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S033|「中道」という名のトリューニヒト政治


反自民の足し算では国民の期待は生まれない

自民党に不満がある。

だからといって、左派に政権を任せたいわけではない。

現在の日本政治を考えるうえで、この当たり前の感覚が、なぜか野党の側には理解されていないように見える。

立憲民主党と公明党の衆議院議員らが合流して結成された中道改革連合は、2026年2月の衆議院選挙で49議席にとどまった。選挙後は立憲民主党、公明党を含む三党の完全合流を模索したものの、8月末に合流は実現せず、今度は「新たな形態」や統一会派を検討するという。

新党を作った。
選挙で大敗した。
残った二党も合流させようとした。

まとまらなかった。
そこで、また別の形を考える。

ここまで来ると、政治理念による再編というより、組織をどうすれば残せるかというパズルである。

「反自民」は政治思想ではない

中道改革連合の根本的な誤りは、自民党への不満を、そのまま反自民勢力への期待だと読み替えたことにある。

たしかに、自民党に対する不満は大きい。物価高、社会保険料、政治と金、外国人政策、農業、エネルギー、地方の衰退。国民が現状に満足しているとは言いがたい。

しかし、多くの国民が求めているのは、旧来の左派政策ではない。

手取りを増やしてほしい。産業と雇用を守ってほしい。電力を安定供給してほしい。治安と国防を弱くしないでほしい。外国人の受け入れには明確な秩序を設けてほしい。農業やインフラを維持してほしい。

これは右翼的な願望ではない。生活者として、ごく普通の要求である。

ところが、反自民の名の下に集まる勢力は、護憲、反原発、反安保、再分配といった従来の論点を持ち寄り、それを「中道」という包装紙で包もうとする。

包装紙を替えても、中身まで中道になるわけではない。

足し算をしたら、票が減った

政党再編を考える人々は、議員数や支持団体を足せば、その分だけ票も増えると考えがちである。

だが、有権者は部品ではない。

立憲民主党を支持していた人が、公明党との合流をそのまま歓迎するとは限らない。公明党を支持していた人も、立憲民主党の政策を丸ごと受け入れるわけではない。地方では、それまで互いに戦ってきた組織同士でもある。

一と一を足せば二になる。
それは算数の話である。

政治では、一と一を無理に束ねると、〇・七になることがある。
理念なき「大きな塊」は、支持を集める器ではなく、互いの支持者を逃がす装置になりうる。

トリューニヒトは民主主義の言葉で現れる

中道改革連合の迷走を見ていると、『銀河英雄伝説』に登場するヨブ・トリューニヒトを思い出す。

トリューニヒトは、民主主義を正面から否定する独裁者ではない。
民主主義、平和、国民、責任といった、誰も反対できない言葉を巧みに使いながら、自分の権力と生存を確保し続ける政治家である。

彼の言葉には、いつも立派な大義がある。

しかし、状況が変われば大義の説明も変わる。
そして、どのような結果になっても、本人だけは政治の中心近くに残っている。

合流できれば「歴史的な中道結集」。
合流できなければ「多様性を尊重した新しい連携」。
選挙に負ければ「新たな受け皿の再構築」。
党として立ち行かなくなれば「統一会派という現実的対応」。

何が起きても、説明だけは前向きである。
失敗が存在しない政治は、成功している政治ではない。失敗を言葉で消している政治である。

資本主義対社会主義という古い舞台

日本の政治家は、いまだに資本主義か社会主義か、右か左かという二十世紀的な対立軸に縛られている。

だが、現実の国家は純粋な資本主義でも純粋な社会主義でもない。
市場経済を利用しながら、医療、年金、教育、道路、防衛、農業には国家が深く関与している。

問うべきなのは、どちらの主義が正しいかではない。

何を市場に任せるのか。
何を公共が担うのか。
権力を誰が監視するのか。
無能な指導者をどう交代させるのか。
有能な指導者が去ったあとも、制度が機能するのか。
『銀河英雄伝説』が描いたのも、この問題だった。

自由惑星同盟は民主主義だから自動的に善政になるのではない。
銀河帝国も、有能な皇帝が現れたから専制政治の危険が消えるわけではない。制度の看板と、実際の統治能力は別物である。

この視点に立てば、「左派を集めて中道と名乗る」という発想が、いかに表面的かが分かる。

中道とは、右と左を半分ずつ混ぜることではない。
現実の問題に対して、思想の都合より国民生活を優先し、実行可能な答えを出すことである。

民主主義を空洞化させるもの

民主主義を壊すのは、軍服を着た独裁者だけではない。

選挙に負けても責任を曖昧にし、党名と組み合わせだけを変え、国民のためという言葉で組織防衛を正当化する。
その積み重ねもまた、民主主義を内側から空洞化させる。

政治家が守るべきなのは、自分たちの議席ではない。
政党という器でもない。
国民が、その政党を選ぶ理由である。
反自民だけでは、その理由にはならない。

左派を寄せ集めて「中道」と書いた旗を立てても、国民がそこに未来を見るとは限らない。
むしろ見えてしまうのは、美辞麗句を掲げながら、どの体制でも生き残ろうとする政治家の姿である。

日本の政治家は、一度『銀河英雄伝説』を見た方がよい。
ただし、トリューニヒトの演説術を学ぶためではない。

自分がすでに、トリューニヒトになっていないかを確かめるためである。


参考



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