S204|奨学金問題は「症状」である ― 進路単線化という構造的問題
奨学金の返済が重い。若者が苦しんでいる。
この議論はここ数年で一気に広がった。
だが私は、少し違う角度から考えたい。
奨学金は“原因”なのか。
それとも“結果”なのか。
1.なぜ借金をしてまで大学へ行くのか
大学等への進学率は、すでに「一部が行く場所」を超えている(文科省の学校基本調査でも、大学等進学率が高い水準で推移している)。
つまり、進学が“標準ルート”になっている。
問題は、標準であること自体ではない。
「目的が薄い進学」が、借金とセットになりやすいことだ。
2.一本道にされた進路
かつては複数の王道があった。
普通科→大学、工業高校→技術職、商業高校→事務、農業高校→地域産業。
それぞれに誇りと役割があった。
だが今は、大学進学が“正規”、それ以外が“妥協”のように見られがちだ。
この空気が、奨学金の利用を押し上げる。
3.借金前提の進路設計
JASSOの返還例を見ても、総額200〜300万円台、返還期間14〜18年といった設計になる。
借りること自体は悪ではない。必要な学びには価値がある。
ただ、空気で進学し、空気で借りる借金は、卒業後に静かに首を絞める。
「借金前提の標準進路」が当たり前になっていることが問題だ。
4.別のルートを再評価する
職業高校→就職のルートが、社会的に正当に評価されればどうか。
18歳で収入を得て、実務経験を積み、地方で生活基盤を作る。
25歳の時点で、大学卒より現場で活躍している人もいる。
そして、それは劣った道ではない。
むしろ、合理的な道でもある。
5.議論の順番
いまの議論は「奨学金をどう軽くするか」になりがちだ。
だが本来は「なぜ大学へ集中するのか」から始めるべきだ。
進路の多様性が回復すれば、奨学金問題は自然と解決へ向かう。
対症療法ではなく、構造への問い直し。
それが議論の入り口だと思う。
