S105|いじめは、加害者を隔離しない限り終わらない
最近、いじめや暴力の動画がSNSに流れ、「正義の告発」なのか、それとも「私的制裁」なのか、という形で論じられることが増えた。2026年4月5日の読売が取り上げた記事でも、こうした拡散の根底に、生徒や保護者の学校への不信感があると示されている。顔や氏名、誤情報まで広がる危険は確かにある。だが、先に見るべきは、なぜそこまでして外に出さなければならなくなったのか、という点である。
SNS拡散は原因ではない。結果である
動画が拡散するのは、子どもたちの情報モラルが低いからだけではない。学校の中で訴えても動かない。見て見ぬふりをされる。被害者ばかりが我慢させられる。そういう積み重ねがあるから、外へ出して騒ぎにしなければ認められない、という発想になる。SNS拡散は原因ではない。学校不信が生んだ結果である。読売記事の見出しが示している「不信感」という言葉は、まさにそこを突いている。
実際、文科省が今年1月30日に出した通知でも、SNSに投稿・拡散されるまで学校が認知していなかった事案が含まれており、学校が暴力行為やいじめを十分に把握できているとは限らず、見過ごされている被害が存在するおそれがあるとはっきり書いている。つまり国の側も、「学校の中で見えていない被害がある」と認めたのである。
被害者を守るとは、被害者を逃がすことではない
ここで話を曖昧にしてはいけない。被害者保護とは、被害者を別室に逃がすことではない。被害を与えている側を、その場から外すことである。
文科省の基本方針は、いじめ対策において特に重要なのは、いじめを受けた児童生徒の生命・心身を保護することだと明記している。さらに今年の通知では、いじめや暴力行為が明らかになった場合、被害児童生徒の安全確保を最優先にし、心身のケアを直ちに実施し、安全で安心な学習環境を確保するよう求めている。順番は最初から決まっている。まず被害者保護である。
そのうえで文科省は、加害児童生徒に対しては厳正な指導を行い、必要に応じて警察との連携、懲戒、出席停止等の措置を含めて毅然と対応するよう求めている。さらに、いじめ防止対策推進法26条でも、市町村教育委員会は、いじめを受けた側や他の児童生徒が安心して教育を受けられるようにするため、出席停止を命ずるなど必要な措置を速やかに講ずるものとされている。法律も通知も、言っていることは同じだ。守るべきはまず被害者であり、そのために加害側を外せ、ということだ。
加害者隔離は「厳しすぎる」のではない
ここでよく、「子ども相手に厳しすぎる」「排除では解決しない」という甘い言葉が出る。だが、それは順番が違う。加害者の教育は必要である。背景分析も必要である。再発防止の指導も必要である。文科省もそこは書いている。だが、それは被害者の安全確保より後の話である。先にやるべきは、被害が続かない状態を作ることだ。
そもそも出席停止制度は、ただの懲罰ではない。文科省は、出席停止は本人への制裁というより、学校の秩序を維持し、他の児童生徒が教育を受ける権利を保障するための制度だと説明している。つまり、「隔離はかわいそうだ」という話ではない。放置された側の教育を受ける権利が、すでに壊されているのである。そこを直すための措置だ。
情報モラル教育だけでは止まらない
もちろん、SNS上で顔や氏名や誤情報まで拡散することは、新たな人権侵害を生む。文科省もその削除対応や情報モラル教育の必要性を示している。そこはその通りである。だが、そこだけを前に出すと話がねじ曲がる。先に叩かれるべきは拡散した側だけではない。そもそも学校内で止められなかった加害行為と、その初動の鈍さである。
情報モラル教育は必要だ。しかし、それは火事のあとに「火遊びは危険です」と言うようなものにすぎない。火をつけた者をその場に残したままでは、また燃える。だから必要なのは道徳の説教ではなく、即時の分離である。被害者を守り、加害者を外し、必要なら警察も入れる。この当たり前を徹底しない限り、動画の拡散は形を変えて繰り返される。
まとめ
いじめ対策の核心は単純だ。
被害者を逃がすな。加害者を外せ。
ここを曖昧にするから、学校は信用を失う。信用を失うから、子どもも保護者も、SNSという外部の圧力に頼る。つまり、いじめ動画拡散の問題は、SNSの問題である前に、学校の初動と覚悟の問題である。
「話し合いましょう」では遅い。
「見守りましょう」では甘い。
「再発防止に努めます」では足りない。
先にやるべきことは一つしかない。
加害側の即時隔離である。
