見出し画像

アジスキタカヒコネの実の尊

前話「葦原中国の信の実」国譲りの舞台は出雲国ではなく、豊葦原之千秋長五百秋之水穂国、長いから省略して葦原中国。中国とは長(那賀)国、天津神の粟国と国津神の長国の戦い。出雲国風土記が記す出雲土着の神が登場したらそれは創作。

出雲大社氏社に出雲国造家の祖神として奉られる天菩比神、最初の使者は天照の次男、三年音沙汰なしでもお咎めはない。長男の天忍穂耳命が現在の天皇家にまで繋がる直系ですが、No.2の出雲国造家は今でも出雲大社宮司を担っている。天皇家と千家家の関係は続き、現在宮司である千家国麿氏は2014年に高円宮憲仁親王、第二王女典子女王と婚姻する。大国主神を封じ込めるのは大事な務め、お咎め無しは当然だ。

しかし血縁ない第二の使者、天若日子は八年後に天罰が下る。まず高御産巣日神の神令である思金神は雉名鳴女を遣わす。鳴女は天若日子が居る門柱から天神の詔を伝えるのですが、天佐具売は鳴声が甚だ悪い射殺すべしと天若日子へ言うと、使者に立つ際に賜った弓矢を天若日子が逆さに射上げます。矢は雉の胸を通り、天照や高木神が坐す天安河之河原に届く。

なぜか古事記はここから高御産巣日神を高木神と記します。日本神話最大の目的は神様仲間作り、同一神にしてしまえば新配役は不要。「天之御中主を抹殺した日本書紀の真の理」高御産巣日神は歴代の北極星、妙見信仰へ昇華するのですが、高木神は木の神です。天忍穂耳命と婚姻して邇邇芸命を生む万幡豊秋津師比売命は高木神の娘。

豊秋津島は本州を意味し、幡は秦氏に繋がる機織りした布、多い意味の万を日本書紀は楮の繊維または白膠木の栲にして栲幡千千姫命と改名する。楮は低木だが白膠木は小高木、白膠木の粘液は漆同様の塗料。高の字が共通するだけで天孫の母に箔を付けるため同一神。豊秋津師を千千へ改名も意味深、卑弥呼の後継者は台与です。

高木神は届いた矢は血塗られ天若日子に与えた矢と気づき、天若日子に邪心が有るか無きかをその矢を下り返して占う。その結果は寝ていた天若日子の胸に当たり天若日子は死ぬ。「還し矢」の元、雉還らずが当時の諺の「雉の頓使い」の元。今は「反し矢」か「返し矢」と書き射たれた矢を射かえす。

「雉子の頓使い」は、行ったきりで帰らない使者を忌む言葉、胸を射抜かれて帰らないは可哀想、帰れるわけないでしょう。「雉も鳴かずば撃たれまい」の方が雉名鳴女には相応しい。ちなみに鳴声が悪いと言った天佐具売は天邪鬼の元らしい。古事記由来の諺もあるが、その当時に確立していた諺もある。

天若日子の妻の下照比売が哭く声は天にいる天津國玉神やその妻子に届き、降り来て悲しみ喪屋を建てて八日八夜遊ぶ。殯なのに遊ぶと古事記は記すがその様子はかなり大掛かり。雁が死人の食物を運び、鷺は箒で穢を祓い、翡翠が御料理人、雀は碓つく女、雉が哭く女、みな鳥なのは鳥葬の暗示だろう。八日もあれば鳥達は跡かたもなく死体を食い尽くすのです。

そこへ下照比売の同父同母の阿遅志貴高日子根神が来ます。神様仲間づくりだが二人は大国主神と多紀理毘売の子です。不思議なことに阿遅志貴高日子根神と天若日子がそっくり。天津國玉神夫妻は息子は生きていたと手足に取りすがる。両親と嫁の兄とは初対面かもだが、夫と兄が似ていることを下照比売は知っているのに反応無きはその場にいなかった。

出雲国風土記は阿遅須枳高日子命と記す出雲土着の神です。出雲土着の神が登場したら出雲が国譲りの舞台と偽る創作。下照比売以外は神と記すから、神々の物語にして何でも有り。阿遅志貴高日子根神は穢らわしい死人に似るとはと怒って、大量剣またの名が神度剣で喪屋を切り伏せ蹴飛ばしたのが、美濃國藍見河の河上にある喪山。この話が絵空事ではないと岐阜県垂井町に喪山古墳が現存するが川上の山には程遠い。

藍は阿波の特産品、美濃田の淵は今でも吉野川の景勝地です。ただし喪山は天若日子の墓、阿遅志貴高日子根の墓ではない。「少名毘古那神は精の尊」にて本当の迦毛大御神を語った。下照比売の兄と夫が似るのは迦毛大御神に化けた暗号です。阿遅志貴高日子根を迦毛大御神に大抜擢した理由を歌にし古事記は下照比売が兄の名を顕し、しかもそれは夷振と記す。

夷振は阿波の三番叟まわし、三番叟は能や狂言に並ぶ式三番、三番叟の舞は揉ノ段は面を付けず鈴ノ段は黒式尉を付けて五穀豊穣を二段構成で寿ぐが、阿波の三番叟まわしは千歳、翁、三番叟、えびす、四体の木偶人形を人形遣いが操ります。一人か二人の鼓打ちと共に各家まで出向いて行う民間神事。えびすは恵比寿様の事代主、生夷神社が徳島県勝浦町に在る。

「天なるや 弟棚機のうながせる玉の御統 御統にあな玉はや み谷わたらす 阿遲志貴高日子根の神ぞ」フリガナが朱書き。「阿米那流夜 淤登多那婆多能宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須(麻を挿入)流𨒛 阿那陀麻波夜美 多𨒛布多和多良須 阿治志貴多迦比古泥能迦微曽也」(麻)は墨で追記している。朱書きのフリガナの訂正も墨、婆の「ハ」には「゛」を追加、淤の「シホ」を「ヲ」に訂正、濁点表記は江戸時代以降の話。

天の岩戸の真の実」粟は阿の一文字、那は菜花を現すのは多那婆多が明示する。七夕を「たなばた」と訓む由来の逸話、織姫は秦氏の星だから後付けされた。多那婆多とは田と菜畑、阿米那流夜は枕詞みたいなもの、粟、米、菜花の豊作を祈る。淤登はシオに登る「神世七代も天を駆ける?駆けてた?」天の沼矛を引き上げ滴るが積もって淤能碁呂島ができる。

三種の神器の八尺瓊勾玉の信の実」美須麻流之珠は勾玉、三種の神器の八尺瓊勾玉、淤能碁呂島に置き五穀豊穣を祈る。阿波の由来は阿那陀麻波、夜美は隋書倭国伝が夜光ると記す。多𨒛布多和多良須、三番叟まわしは他より二回しする意味。式三番は二段構成に対し、阿波木偶は四体ある四部構成です。

通説は「阿遅」が「阿治」に表記を変えたことを無視する。「阿治」は阿波を治める、夷振はどのように治めたかを著す。今も天皇は八尺瓊勾玉に国民の幸せを必死に祈っています。天智天皇第七皇子の志貴皇子、自身は皇統に名を刻まないが、子の光仁天皇が770年即位し現在の皇室もその子孫です。

ツクヨミノマコト】(古事記全文解読シリーズ)
三貴子なのに古事記では活躍しない月読尊。きっと天皇家を陰で支えた氏族が信奉しました。古事記を全文解読し、謎の神ツクヨミのマコトに迫り、日本古代史に光を当てます。まだまだ古事記には暗号が埋まっています。暗号だけじゃなく、恣意的に誤訳しています。どんどん解明していきますから、フォローして楽しんで頂けたら幸いです。

#日本史がすき

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集