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「笑いの底にあるもの」——「やぶにらみ古典芸能」が案内する、低俗から聖なるものへの旅|宵町観賞録

「人間をいちばん殺してきた動物は蚊なんだそうですな」

狂言「蚊相撲」の解説で、役者の父がさらりとそう言う。笑えるような、笑えないような。観客の笑いが少しだけ止まる、その一瞬の間(ま)が、このエッセイ全体の空気です。


堀間善憲さんは創作大賞2026エッセイ部門に「アナログ派の楽しみ/スペシャル◎やぶにらみ古典芸能」を応募しています。落語・声明・狂言・人形浄瑠璃の五演目を論じる、約一万字の古典芸能エッセイです。

この作品の読みどころ

  • 「金玉」の語源を古典落語から大まじめに推理する導入の、知的な可笑しさ

  • 仏教声明と奈良時代の地獄譚が召喚する、おどろおどろしい怖さ

  • 「隠居」という生き方を小林秀雄の言葉で読み解く、時代を超えた洞察

  • 最後に「曽根崎心中」がひとり観客の背筋を震わせるまでの、五演目の落差


低俗から、聖なるものへ

この作品は意図的に低いところから始まります。

落語「夢金」から、男性の局所を「金玉」と呼ぶ語源を「金(色と欲)をめぐって夢と現実が交錯する場が玉である」と推理してみせる。まじめな顔の珍説で、思わず笑ってしまいます。

ところが次の章では、薬師寺の仏教声明「薬師悔過」に移ります。奈良時代から千二百年うたい継がれてきた、法螺と太鼓が轟くおどろおどろしい悔い改めの儀式。「鶏の子を焼き煮る」だけで灰河地獄に堕ちると説く『日本霊異記』が引用される。

一気に落差がつきます。金玉の語源から地獄まで、ほんの数ページで。


隠居という「陸沈」

四演目目の落語論——「寿限無」「子ほめ」「松竹梅」を通じて——で著者は「横丁のご隠居さん」の意味合いを論じます。

評論家・小林秀雄が引く「陸沈」という中国の古い言葉。専制国家で社会から身をひそめ、文化の保持にいそしんだ文人の生き方。それを現代に言い換えた一節がこの作品の核心でしょう。

「世間から逃げない、天にも行かない、地獄にも行かない、だけど沈むんです」

無意味の意味。建設的ではないが、世間の潤滑油になる。高齢化社会に最も欠けているもの——という指摘が、古典落語の笑い話から自然に引き出されていきます。


「曽根崎心中」の危険

最後の章で著者は文楽「曽根崎心中」の初観劇について書きます。

近松門左衛門の語りを緻密に読み解きながら、著者はこう言います。徳兵衛とお初の周囲の人間を「ことごとく邪悪に塗りつぶす」ことで、ふたりの純粋さが際立ち、観客は容易に自己を投影できた——だから世間に心中事件が頻発した、と。

そして最後の一文。

「いまなお、『曽根崎心中』は危険を秘めているようなのである」

金玉の語源で始まり、甘美な死の誘惑で終わる。この落差そのものが、著者の言う「やぶにらみ」の眼差しの正体なのかもしれません。斜めから見ることで、笑いと死が思いがけず隣り合っていることが見えてくる。


古典芸能の知識がなくても読めますし、知識があればさらに楽しめる構成です。「沈む」ことで世間と親しく付き合い続けた隠居のように、著者も古典に沈みながら現代を照らしています。


#創作大賞感想 #エッセイ #宵町観賞録

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