S210|整備士不足は「若者の車離れ」ではない
1.自動車メーカーは、整備士の給与まで支えるべきだ
「手取り20万円では人材確保が困難」
自動車整備業界を扱った記事の見出しを見て、当然だと思った。
自動車整備士は国家資格を必要とし、人の生命に関わる仕事である。故障を見落とせば、運転者だけでなく、同乗者や歩行者まで危険にさらす。それほど責任の重い仕事でありながら、若い整備士の手取りが20万円前後にとどまるのであれば、人が集まらないのは不思議ではない。
それを「若者の車離れ」「整備士という仕事の魅力が伝わっていない」と説明するのは、問題のすり替えではないだろうか。
魅力が伝わっていないのではない。
待遇を見れば、職業として選びにくいのである。
2.整備士は減っていないが、高齢化している
日本自動車整備振興会連合会の2025年度調査によれば、全国の整備士数は約33万3500人で、前年よりわずかに増えている。
しかし、整備要員の平均年齢は47.7歳まで上昇した。専業整備工場では平均53.0歳である。一方、ディーラーでは37.9歳となっており、待遇や採用力の違いが、年齢構成にはっきり表れている。
平均年収は全体で約443万円、ディーラーでは約535万円、専業・兼業の整備工場では約402万円である。
平均年収だけを見ると、それほど低くないように感じる人もいるかもしれない。
しかし、この数字には年齢の高い熟練者も含まれる。若い整備士が、専門学校へ通い、資格を取得し、工具をそろえ、暑さや寒さの中で働きながら得られる給与とは別の話である。
しかも、全国の認証工場は約9万2000事業場あり、1事業場当たりの整備要員は平均4.36人しかいない。整備業界の多くは、人数の少ない小規模事業者によって支えられている。
小さな町工場に、設備投資、教育、採用、賃上げのすべてを負担させても限界がある。
3.車を高度化させたのは自動車メーカーである
かつての整備は、機械的な調整や部品交換が中心だった。
現在の自動車には、電子制御装置、各種センサー、カメラ、レーダー、運転支援装置、高電圧バッテリー、通信機能などが搭載されている。
整備士には、従来の機械技術だけでなく、電気、電子、通信、コンピューター診断に関する知識まで求められるようになった。
車両を高度化したのは、自動車メーカーである。
高度な装置を搭載することで商品価値を高め、車両価格を上げ、利益を得てきた。一方、その車を十年、十五年と維持するために必要な教育や設備、人材確保の負担は、販売店や整備工場へ流れている。
メーカーは整備士に対し、高い技術水準を要求する。
トヨタも、独自の教育、技術検定、研修制度によって、サービススタッフの技能を高めていると説明している。
技術教育を行うこと自体は必要であり、評価されるべきだろう。
しかし、技術水準には関与しながら、給与については各販売会社や整備会社の問題として切り離すのであれば、現場からはこう見える。
技術はトヨタ基準、給与は地方の中小企業水準。
これでは、求められる能力と受け取る賃金が釣り合わない。
4.なぜ、特にトヨタが動くべきなのか
この問題はトヨタだけの責任ではない。
日産、ホンダ、スズキ、マツダ、スバル、三菱など、すべての自動車メーカーが関係している。保険会社、部品メーカー、中古車業界にも責任はある。
それでも、最初に動くべきなのはトヨタだと思う。
最大手には、業界の仕組みを変える力があるからだ。
トヨタの2026年3月期の営業利益は約3兆8000億円だった。前年より減益とはいえ、巨額の利益である。
もちろん、企業利益のすべてを労働者へ配ればよいという単純な話ではない。研究開発、設備投資、雇用維持、将来への備えも必要である。
しかし、自社が製造した車を安全に維持するための人材へ、利益の一部を還元することは、慈善事業ではない。
それは、自動車メーカー自身の事業基盤を守るための投資である。
整備士が不足すれば、車検や修理の予約が取れなくなる。事故車の復旧が遅れ、故障診断にも時間がかかる。地方では整備工場そのものが消え、自動車を所有し続けることが難しくなる。
どれほど優れた車を製造しても、維持する人がいなければ商品として成立しない。
5.「自動車整備人材基金」を作る
必要なのは、単発の就職祝い金やイメージ広告ではない。
自動車メーカーを中心とした、継続的な給与補助制度である。
たとえば、自動車メーカーが新車一台を販売するごとに、一定額を「自動車整備人材基金」へ拠出する。
保険会社、部品メーカー、リース会社などにも、事業規模に応じて負担を求める。
集めた資金は、整備会社への一括補助ではなく、整備士本人の技能手当として支給する。
たとえば、次のような仕組みである。
二級整備士には月額の資格手当を支給する。一級整備士、高電圧車両、電子制御装置、先進運転支援装置などの資格や技能に応じて加算する。
経験年数や指導者資格にも手当を設ける。
ディーラーだけでなく、地域の独立系整備工場も対象にする。
また、会社側が基本給を下げ、基金からの手当で穴埋めすることを防ぐ必要がある。基金の手当は既存給与とは別枠とし、整備士本人へ届くことを確認できる制度にすべきだ。
仮に10万人の整備士へ月3万円を支給しても、必要額は年間360億円である。
トヨタの営業利益3兆8000億円と比較すれば、1%にも満たない。トヨタ一社で負担するのではなく、メーカー各社や関連業界で分担すれば、負担はさらに小さくなる。
それによって整備士が、年間36万円の継続的な収入増を得られるなら、職業選択や離職防止に与える効果は小さくない。
6.PRポスターより給与明細を変える
国土交通省も整備士不足を認識している。
自動車整備技能登録試験の受験申請者数は2015年度をピークに減少し、2024年度には過去最低となった。
国は、若者や女性に仕事の魅力を伝えるPRポスター、高校訪問、整備士養成施設の取り組み紹介などを行っている。
これらが無意味だとは言わない。
しかし、高校生に整備士の魅力を説明しても、卒業後に受け取る給与が低ければ、現実を知った段階で選択肢から外される。
つなぎのデザインを変え、仕事体験を開催し、格好よいポスターを作っても、給与明細は変わらない。
整備士不足の根本的な原因は、職業の知名度ではない。
資格、技能、責任に対して、十分な対価が支払われていないことである。
7.安い整備を求め続けることはできない
利用者側も、この問題と無関係ではない。
車検や修理は安い方がよい。工賃が高いと不満を言い、インターネットで最安値を探す。
その一方で、整備士不足によって予約が取れない、修理に時間がかかる、地域の工場が閉店したと嘆く。
この二つは両立しない。
安いサービスの裏側には、安い賃金で働く人がいる。
整備士の給与を上げるなら、整備料金や車両価格に一定の負担が加わることを、利用者も受け入れなければならない。
ただし、利用者が払った金が、メーカーや経営者の利益に消えては意味がない。だからこそ、整備士本人に届く基金と手当の仕組みが必要なのである。
8.整備士不足は、利益の配分の問題である
整備士不足を、少子化だけで説明してはいけない。
若者が減っていることは事実だが、若者が少ないからこそ、待遇の悪い業界から先に選ばれなくなる。
人が来ないのは、若者の価値観がおかしくなったからではない。
専門技術を身につけても、生活が豊かにならない仕事を避けているだけである。それは合理的な判断だ。
自動車産業は、車を設計する人、製造する人、販売する人だけで成立しているのではない。
十年、十五年と車を安全に走らせる整備士がいて、初めて産業として完結する。
自動車メーカー、特に業界最大手のトヨタには、技術教育だけでなく、整備士の生活を支える賃金の仕組みまで作る責任がある。
整備士不足を本気で解決したいのであれば、若者に「夢」や「やりがい」を語る前に、まず給与明細を変えるべきだ。
車を造って利益を得る者が、車を維持する者の生活にも責任を持つ。
この仕組みを作れば、整備士不足の問題は、少なくとも解決へ向かう筋道を持つはずである。

