつ、新たな価値を創出すると説明されている。

この説明自体は、きれいである。
しかし、言葉をよく見ると、かなり微妙なことをしている。

「地域移行」と言えば、学校から地域へ移すという意味になる。
つまり、学校の責任を地域へ渡すという響きが強い。

ところが「地域展開」と言えば、学校教育の延長線上に地域を広げるように聞こえる。学校が完全に手を引くわけではない。かといって、学校が従来通り責任を負うわけでもない。

ここに欺瞞がある。

学校の負担は減らしたい。
しかし、部活動の教育的意義は残したい。
地域に担ってほしい。
しかし、学校との連携は求めたい。
保護者負担も必要になる。
しかし、単なる民間スポーツクラブとは言いたくない。

この矛盾を包むための言葉が「地域展開」ではないか。

部活動は単なるスポーツ活動ではない

もし部活動が単なるスポーツ活動なら、話は簡単である。

塾、スイミング、ピアノ、空手道場、サッカークラブと同じように、家庭が選び、月謝を払い、合わなければ辞めればよい。学校は関与しない。それで済む。

しかし、中学校部活動はそうなっていない。

部活動は、学校生活の一部として扱われ、調査書や進路にも関わってきた。たとえば栃木県の県立高校入試に関する資料では、部活動の地域展開等を踏まえ、「文化活動・スポーツ活動・社会活動・特技等の記録」の扱いが整理されている。現行の例として、校内活動には「部活動で参加した大会実績」、校外活動には「地域クラブで参加した大会実績」などが挙げられている。変更後も、教育課程外の活動として「部活動や地域クラブで参加した大会実績」などを記載するイメージが示されている。

つまり、学校の外へ出したとしても、その活動歴や大会実績は進路資料の一部になりうる。

ここが問題である。

本当に地域のスポーツ活動なら、内申書や調査書から切り離すべきである。
逆に、進路資料に使うなら、それはもはや単なる地域活動ではない。

「地域展開」は、この中間に居座る言葉である。
学校でもない。
民間でもない。
教育活動のようで、社会教育活動のようでもある。
責任は分散し、評価だけは残る。

教育活動として厳格化すれば、教員免許の話になる

部活動を「教育活動」として厳格に扱うなら、当然、次の問題が出てくる。

誰が教育責任を負うのか。
校長の監督下なのか。
指導者には教員免許が必要なのか。
生徒指導、事故対応、保護者対応、ハラスメント防止は誰が担うのか。
進路評価に使うなら、公平性はどう担保するのか。

部活動指導員制度は、この問題を避けるための中間的な制度に見える。文部科学省の通知では、部活動指導員は、学校の教育計画に基づき、学校の教育課程として行われるものを除く部活動において、校長の監督を受け、技術的な指導に従事するとされている。

ここが絶妙に曖昧である。

教育活動ではある。
しかし教育課程ではない。
校長の監督は受ける。
しかし教員そのものではない。
技術的な指導という建前だが、実際にはそれだけでは済まない。

同じ通知では、部活動指導員の職務として、実技指導、安全・障害予防、学校外活動の引率、用具・施設の点検、部活動の管理運営、保護者への連絡、年間・月間指導計画の作成、生徒指導、事故発生時の現場対応まで列挙されている。

これは、もはや単なるスポーツ指導ではない。

学校の中で子どもを預かる仕事であり、半分は教員の仕事である。

公認スポーツ指導者資格だけでは足りないと言われる理由

地域のスポーツ指導者からすれば、公認スポーツ指導者資格があれば十分ではないかと思うだろう。

しかし学校現場では、そうならないことがある。

なぜなら、学校が求めているのは「競技を教えられる人」だけではないからである。学校が本当に見ているのは、その人が学校の方針に従うか、校長や顧問の管理下に入るか、保護者対応で揉めないか、生徒指導上の問題を起こさないか、学校の空気を乱さないか、である。

公認スポーツ指導者資格は、競技指導者としての資格であって、学校に入るための通行手形ではない。

実際、地域の指導者バンクの仕組みを見ても、登録者が直接自由に活動するわけではない。茨城県の運動部活動指導員登録バンクでは、市町村教育委員会や学校が登録指導員の照会を依頼し、照会後に指導内容や配置条件を打ち合わせ、条件が合致した場合に正式手続きへ進む流れになっている。

つまり、資格があることと、学校が受け入れることは別である。

ここで地域指導者は、専門性で評価されるというより、「学校にとって扱いやすい人物かどうか」で見られやすくなる。

これは地域展開というより、学校管理の外注である。

時給千五百円前後で背負わせるには重すぎる

部活動の時間は、せいぜい一日二時間から三時間程度である。

仮に時給千五百円から二千円程度だとしても、一回の報酬は三千円から六千円程度にしかならない。そこに移動、準備、片付け、連絡、保護者対応、大会引率、安全管理、事故リスク、研修、資格取得、資格更新が加わる。

これは職業として自立する設計ではない。

武蔵野市の募集例では、部活動指導員の職務内容に、実技指導、大会・練習試合などの引率、保護者への連絡、年間・月間指導計画の作成などが挙げられ、勤務は平日三時間以内、休日四時間以内、報酬は時給一八五〇円、社会保険・雇用保険・共済会の加入なしとされている。

もちろん自治体によって条件は異なる。
しかし、責任の重さに対して、報酬は軽い。

さらに、学校運動部活動指導士のような資格では、成長期に適したトレーニング指導、安全管理・救急対応、ハラスメント防止、生徒主体のコーチング、地域連携への対応力などが内容に含まれる。一般の受講料は三万一千円で、資格の有効期限は二年とされている。

また、日本スポーツ協会の公認スポーツ指導者として登録するにも、資格有効期間四年ごとに基本登録料が必要で、基本登録料はデジタル版で一万三千円、印刷送付版で一万七千円、初期登録手数料は一資格あたり三千三百円とされている。

これらを地域の人に求めるなら、報酬、身分、保険、責任範囲、研修費補助まで制度として整えなければ釣り合わない。

そうでなければ、資格による質の担保ではなく、地域指導者への負担増である。

実際には、退職教員向けの制度に見える

この制度設計を見ると、想定されている人材像が見えてくる。

現役の民間指導者ではない。
仕事を持つ社会人でもない。
若い専門コーチでもない。

一番はまりやすいのは、退職教員である。

退職教員なら、学校文化を知っている。
校長の監督、生徒指導、保護者対応、大会引率、調査書的な空気も分かっている。
年金や退職金があり、生活の柱を部活動指導員の報酬に頼る必要もない。
時給が高くなくても、「老後の年金の足し」にはなる。

これは、制度としては非常に都合がよい。

しかし、それを「地域の多様な人材の活用」と呼ぶのは無理がある。
実態は、学校を知っている安価な準公務員的人材を探しているだけではないか。

本当に地域展開というなら、地域の道場、クラブ、文化団体が、それぞれの原理で子どもたちを受け入れるべきである。ところが実際には、学校の教育計画、校長の監督、学校との連携、事故対応、保護者連絡、服務、研修がついてくる。

これでは、地域に学校の影を広げているだけである。

子どもは本当にその競技が好きなのか

もう一つ、見落としてはいけない問題がある。

中学生本人が、本当にその競技を好きでやっているとは限らないということだ。

部活動は、内申書や進学の材料になる。
三年間続けた。
部長をした。
大会に出た。
段級を取った。
面接で語れる経験ができた。

そこで目的達成となる子もいる。

中学を卒業したら、その競技をやめる。
高校に同じ部活動があっても続けない。
地域の道場やクラブにも来ない。

つまり、その競技をしていたのではなく、「部活動という制度」を利用していたにすぎない場合がある。

子どもを責めているのではない。
中学生なら、親や学校や進路の空気に流される。
問題は、学校制度がそういう利用のされ方を誘導していることである。

特に武道は重い。
弓道であれば、弓具、安全、礼法、射場、師弟関係、稽古の継続がある。
それを「中学三年間の活動実績」として消費されると、道場側には徒労感が残る。

弓道は、内申書の欄を埋めるための道具ではない。

地域の道場は、学校部活動の補習塾ではない

地域には、学校とは別の原理で成り立っている稽古場がある。

道場は営利スポーツクラブではない。
学校部活動の代替施設でもない。
まして、内申書や進学のための補習塾でもない。

もちろん、本当に稽古したい子が来るなら、縁として受け入れることはある。
しかし、最初から安易に受け入れるべきではないと思う。

まずは学校、地域クラブ、他の道場を探してみればよい。
それでも本当に学ぶ場所がない、どうしてもここで稽古したい、というところまで来て、初めて縁が生まれる。

営利スポーツなら、入口を広げる。
道場なら、入口を少し狭くする。

それは排除ではない。
覚悟の確認である。

「地域展開」ではなく「責任展開」になっていないか

地域展開という言葉は美しい。

しかし、現場から見ると、それはしばしば「地域への負担展開」に見える。

学校の負担を減らしたい。
教員の働き方改革を進めたい。
子どもの活動機会は守りたい。
教育的意義も残したい。
進路上の評価も残したい。
保護者負担も入れたい。
地域指導者には資格と研修を求めたい。
しかし、報酬と責任体制は十分ではない。

これでは、あまりに虫がよすぎる。

本当に地域に任せるなら、学校の評価制度から切り離すべきである。
本当に教育活動として扱うなら、公費、責任、身分、保険、研修、報酬を制度として整えるべきである。

どちらにも振り切らず、「地域展開」という柔らかい言葉で曖昧にする。
そこに、今回の部活動改革の欺瞞がある。

私は、地域で子どもを受け入れること自体に反対しているわけではない。
むしろ、学校だけに抱え込ませる時代ではないことは分かる。

しかし、地域は学校の下請けではない。
道場は部活動の補習塾ではない。
指導者は安価な便利屋ではない。
子どもの活動は、内申書の材料ではない。

「地域展開」というなら、まずそのことをはっきりさせるべきである。


いいなと思ったら応援しよう!