トッカン-警視庁異常事案特別管理室- 第1話①
あらすじ
新人刑事の嵯峨野純太は、若者が異形化して死亡する「異常増殖事件」を追う最中、親代わりの恩師を殺害される。復讐を誓い、警察の裏組織「特別管理室」へ移籍した純太を待ち受けていたのは、理想の自分になれると噂されるサプリ『Dream』を用いた元科学者・縣迅による「人類再編計画」だった。 恩師を殺した犯人は、計画の実験台として獣のような生体兵器へと変貌させられた青年・椋原。憎むべき仇でありながら、過酷な運命に翻弄され苦悩する椋原を前に、純太は恩師の信念に従い「彼を人間として正道に導く」選択をする。傷を抱えた二人がバディとなり、巨大な陰謀に立ち向かう近未来バディSF。
腕が咲いた男の遺体が発見された。
死後数時間と思われる遺体は異常なほど腐敗が進んでおり、「異常増殖事件」の新たな被害者である可能性が高い――通信指令センターから捜査一課に出動要請が入ったのは、梅雨入りも間近な湿った六月九日の早朝だった。
「起きろ、嵯峨野!」
「んが、ふぁい!」
昨年配属されたばかりの新人、嵯峨野純太は仮眠室に響き渡った怒号で簡易ベッドから飛び起きた。寝ぼけたまま慌ててアイマスクをむしり取り、まだ重い瞼をこする。
覚醒していく視界で捉えたのは、鬼の形相をした松田喜平だった。定年退職も間近だというのに、未だ精力的に仕事をこなすベテラン刑事であり嵯峨野の教育係でもある。
ひっ、と漏らしかけた声を飲み込んで、嵯峨野はだらしなく緩んだネクタイを締め直す。名前を呼んだら十秒で支度しろ、と配属当初から散々叩き込まれてきたのだ。もたもたしていたら、今度は拳が飛んでくる。
きっちり十秒で身支度を整え、革靴に足を突っ込んだところで松田が口を開いた。
「四件目だ。今度は腕だとよ」
「えっ」
ただ一言、短く告げて松田は仮眠室を出て行く。嵯峨野は雑に靴紐を結んで、慌てて松田の背中を追いかけた。
何が、とは聞かなくともわかる。松田と嵯峨野が数ヶ月前から追い続けている事件だ。被害者は若い男女が中心で、人体の異常増殖と急速腐敗が共通している。
最初の被害者は歯だった。
口腔内と咽喉部に歯がびっしりと生え、気道を圧迫されて窒息死。次は爪。解剖で体内から生成途中の爪が大量に発見された。三件目は眼球。新しい眼球が元の眼球を押し出し、脳を圧迫して脳出血で亡くなった。
そして四件目が、腕だ。
二十一世紀も半ばを迎えようとしている二〇四〇年に、不釣り合いなほど非科学的な事件だ。警察組織にとっては挑戦状を突きつけられているも同じだった。
まだ現場の状況を知らないため、遺体がどのような状態なのかわからない。だが異常増殖事件の担当である松田と嵯峨野に声がかかったということは、通常では考えられない遺体が発見されたのだろう。
松田の背中を追いかけながら、嵯峨野はこれまでの事件について考える。遺体から新種のウイルスが見つかったわけでもなく、事故死でもない。ただ原因不明の不審死がそこにある。
可能性を一つずつ潰していき、それでも潰しきれなかった殺人という可能性に賭けるしかない現状に、嵯峨野はやりきれなさを感じていた。
ぎゅるるるる……
寝起きの頭をフル回転させていると、不意に嵯峨野の腹が鳴った。静かな廊下に場違いな音が響き、松田の足が止まる。
やってしまった……。嵯峨野の口が緊張で乾いていく。
「ったく」
ため息と呆れ声。嵯峨野は思わず一歩後退り、松田と距離を取る。
だが、松田がポケットから取り出したのは拳ではなくアメ玉だった。かわいらしい文字でピーチと書かれている。
「これでも食っとけ。現場で腹鳴らすんじゃねえぞ」
「……そういえば、禁煙中でしたっけ」
アメ玉一つで腹が膨れるとは思えなかったが、嵯峨野は遠慮がちに受け取って口に入れた。松田は禁煙、という言葉に反応したのか苦々しく鼻頭に皺を寄せている。
「そーだよ。最近のあのうるせえの、なんだありゃ。人を犯罪者みたいに言いやがって」
松田が思い出しているのは、数年前に義務づけられた禁煙警告のことだろう。煙草の購入時に年齢確認と、健康被害についてのアナウンスが流されるようになった。
ここに犯罪者がいます、と言わんばかりの警告音声にうんざりして、松田は先週からようやく禁煙を始めたのだ。煙草の話はタブーだったことを思い出し、嵯峨野は少しだけ冷や汗をかく。
「あー、最近本当に厳しくなりましたもんね。俺も、年確のとき未だに身分証要求されるんで、腹立ちますよ」
強引に話を逸らしながら、嵯峨野は眉を下げる。松田が嵯峨野の顔をじっと見つめ、にやりと口角を持ち上げた。
「はは。お前はその髪型をどうにかするところから始めないとな」
そう言って、無骨な手で嵯峨野の髪をぐしゃぐしゃに撫で回す。
「ちょっと、やめてくださいってば……っ」
乱れた髪の間から、丸っこい額が現れる。少し吊り目気味の大きな瞳とぽってりした唇のせいで、額を出すとますます幼く見えてしまう。鬼瓦を絵に描いたような松田とは雲泥の差だ。
嵯峨野は急いで前髪を直し、「遊んでる場合じゃないでしょ」と松田を睨んで駐車場へ急いだ。
三十分ほど車を走らせて、二人は事件現場となった渋谷の七階建てのマンションに到着した。エントランスを塞ぐように警備用の人型ロボットが二体立ち、腹部のカメラ部分からホログラムの規制線を出している。
赤と黄色の警戒色が眩しい。
「なんだこれは」
「デジタル規制線じゃないですかね。最近台数増やしてるって話ですし」
「デジタルだぁ?」
松田は睨むように目を細め、空中に浮かぶ規制線へ触れようとする。
「あ、気を付けてくださいよソレ。触ったら感電するらしいんで」
「……ばっ、かやろうもっと早く言え」
にやついた顔の忠告に、松田は慌てて指を引く。触れてもいないのに手を振りながら、八つ当たりのように嵯峨野の背中を叩いた。
「痛いっすよ、も~」
不満を口にしながらも、嵯峨野は松田の手のひらを甘んじて受け入れた。さすがに少し意地悪をしすぎたか、と気持ちばかり反省する。
「自業自得だ、馬鹿たれ。んで、どうやって中入るんだ」
「手帳のエンブレムをこいつの顔に見せてやるだけっす。簡単でしょ」
そう言って、見本を示すように嵯峨野はポケットから警察手帳を取り出した。デジタル規制線を解除するには、警察手帳での在籍確認が必要だ。
「侵入と逃亡対策みたいですけどね。ほら松田さんも、警察手帳出して」
「チッ。知らねえ間にデジタルだのロボットだの」
嵯峨野に急かされ、松田も警察手帳を取り出した。不満に尖る唇の裏には、禁煙の恨みもあるのだろう。
「で、このエンブレムをこいつの顔に……あっ」
嵯峨野の説明を聞くより早く、松田はエンブレムを警備ロボットの顔面に叩き付けた。バチン、と激しい音がして嵯峨野はため息を吐く。
「ロボットに八つ当たりしちゃ駄目ですよ」
「うるせえ」
乱暴な松田に呆れつつ、嵯峨野も警備ロボットの顔面に自分のエンブレムをかざす。タッチパネルになっていた顔がエンブレムから個人IDを瞬時に読み取り、データベースと照合をかける。確認中、の文字が出て数秒後、
『認証しました。警視庁捜査一課所属、嵯峨野純太。認証しました。警視庁捜査一課所属、松田喜平。入場を許可します』
無機質な音声と同時に規制線が解除された。
『ロックします。ロックします』
再び規制線が張られる音を背後に聞きながら、二人はエレベーターホールへ向かう。
中に入ると、壁際に座り込む男性警官が目に入った。一一〇番通報を受けて現場に来た所轄の警官だろう。彼は二人に気付いて顔を上げたが、土気色という言葉が似合うくらいに顔色が悪い。
立ち上がろうとする警官に近付き、嵯峨野は肩を押さえてそれを制した。
「ご苦労様です。大丈夫、そのままで」
通報を受けたということは、現場に急行して遺体を見たのかもしれない。これまでの異常増殖事件の現場を考えると、精神がおかしくなっていても不思議はない。それでも彼は警察官として、嵯峨野と松田が到着するまで必死に耐えていたのだろう。
「た、高浪と言います」
震える唇で、男は高浪と名乗った。
「捜査一課の嵯峨野です。こちらが松田。それであの……酷い現場だったと思うのでゆっくりで良いんですが……」
嵯峨野はしゃがみこんで高浪に視線を合わせながら、初動捜査の状況を尋ねる。高浪は目にした現場を思い出したのか、少し呼吸を荒くしながら「は……はい」と口を開いた。緊張しているのか何度も唇を舐め、嗚咽するように喉の奥を激しく動かす。
「いっ、遺体発見までっ、の、状況について……ほ、ほ……報告します」
嵯峨野は安心させるように高浪の背中に手を当て、彼の言葉を待った。
