S011|K明党が選挙で勝てない理由――「苦を減らす装置」になれない
「勝てない」と言っても、K明党が明日消えるという話ではない。むしろ逆だ。消えない。固定票がある。だから議席は残る。しかし伸びない。広がらない。天井が低い。勝てないとは、その意味だ。
なぜ天井が低いのか。私は政策の細目ではなく、もっと根のところで見る。政治の仕事は、結局のところ「苦の処理」だ。物価、雇用、医療、教育、治安。国の制度は、国民の苦を減らすためにある。これは理想論ではない。社会がその方向に動かないなら、政治は“苦を増やす装置”になってしまう。
ここで私は、仏教の言葉を持ち出す。宗教を叩きたいわけではない。信仰の自由は別だ。ただ政治は、信じる人にも信じない人にも等しく強制される。その場で通用する評価軸は一つしかない。「苦が減ったか」。たったそれだけでいい。
苦が減らない。むしろ増える。なら、そのアプローチは間違っている。私がK明党を批判する最大の理由は、ここにある。
K明党の天井を作っているのは、第一に「支持母体が見える」ことだ。S学会が支持母体であることは、周知の事実だし、党としても否定していない。問題は宗教そのものではない。問題は、特定の信仰共同体の規律や論理が、全員に適用される政治の意思決定に接続しているように“見える”ことだ。無党派はそこで一歩引く。たとえ当人たちが「国民のため」と言っても、外からは“内輪の意思決定”に見えやすい。説明責任が通りにくい構造は、それだけで政治的不信になる。これが天井だ。
第二に、選挙が「動員の儀式」になりやすい点だ。支持者にとっては結束の場かもしれない。だが社会全体から見ると、政治が生活の道具ではなく、忠誠の確認や熱量の競争に見えてしまう瞬間がある。ここで苦が増える。時間が削られる。人間関係が摩耗する。断れない空気が残る。疲労と罪悪感が積み上がる。政治が「生活を軽くする」方向ではなく、「生活に荷重をかける」方向に働くのなら、広がらない。票は増えない。
第三に、連立の宿命がある。小党は連立に入ると、目立たない。目立てば連立が揺れる。目立たなければ存在理由が薄くなる。K明党は長く「ブレーキ役」とも言われてきた。ブレーキが必要な局面はある。だが、ブレーキは感謝されにくい。事故が起きなければ「最初から要らなかった」と言われ、事故が起きれば「止められなかった」と言われる。与党にいる限り“同罪”に見られ、与党を離れれば“実現力がない”と言われる。功績が票に変わりにくい構造が、最初からある。
第四に、ここが本丸だが、「苦へのアプローチ」が政治の場でも宗教の場でもズレているように見える点だ。仏教の基礎は、苦を外部の敵のせいに固定して終わらせない。自分の反応の回路、執着と反発と無理解を見て、それをほどく。ところが運用が「勝つこと」「拡大すること」「正しさを通すこと」に寄れば寄るほど、貪・瞋・痴が太る。もっと勝て。敵を叩け。考えるな。世の中を単純化しろ。こうして社会の苦は減らないどころか、内側でも外側でも増えやすくなる。ここまで来ると、政策以前に思想が負けている。だから選挙でも勝てない。
第五に、時代の空気が変わった。かつての日本は、組織に属すること自体が強かった。会社、地域、学校、町内会。だが今は違う。個人は軽い。情報は開く。疑問が先に立つ。宗教と政治が近い構造は、説明の不足がそのまま不信になる。「なぜそれが苦を減らすのか」を、誰にでも分かる言葉で示せないなら、若い層ほど離れる。理念ではない。結果だ。
結局、K明党が勝てない理由は、敵が強いからではない。設計が「苦を減らす道」に向いていないからだ。固定票という床はある。しかし、その床がある限り天井ができる。そして、その天井を突き破るには、苦へのアプローチを根から変える必要がある。
苦が減るなら、人はついてくる。苦が増えるなら、人は離れる。宗教でも政治でも、これは同じだ。私はその一点で、K明党を批判する。
