2026/09/11 この苦しみにも意味があるって?
昨日は雨だった。
傘をさして外に出たくなるくらいの雨だ。
雨音に耳を預けていると気持ちが落ち着く。
駐車場の土の地面に落ちる音。
隣の家のキウイの木の大きな葉に触れる音。
アスファルトに弾む音。
その全部が好きだ。
私はベッドに横たわっていて、雨音は静かに部屋の四隅にまで入り込んできた。
物事には意味がある。
どんなに悲惨なことが起こっても、学びがある。
得るものがある。
神様は乗り越えられる試練しか与えない。
そういう言葉を聞いても、激しい怒りを抱かなくなった。
ムカつきはするけれど、刺して殺してやりたいとはもう考えない。
どの口が言ってんだ、とは多少思う。
でも浅はかな人間ほどそういう無責任なことを言うもんだと分かった。
ごく稀に壮絶な経験をして、その境地に至った人もいるけれど、私はまだそんな人に会ったことがない。
病気になって良かったことをようやく、無理やりにでも数えられるようになったのは、つい最近のことだ。
私は病気をきっかけに、自分の過去を洗いざらい振りかえった。
深く心の声と向き合った。
これは相当な時間と気力がなければできないことだ。
できればやりたくなかった。
でもこれをせずに生きていくのと、苦しくても向き合って理解してから生きていくのでは、人生はまるっきり違うものになる。
その確信がある。
病気で曖昧にできなかったからこそ、人生の豊かさを感じるための土壌ができた。
不覚にも私はいくぶん成熟した。
病気になって見えたものも沢山ある。
例えば努力できる環境にいたことのありがたさ、報われない時間がほとんどでも生きていかなくてはいけないこと、病気になれば友達がものすごく減ること、誰かと共感し合えないことは恐ろしく心細く、世界に自分が存在しないような気持ちになること、朝が苦しいこと、夜は寂しいこと、本当に羨ましいときには静かな涙が出てくること。
でも私は少しずつこの孤独と苦しみを、どうにか薄めていけるのだろう。
生きていくとはそういうことだ。
それはとても喜ばしいこと。
でも寂しいこと。
幸せになるのに困惑するほど、苦しみは私と癒着してしまった。
いつか、あの頃は苦しかったなと思う日が来る。
でもそのとき、きっと完全には今の痛みを思い出せない。
膿んだ傷口に触れることはできない。
それが寂しい。
とてつもなく寂しい。
私は過去の自分をもっとちゃんと全部救ってやりたいのに。
私は二度と私には戻れない。
だからいつか幸せが目の前に現れたとき、せめて素直な気持ちで受け止めようと心に誓う。
その幸せを今の私に送る気持ちでいたい。
かわいい花束にして渡してあげたい。
未来の私から必ず救いがあると、今の私に伝えてあげたい。
今日はそんな気分だった。
