S015|イラン危機と三毒
欲望を止められなかった文明が、苦によって止められる時
1. はじめに
前回、私はペットボトルや過剰包装の問題を、三毒と四諦の視点から見た。
再生素材。
軽量ボトル。
ラベル削減。
環境配慮。
そうした言葉は、いかにも耳ざわりがよい。
しかし、現実には、ペットボトル飲料は山のように並び、包装は減らず、商品数は必要以上に増え続けている。
問題は、容器の素材だけではない。
使い捨てを前提にした社会そのものが、ほとんど変わっていないことである。
もっと売りたいという貪。
面倒を嫌う瞋。
本質を見ず、「再生だからエコ」と安心する痴。
この三毒がある限り、エコは無駄を減らす道ではなく、無駄を続けるための看板になってしまう。
では、その無駄は本当に減らせないのか。
本来なら、人間が自ら欲望を抑え、使い捨てそのものを減らすべきだった。
ところが今、その流れが、人間の智慧によってではなく、危機によって強制されようとしている。
イラン危機である。
2. ホルムズ海峡という文明の血管
ホルムズ海峡は、単なる海峡ではない。
現代文明の血管である。
世界の石油輸出量のおよそ五分の一がここを通過する。
湾岸諸国から輸出される液化天然ガスの一部も、この狭い水道を経由して世界に届く。
タンカーが行き交い、工場が動き、生活が成り立つ。
もしその流れが詰まれば、影響は中東だけにとどまらない。
燃料代が上がる。
電気代が上がる。
輸送費が上がる。
化学製品が上がる。
プラスチック原料も上がる。
つまり、海峡が詰まると、現代生活そのものが詰まる。
重要なのは、この危機が「起きるかどうか」ではない。
世界が、この一本の水道に依存せざるを得ない構造そのものが、すでに問題の核心である。
代替ルートは存在する。
サウジアラビアのパイプラインも、迂回航路もある。
しかし、それらは完全な代替にはならない。
速度も、容量も、コストも、変わる。
その「変わる」こと自体が、現代文明には大きな揺さぶりになる。
ここで、皮肉なことが起きる。
環境会議では止められなかった大量消費が、地政学的な緊張によって止められる可能性がある。
3. 京都議定書では止まらなかったもの
京都議定書もあった。
SDGsもある。
リサイクルも叫ばれてきた。
脱炭素も、環境配慮も、何度も語られてきた。
それでも、使い捨ての文明は根本からは変わらなかった。
なぜか。
人間が、便利さを手放せなかったからである。
安く、早く、軽く、清潔で、すぐ捨てられるもの。
そうしたものを求める心が、社会全体の前提になってしまった。
これは制度だけの問題ではない。
個人の意識だけの問題でもない。
現代文明そのものが、便利さを前提に組み上がっているのである。
そして、三毒はその構造の中に織り込まれている。
制度が貪を促し、
仕組みが瞋を育て、
文化が痴を当然のものとして再生産する。
個人が気づいても、構造が三毒を維持し続ける。
だから、善意だけでは止まらなかった。
4. プラスチックは石油文明の子である
ペットボトルも、包装材も、使い捨て容器も、安価な日用品も、多くは石油と物流に支えられている。
石油が安いから、作れる。
輸送費が安いから、運べる。
人件費の安い国で作り、遠くの国まで運んでも、まだ商売になる。
この仕組みの上に、私たちの便利な生活は成り立っている。
しかし、石油が高くなれば話は変わる。
輸送費が上がれば話は変わる。
プラスチック原料が高くなれば話は変わる。
安く作って、安く運んで、安く売り、すぐ捨てる。
その前提が崩れ始める。
そうなれば、過剰包装も、使い捨て商品も、無駄な大量輸送も、今までのようには続けにくくなる。
一見すると、これは環境に良いことのように見える。
だが、そう単純には喜べない。
5. これは解決ではない
イラン危機が環境問題を解決するわけではない。
戦争が地球を救うわけではない。
物流の混乱が海を清めるわけでもない。
ただ、欲望を支えていた仕組みが傷つくことで、結果として消費が減るだけである。
しかも、人間の三毒は容易には止まらない。
石油ルートが詰まれば、別のルートを探す。
原料が高くなれば、代替素材を探す。
不便になれば、不便を回避する技術を探す。
三毒には、そのような粘り強さがある。
欲望は止められても、形を変えて続こうとする。
これは、道ではない。
これは、苦である。
仏教でいえば、三毒を自ら観察し、手放したのではない。
三毒を満たすための餌が、外から断たれただけである。
貪りたいのに、物がない。
便利に暮らしたいのに、燃料が高い。
見ないふりをしたいのに、価格として目の前に突きつけられる。
それは悟りではない。
ただ、苦によって止められ、あるいは迂回させられているだけである。
6. 善意で止まれなかった社会
本来なら、人類は自ら止まるべきだった。
必要以上に作らない。
必要以上に運ばない。
必要以上に包まない。
必要以上に捨てない。
言葉にすれば、それだけのことである。
しかし、それができなかった。
企業は売上を求めた。
消費者は便利さを求めた。
政治は成長を求めた。
社会は不便を嫌った。
その結果、世界は石油の流れが少し滞るだけで大きく揺らぐ構造になった。
環境問題とは、海や空気だけの問題ではない。
人間の欲望の置き方の問題である。
そして、三毒が制度の中に組み込まれている以上、
個人の覚悟だけでは、構造を変えることができない。
だからこそ、外からの圧力が、最初の「止まり」として働く可能性がある。
それは救いではないが、問い直しの契機にはなりうる。
7. 文明の射癖
これは、弓道でいえば射癖に近い。
会に入っても、待てない。
苦しくなると、すぐ離す。
中りが欲しくて、身体が先に逃げる。
現代文明も、それに似ている。
便利さが欲しい。
利益が欲しい。
成長が欲しい。
快適さが欲しい。
そして、待てない。
自然がどうなるか。
海がどうなるか。
次の世代がどうなるか。
それを考える前に、欲望の方が先に離れてしまう。
欲望の離れが早すぎるのである。
8. 自ら減らすのか、減らされるのか
いま問われているのは、単にイラン情勢の行方ではない。
私たちは、自ら欲望を控えることができるのか。
それとも、危機によって欲望を削られるまで止まれないのか。
この違いは大きい。
自ら使い捨てを減らすなら、それは道である。
価格高騰で買えなくなるなら、それは苦である。
自ら過剰包装をやめるなら、それは智慧である。
原料不足で作れなくなるなら、それは混乱である。
自ら移動と消費を見直すなら、それは節度である。
燃料不足で動けなくなるなら、それは危機である。
結果だけ見れば、どちらも消費は減るかもしれない。
しかし、中身はまったく違う。
一方は、覚悟による縮小である。
もう一方は、破綻による縮小である。
そして、破綻による縮小は、落ち着いたところで再び膨らもうとする。
三毒が残っている限り、苦が過ぎれば欲望は戻る。
だからこそ、苦の中でなお、三毒を見ることが必要になる。
9. 細い流れの上に立つ文明
イラン危機が映しているのは、イランだけの問題ではない。
それは、現代文明がどれほど細い流れの上に立っていたかという事実である。
石油が流れる。
船が通る。
工場が動く。
商品が運ばれる。
店に並ぶ。
私たちは買う。
そして捨てる。
この一連の流れを、私たちは当然のものとしてきた。
だが、その当然は、当然ではなかった。
海峡が止まれば、世界は止まる。
石油が詰まれば、生活は詰まる。
物流が乱れれば、欲望も乱れる。
その時、人間は初めて、自分の欲望がどれほど外の仕組みに支えられていたかを知る。
そして、その仕組みが三毒によって作られたものである以上、
仕組みが揺らぐとき、三毒もまた揺らぎの中に露わになる。
それを見ることができるか。
そこが、分かれ目である。
10. まとめ
人類は、悟って無駄を減らすことができなかった。
だから、苦によって無駄を減らされる。
これは、救いではない。
これは、遅すぎた警策である。
少欲知足を自ら選ばなかった文明が、戦争と資源制約によって、少欲知足の形だけを強いられる。
そこに智慧はない。
ただ、苦がある。
しかし、苦には一つの働きがある。
三毒が満たされている間、人は三毒を見ない。
欲望は透明になり、空気のように当然のものになる。
苦が来て初めて、その透明だったものが、輪郭を持って見えてくる。
見えた時に、何をするか。
また別のルートで満たそうとするのか。
それとも、満たすことそのものを問い直すのか。
その問い直しの中にしか、本当の転換はない。
イラン危機は、その問いを突きつけている。
答えを出すのは、私たちである。
