何も考えずに階段を上れている火曜の朝に、気づいたこと。
火曜日の朝。駅の階段を上っていた。
いつもの時間に、いつもの道を歩いて、駅に着いて、階段の前に立つ。スマートフォンで時間を確認して、スーツを軽く整えて。そのまま、何も考えずに階段を上った。
その時だった。
「あ、私、何も考えずに上ってる」
気づいてしまった。昔の私だったら、絶対にこんなふうに上れていなかった、ということに。
昔の私と駅の階段
適応障害で休職していた時期、外出することが怖かった。
その中でも、駅の階段は特に怖かった。
人が多い。つり革が必要。足元が見えにくい。もし倒れたらどうしよう。汗が出たらどうしよう。心臓がバクバクしたら、周りの人に気づかれるんじゃないか。
階段の前で立ち止まって、深呼吸をして、それでも怖くて、何度も引き返そうと思った。
でも上らなきゃいけない。仕事に行かなきゃいけない。そう思い込んでいた。
だから上った。毎日、怖いまま上った。階段を上りながら、自分の心臓の音を聞いていた。汗が出ていないか、何度も確認していた。周りの人の目が気になって、できるだけ普通を装っていた。
その時間は、本当に長かった。短い階段なのに、延々と続く恐怖。毎朝それが待っていた。
気づくまでのプロセス
休職してから、復帰してから、時間がかかった。
心理学の本を読んだり、カウンセリングを受けたり、毎晩深呼吸をしたり。色々やった。
その中で、水島広子先生の本にこういう話があった。不安は、繰り返すことで慣れていく。その慣れのプロセスを、自分を責めずに見守ることが大事だ、と。
だから、階段を上るたびに「ダメだ」と思わなくなった。ただ上るだけ。怖くても上る。それでいい。そう思えるようになってきた。
何ヶ月かかったか、覚えていない。でも、ある時気づいた。
階段の前で深呼吸をしなくなっていた。
汗が出ていないか確認するのをやめていた。
周りの人の目をそこまで気にしていなかった。
いつの間にか。
火曜の朝の気づき
だから、火曜朝の駅の階段は、別に特別な場所じゃなくなっていた。
ただの、階段。
毎日上っている、その階段。
その当たり前さに、ふと気づいて。
昔の自分を思い出した。あの頃は、駅の階段が、こんなに「普通」に見えなかった。毎朝、怖さと戦う場所だった。
それが今は、何も考えずに上れている。
スマートフォンを見ながら上ったり、今日のやることを考えながら上ったり。ときには、昨日見た本の一節を思い出しながら上ったり。
階段自体に、意識が向かっていない。
そのことが、すごく嬉しかった。
当たり前になることの力
「良くなった」って、派手な変化じゃないんだなって思った。
テストの点が上がるとか、体重が減るとか、そういう数字が出る変化じゃない。
ただ、怖い場所が、怖くなくなる。
怖い行為が、当たり前の行為に変わる。
それだけ。
でもその「それだけ」は、毎日のこと。毎朝、階段を上るたびに。
昔の私は、その毎日を、怖さを感じながら過ごしていた。今の私は、何も考えずに上っている。
その違いは、すごく大きい。
今の私へのメッセージ
火曜朝の駅の階段の前で立ち止まったから、気づけたんだと思う。
普通に過ごしていたら、その変化に気づくことなく、また次の火曜日が来ていたはずだ。
でも、一瞬立ち止まって、昔の自分と今の自分を比べて。
「あ、良くなったんだ」って、ふと思えた。
それでいい。
大きな変化を待つ必要はない。当たり前のことが当たり前にできるようになる。その積み重ねが、人を変えていくんだと思う。
駅の階段も、昨日も今日も、明日も、変わらずそこにある。
でも、それを上る自分は、ゆっくり、確実に、変わっている。
火曜日の朝は、そういうことに気づく、静かな時間。
⚠️ この記事は医療的なアドバイスではありません。心身の不調が続く場合は、医師・専門家にご相談ください。筆者の経験をもとにした個人の記録です。
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