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S208|採用で失敗しない本当の方法——超サイヤ人はいない


求人票を開くと、判で押したような文言が並んでいる。

「向上心のある方」
「成長意欲旺盛な方」
「リーダーシップを発揮できる方」
「チャレンジ精神のある方」

業種も規模も違う会社が、なぜか同じような言葉を使っている。
要するに、若い超サイヤ人募集である。
しかし、超サイヤ人は求人票など見ない。

スカウターが売れている

「不適性検査スカウター」という適性検査サービスがある。
導入社数は32,000社以上だという。

この数字が何を意味するか。

優秀な人材を探す以前に、最低限機能する人材を確保することすら難しい現場が、それだけ存在するということである。

ちなみに「スカウター」といえば、ドラゴンボールに登場するあの機械である。敵の戦闘力を数値で弾き出し、「戦闘力53万です」と冷笑する、フリーザ様御用達のあれだ。

このサービス名が意図的なのかは知らない。

しかし、この名前は、はからずも日本の採用現場の本質を突いている。
私たちはずっと、スカウターで超サイヤ人を探し続けてきたのではないか。そして、周知の通り、超サイヤ人はいない。

「優秀さ」という幻

このサービスの開発者たちは、長年にわたって「優秀な人材に共通する要素」を探し続けたという。

だが、検証を重ねれば重ねるほど、ある現実に突き当たった。
活躍している人材のタイプは、多様すぎる。

販売職で、入社直後から成果を出す人がいる。
同じ職場、同じ条件でも、何年経っても成果が出ない人もいる。
上司が替わった途端に開花する人もいる。
他社では活躍していたのに、自社では力を発揮できない人もいる。

つまり、「優秀さ」は文脈に依存する。

環境に依存し、上司に依存し、仕事の種類に依存し、組織文化にも依存する。
だから、どこへ行っても通用する普遍的な「戦闘力」など、原理的には測れない。スカウターで測れるような「優秀さ」は、存在しないのである。

だが、開発者たちは逆側から光を当てた。

活躍する人材の共通項は見つからなかった。
しかし、活躍していない人材には、一定の傾向があった。

それを彼らは「不適性」と名付けた。

優秀さを探すのではなく、不適性を避ける。
これは敗北ではない。
むしろ、現実と和解した者だけが辿り着ける知恵である。

皮肉なことに、スカウターというサービスが広く使われている事実そのものが、「優秀な人材」を追い続けた採用現場の限界を、静かに証言している。

普通な人材が組織を支えている

現実には、優秀な人材よりも、普通な人材の方が重要である。
この言い方は、少し挑発的に聞こえるかもしれない。
しかし、少し考えれば当たり前のことだ。
どんな組織も、日常業務の大半は「普通に働く人」によって回っている。

「会議の議事録を取る。」
「納品物を確認する。」
「顧客からの電話に出る。」
「在庫を管理する。」
「決められた手順を守る。」
「分からないことを確認する。」
「無断で休まない。」
「小さなミスを放置しない。」

これらは、超サイヤ人でなければできない仕事ではない。
そして、これらが滞れば、組織は止まる。
さらに言えば、「普通に働ける人」は、実は希少である。

「離職しない。」
「最低限学ぼうとする。」
「過度な不平不満を周囲に撒き散らさない。」
「自分の機嫌で職場を壊さない。」
「報告・連絡・相談が最低限できる。」

この条件を安定して満たす人材は、思っているほど多くない。
採用担当者が「普通でいい」と口にするとき、その「普通」がいかに高いハードルであるかを、現場は身に染みて知っている。

一方で、いわゆる優秀な人材は流動性が高い。

より良い条件、より面白い仕事、より高い報酬を求めて動く。それは本人にとって合理的な行動であり、責めることではない。

だが、組織にとっては不安定要因でもある。

定着する普通な人材が組織の土台を作る。
その土台の上に、初めて優秀な人材の能力が生きる。
土台なき高層建築は建たない。
求人票が「超サイヤ人募集」を続けている間に、組織の土台は静かに劣化していく。

採用実務への提言

加点式から減点式フィルタへ

では、具体的にどう考えればよいか。
第一に、採用基準を「加点式」から「減点式フィルタ」へ転換することである。

「何ができるか」を積み上げるのではない。
「何が起きないか」を見る。

「すぐに辞めないか。」
「最低限の協調性があるか。」
「著しく学習を拒否しないか。」
「感情の起伏で職場を乱さないか。」
「ミスを隠さないか。」

まず、ここを見る。

これらの最低限をクリアしている人の中から、職場との相性を見て選ぶ。
それで十分である。
むしろ、中小企業の採用では、それ以上を望みすぎる方が危ない。

第二に、不適性の指標を事前に言語化しておくことだ。

「なんとなく合わなかった」という直感は重要だ。
しかし、それだけでは再現性がない。

「入社後半年で辞めた人は、面接でどんな発言をしていたか。」
「前職の退職理由に、どんな特徴があったか。」
「質問に対して、どこか他責的な反応はなかったか。」
「仕事内容への理解が浅いまま、条件だけを見ていなかったか。」

こうした記録を残すことで、その組織固有の「不適性パターン」が見えてくる。
採用に必要なのは、占いではない。
記録である。

第三に、中小企業ほど、この発想が有効である。

大企業は母集団が大きい。多少の採用ミスを、人数や配置転換で吸収できる。しかし中小企業では、そうはいかない。

一枠しかない。
応募も数名しかない。
採用した一人が合わなければ、現場全体が揺れる。

その状況で「優秀な人材」を追い求めるのは、フリーザがスカウターで超サイヤ人を探し続けるのと同じくらい危うい。
そして、ご存じの通り、その結末は悲劇である。

「普通であること」の肯定

採用の失敗は、多くの場合、個人の問題だけではない。
基準設定の問題である。

「優秀な人材」という幻を追い続ける限り、採用は失敗し続ける。
そして、その失敗のたびに傷つくのは、組織だけではない。
「合わなかった」と判断された側の人間もまた、傷つく。
だからこそ、採用はもっと現実的であってよい。

超サイヤ人はいない。

しかし、普通に、誠実に、粛々と働ける人間は確かにいる。
その人たちこそが、組織を支え、社会を動かしている。
採用とは、本来、その人たちを見つけ、迎え入れる行為であるべきだ。

求人票に「向上心のある方」と書いた担当者も、おそらくは普通の人間である。
超サイヤ人を探しながら、自分もまた超サイヤ人ではないことを、どこかで知っている。
その自覚から、採用を始めた方がいい。

人間は、戦闘力のような一つの数値で測れる存在ではない。
誠実さ、粘り強さ、相性、傷つき方、怒り方、学び方、黙り方。
それらが複雑に重なって、一人の人間になる。
だから採用とは、数値で人を裁くことではない。
この職場で、その人が普通に働き続けられるかを見極めることである。

なお、行遠様にスカウターを使用した場合、戦闘力が高すぎるのではなく、測定項目が多すぎてスカウターが爆発する。

人間とは、本来そういうものである。


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