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虹の根元に住んでいる

ある中国女子との出会いから、社会的「家族」に憧れながらも、自分にとっては血縁にも法律にも縛られない心の絆が「家族」と思ったという話。


彼女との出会い

元祖私の通訳

私が一番仲が良い卒業生女子の実家に遊びに行ってから一週間。

この一週間も早ければ、彼女と出会って今に至るまでもものすごく早い。

彼女は2015年に入学した日本語科15級の学生。
私は2016年11月に初めて中国に行ったが中国語も何もわからなかった。

彼女は元祖私の通訳だ。

通訳の能力というのは、何も言語を正確に翻訳することだけじゃないと思う。いかにこちらの意図を読み取るか、もとの言い方やニュアンスのまま相手に伝えられるか、その能力も含めて、彼女はものすごく能力が高かった。

最終的には、私がうまく言語化できないことすら、的確に中国語で相手に伝える能力さえ身につけた。

一番わかりやすいのが、「バカ野郎この野郎」通訳である。

「バカ野郎この野郎」通訳

あれは観光学部のジェスチャー王の班長が試験後私の家に来た時のこと。

日本語はろくにできないくせにジェスチャーで私と意志疎通がはかれるレベルになった班長は、「党員になりたいから成績を改ざんしろ」と言ってきた。

しかも「他の先生はやってくれた」とか言い出す。

これに私は激怒。本当かどうか知らないが、これは私の地雷だった。

「なーんで他の人がやったら私もやらなきゃないんだよ! そもそも成績なんて改ざんするか、ぼけぇ!」

結局それから一時間、彼が取り付く島もなく、私はずっと「バカ野郎、この野郎、不行(ダメ)」しか言わない。

らちが明かないと思った彼は、私の通訳女子を呼んでくれと言う。

でも呼んだからとて変わらない。私は相変わらず「バカ野郎、この野郎、不行(ダメ)」しか言わない。でも彼女はこれを中国語で色々言い方を変えながらも彼を説得。ついには追い出した。

なんて有能な通訳だ! 通訳どころか説得までしてくれるとは!

通訳にも相性があると思うけど、間違いなく彼女が私にとって最高の通訳だ。

そして彼女は通訳以外の面でも私の精神的な支えだった。

中国の「家族」

国籍は関係ない

私は2013年に東京で元夫と出会い、2014年に結婚したがすぐ別居。
もう一度やり直そうと2016年中国に赴任する彼を追い中国に行った。

しかし、日本同様、中国でもすぐ結婚生活は破綻。

元夫とは一緒にご飯を食べることさえとにかく難しく、「普通」とされるコミュニケーションが取れなかった。

当時は、言葉もわからず中国に行ってたいへんだったんじゃないかと、よく人に言われたが、同じ言語を話したってコミュニケーションが取れない相手もいる。

私にとって15級の学生たちのほうが、信頼でき安心できる「家族」だった。

15級の男女数人はしょっちゅううちに入り浸り、私と一緒にごはんを食べてくれた。元夫と二人きりは本当にきつかったのだが、彼らがいたから生活できた。

特に先週私が会いに行った卒業生女子は、私にとっては今でも「家族」のような存在だ。

恐怖のキッチン

本来四年生は8週で授業が終わったら実家に帰ったり、インターンに行ったりする。

でも彼女は卒業のぎりぎりまで寮に残った。

そしてしょっちゅううちに来てくれた。

なにせ二人になると元夫が暴れるし、一度キレると手に終えない。

これが嫌で日本では早々に別居したが、中国では色んな学生がうちに出入りしてたし、二人きりじゃなければおとなしい。

そんなわけで、彼女はよく家にいた。

すごいと思ったのが、元夫がキッチンでまな板に包丁でものすごい音たててなんか切り刻んでる時。私が条件反射で震えあがっていると、彼女は私の背をなでて「大丈夫ですよ」と言い、一人でキッチンに入っていった。

「何作ってるんですかー?」

その声で元夫はいつもの外面に戻り、その場はなんなくおさまった。

彼女は私にはとことん優しいが、本来性格はきつく気が強い。

もうほんと彼女や15級の学生がいたからこそ、結婚生活が続いたようなものだった。

卒業と離婚の年に泰山へ

2019年6月。彼女の卒業直前、私の離婚一ケ月前。

なぜか元夫と三人で中国の名峰・泰山に登る。

中国一の聖山で御来光を拝もうと夜から登ったが夜中に雷雨。しかし私が晴れ女だからか、天帝の情けか、朝日を見ることができた!

私は単純なので、ちょっといいことがあると、もう少し結婚がんばろうかなーと思ったりもしたけれど、元夫は一度言語化したことは絶対の人で、「離婚」ともう決まってたから、それを覆そうものなら高鉄の車内だろうが奇声を上げる。

結婚の努力は二人でしてこそだから、一人でしても仕方がない。

ほんともう一人いればなぁ。

ゴリラと三人で結婚できないかなぁ

彼女が学校を去った日は今でも覚えていて、私は卒業生を大抵門まで見送るけど、彼女だけはそれができないと思い、窓からそっと寮を出る彼女を見送った。

本当に感謝しかなかった。

当時、中国語がまったく話せなかった私の通訳をしてくれて、授業の手伝いもしてくれて、プライぺートでも私を守ってくれた。

ある時私は彼女に言った。

「ねえ、三人で結婚できないかなぁ」

私は元夫と二人きりになるのが本当にきつかった。

当時のメモを見たら「何これ?ゴリラ?」と思う。

『りんご投げつける、ビールまき散らす』

ゴリラとは家族になれなかったけど、間接的に彼のおかげで私は中国で家族をみつけることができた。

こたつを家族で囲むという夢も学生たちと叶えることができた。

ちなみにこたつは離婚後真っ先に捨てられた。

まあ、「こたつ」だ「家族」だ、向こうにとっては苦痛だったのかもしれない。

「家族」も相性

彼女の実家に最初に行ったのは卒業してすぐのことだっただろうか。
今の旦那さんとまだ結婚してない時で、彼氏だと紹介されて三人で遊んだ。

離婚後、私はもといた四階から一階に引っ越し。

鼠部屋だったが、学生たちの協力で何とか住めるようになった。

年越しにはなぜか卒業した15級の男子たちが来てくれた。私が離婚して一人になったのをかわいそうに思ったからかもしれない。

せっかくみんな来たので、四階の元夫にも声をかけたが、みんなで盛り上がってるところ、一人すかしていた。

思えばこういうところが本当に嫌で、学生とかにも気を遣わせるところとか、私はよく怒った。

でも今思えば、鳥に海中を泳げとか、魚に空を飛べとか言ってるようなもので、海や空では呼吸ができないし、彼も苦しかったんだろう。

私が「家族」を欲するほど彼は必要としてないし、とにかく相性が悪かった。

私はむしろ中国の学生たちのほうが相性がよかった。

当時は寮にエアコンもなかったし、学食はまずいしで、学生たちがしょっちゅう家に入り浸ったし、中にはシャワーも借りていったり、昼寝をしているのもいた。

家に帰っても元夫はどこに行ったかもわからず、連絡もつかない。私に「おかえり」と言ってくれるのはいつも学生たちだった。

元夫と二人なら寂しくて耐えられなかったが、学生たちがいたから私は全然寂しくなかった。

虹の根元に住んでいる

彼女から増えた小さな「家族」

離婚もしたし、大学を辞めようと思ったけれど、2020年からコロナになり、日本で三年オンライン授業をした。

この間に彼女は結婚。
結婚式にも呼ばれたけれど、コロナで中国には行けず。

妊娠した時も彼女はすぐに報告してくれた。

出産は予定より少し早くて、大量出血だったという。

意識が戻って医者に言われた第一声が「あんた太っててよかったね」

今では笑い話だが、当時の出血を思うと、本当に無事でよかったと思う。

そんな状態だったのに、出産後三日目にすぐ私に連絡をくれた。

生まれたのは女の子。私は名前の一字をとって「羽たん」と呼んでいる。

彼女は妊娠中から写真や動画をたくさん送ってくれたので、私にとってはもはや孫。

羽たんは人見知りの激しい子だったが、なぜかビデオチャットでも、私を見ると泣き止んだり、興味を示してきた。

そしてコロナ後、中国に戻り、私はすぐ彼女の実家を訪れた。

この時、羽たんは二歳ぐらいだっただろうか。

まだしゃべることができなかった。それでも私にミカンを向いてくれたり、てけてけ後をついてきたり、追いかけっこをして遊んだ。

その後もビデオで成長を見守り、ビデオチャットでは紙芝居を見せると喜んだ。

そして先週、私は紙芝居を持って彼女の実家を訪れる。

羽たんは紙芝居を見せると喜んだ。ずっと私にべったりで、朝起きるとまず探しにくる。

羽たんは日本語の発音がものすごくいい。思えば二年前も日本語で話しかけるとうなずいたり、今回も私の日本語を完璧に真似た。

もしかして日本人の血が流れてるんじゃないかと思わせる不思議な子だ。

彼女の「普通」は私の「奇跡」

彼女が四年生の時、当時彼女が家庭教師をしていた駐在員さんの会社の通訳をやらないかという話があった。

日本の大企業だし、お給料も確かかなりよかった。

それでも彼女は断った。

親の近くで働きたいからと。それがご両親の望みでもあった。

日本に留学する話もあったが、色々な事情で断念せざるを得なかった。

それでも、今の彼女の生活を見ていると、その選択は間違ってないと思う。

彼女の実家は私が理想とするような家庭だ。

彼女のお母さんも妹も同じ団地に住んでいてみんな仲がいいが、私の親や親戚はそんなことない。

そもそも私は血縁に絆なんて感じられない家庭環境で、私が家族と思う人たちは必ずしも血が繋がってるわけじゃない。

前回彼女の家で親戚みんなで火鍋を囲んだ時も、まるでホームドラマの中にいるような気持ちになった。

彼女にとっての「普通」は私にとっては「奇跡」だ。

彼女はよく旦那さんの実家をおかしいと言うが、私はそのたび彼女に自分の家を「普通」と思ってはいけないと言っている。

「旦那さんはいつも携帯を見ていて子どもをみないです」と彼女は言うが、子どもが「あそぼー」と言えば遊んであげるし、ごはんも食べさせている。

元夫は、学生が来ていても、パソコンの前から離れなかった。目の前の人間よりネットの民。それに比べれば彼女の旦那はずっとまし。

それに私がはらはらするのが、気が強い彼女が旦那さんを叩く時。

「やり返してこないし、暴力振るわないし、いい旦那さんじゃないか」

私が言うと、彼女は腑に落ちない様子。

彼女の旦那さんは、私にも愛想よく挨拶してくれるし、乗り気じゃなくてもゲームに参加してくれる。何より彼女のご両親と仲良くしてるし、働いてるし、大声でわめくわけでもない。

「足りない部分を見るより、今してくれてることに目を向けたほうがいいよ」

先週、私はそう言った。

彼女にとっての「普通」は私には手に入らなかったものばかりだ。

そして帰る日。私は高鉄の駅に向かう途中にダブルレインボーを見た。

さらに虹の根元もはっきり見た。

彼女がいる場所はまさに虹の根元。虹の根元には宝物があるという。

そこにいる人は気づかない。

でも私ははるばる日本からそれが見えるところまで来たんだと思った。

結婚生活は5年だった。出会って1年後に結婚。トータルでもたった6年。

一方、彼女と出会ってからはもう10年になろうとしている。

元夫と出会って、中国に来て、彼女を筆頭に多くの学生と出会った。

直接的には結婚で「家族」はできなかったけど、間接的には「家族」ができた。

私を彼女に出会わせてくれたこと、中国で家族同然と言ってくれる人たちと出会えたこと、それは元夫と結婚したおかげだと、今は感謝している。

そう考えたら、「家族」を持ちたいと思った私の選択は間違ってはいなかったのだ。

私にとっての「家族」は血縁や法律で縛られるものじゃない。純粋に心で繋がるものだと思っている。

まあ、それでも正直、社会的な家族に憧れはある。だから彼女の家庭にも惹かれる。

そんな虹の根元に住んでいる彼女や羽たんや「家族」を、私は見守っていくんだろう。

まもなく中国を離れても、どんなに遠くに行ったとしても、心にかかる虹の根元にいつでも「家族」が住んでいる。






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