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S103|赤飯には即応、いじめには熟慮――いわき市教育委員会が示した、見事な優先順位

福島県いわき市で、2026年3月11日、市立中学校5校の卒業祝い給食として用意されていた赤飯約2100食が、保護者1人からの電話を受けて提供中止となり、すでに調理済みだった分も廃棄された。代わりに出されたのは非常食のパンだった。後に市長は、この対応を適切ではなかったと明言している。

実に鮮やかな危機管理である。

一件の電話が入る。
すると献立は止まり、赤飯は消え、2100食は廃棄される。
調理した人の手間も、卒業を迎える生徒たちの節目も、まとめて非常食に置き換わる。

ここまで即断できるのだから、いわき市教育委員会には、よほど強い判断力が備わっているのだろう。
少なくとも、赤飯に対しては。

本来は、説明で済んだ話だった

今回の件でいちばん重要なのは、最初から説明で収める余地が十分あったことである。

いわき市長は、震災とほぼ同時に生まれ、この15年を生きてきた生徒たちを送り出す意味を考えれば、今回の判断は適切ではなかったと述べている。さらに、給食の前に犠牲者へ黙祷を捧げ、その上で感謝して食べてもらう形もあり得た、という趣旨まで語っている。

つまり、追悼と卒業祝いは両立できた。
少なくとも、市長はそう考えている。

それでも教育委員会は、言葉で意味づける道ではなく、物を消す道を選んだ。
教育で解くのではなく、廃棄で処理したのである。

これほど教育委員会らしくない教育委員会も、なかなか珍しい。

しかも、最も極端な対応を選んだのは組織の側だった

報道によれば、最初に電話を入れた保護者は、廃棄まで求めたわけではなかったという。
にもかかわらず、教育委員会は提供中止と廃棄という、最も重い対応を選んだ。

ここが大事である。

今回の件は、「市民の声に押し切られた」というより、
組織の側が自ら最も無難で、最も説明不要で、最も機械的な処理を選んだ、という話に近い。

赤飯を止めるだけなら、加害者はいない。
責任の追及も浅くて済む。
組織の失敗も深く掘られにくい。
しかも「配慮しました」と言いやすい。

実に便利な仕事である。

では、いじめの時はどうか

ここでどうしても考えてしまう。

学校や教育委員会は、いじめの訴えに対しても、赤飯の時と同じ速さで動くだろうか。

現実には、そうならないことが多い。
いじめの訴えが出る。
被害者が苦しむ。
保護者が相談する。
だが返ってくるのは、たいてい次のような言葉である。

「事実確認中です」
「慎重に対応します」
「双方から話を聞きます」
「見守ります」

赤飯には即応できるのに、いじめには熟慮が始まる。

この差は何か。
簡単である。

赤飯は捨てれば終わる。
だが、いじめは向き合わなければならないからだ。

いじめには加害者がいる。
責任がある。
学校の見て見ぬふりが露出することもある。
担任、学年、管理職の判断も問われる。
つまり、本当に痛いところに触れなければならない。

だから急に動きが鈍くなる。
慎重なのではない。
責任を負いたくないのである。

本来、速く動くべきなのは、こちらの方だ

文部科学省は、いじめについて、被害児童生徒の安全確保を最優先にし、必要に応じて加害児童生徒への出席停止措置の活用も含め、安心して教育を受けられるよう対応することを示している。被害者保護のために就学校の変更や区域外就学などを検討することも制度上示されている。

また、2026年3月の通知でも、いじめや暴力行為の事実が明らかになった場合、被害児童生徒の安全確保と心身のケアを直ちに行い、加害児童生徒には毅然と対応することが改めて求められている。

つまり、制度の建前ははっきりしている。
まず守るべきは被害者であり、必要なら加害側を教室から外す方向で考えろ、ということだ。

本来なら、赤飯に見せたその速度と決断力こそ、いじめ対応に向けられるべきなのである。

問題は「法の限界」ではなく「組織の優先順位」だ

もちろん、電話一本で即転校、という話ではない。
そこには手続きも事実確認も必要である。

だが、今回のように一件の電話で2100食を止めるほど敏感に動ける組織が、いじめに対しては「慎重」を理由に加害側を教室に残し、被害側に耐えさせるのだとしたら、それは制度の問題というより、優先順位の問題である。

要するにこういうことだ。

責任が軽く、対外的に「配慮しました」と言いやすい案件には素早い。
だが、内部の責任や人間関係の暴力に踏み込む必要がある案件には急に遅い。

これでは、子どもを守る組織ではなく、空気に従う組織である。

いわき市教育委員会が見せたもの

今回、市長は教育委員会に対し、今後は市長部局にも事前に相談し、連携を強化する方針を示している。これは言い換えれば、今回の教育委員会の判断が、少なくとも市長から見て統治として失敗だったことを意味する。

今回のいわき市教育委員会の判断は、単なる給食トラブルではない。

それは、学校行政が何に素早く反応し、何に鈍いのかを、たいへん分かりやすく可視化した事件だった。

食べ物の象徴には過敏。
だが、教室の中の暴力には鈍い。
空気には従う。
しかし、被害者を守る覚悟は薄い。

そんな組織の姿が、赤飯2100食の廃棄という形で、あまりにもはっきり出てしまった。

結び

行政に必要なのは、空気に過剰反応する速さではない。
守るべき相手を守る速さである。

赤飯を止める速さがあるなら、
いじめの訴えに対しても、まず被害者を守る速さがあってよいはずだ。

赤飯を捨てる決断ができるなら、
加害側を教室から外す決断も、本来はできるはずだ。

いわき市教育委員会には、今回の件を単なる失言や手違いで終わらせてほしくない。
教育委員会なのだから、せめて優先順位くらいは教育的であってほしい。


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