舞い踊れ!第一話:塩を撒け! 江戸一番の 婿探し
【あらすじ】 時は江戸。大富豪「参蔵屋」の大番頭・光五郎は、跡取り娘・藤の婿となる「江戸一の切れ者」を探し求めていた。しかし集まるのは資産目当ての有象無象ばかり。 行き詰まった光五郎は、爪を隠し持つ真の切れ者(眠り猫)を叩き起こす巨大な仕掛け(鳴き竜)として、声・光・音を失った三人のワケアリ天才芸人(三猿)を雇い入れ、極上の謎かけとなる「全く新しい当て物」の制作を命じる。 互いの欠落を補い合い、三位一体の「究極の意思伝達」で常識外れの謎を創り上げていく不器用なバケモノたち。果たして彼らが仕掛けた前代未聞の舞台の謎を解き明かし、扇で顔を隠す美しき策士・藤を射止める者は現れるのか!? 江戸中を巻き込むドタバタ喜劇、開幕!
「貴様ぁっ! いい度胸だ! 帰れっ! 今すぐ叩き出せ!! 塩だ! 撒け、撒けぇぇぇっ!!」
江戸屈指の材木問屋であり、その莫大な財力から「蔵が三つどころか百蔵、いや千蔵はある」とまで噂される大店、『参蔵屋(みくらや)』。 その表の店先で、大番頭である私、光五郎の怒号がビリビリと響き渡った。
事の発端は、ほんの少し前のことである。 店の奥に控えていた私のもとへ、有能な手代の清吉が「大番頭、お客様がお見えです」と声をかけてきたのだ。
私の胃の腑はキリキリと締め付けられ、とうの昔に限界を迎えていた。我が参蔵屋の大旦那様から、「私の目が黒いうちに、娘の藤に『江戸一の切れ者』の婿をもらって家を継いでもらいたい」という特命を受け、いよいよ明後日から始まる「連続お見合い」の準備に追われていたからである。
大旦那様の一人娘である藤お嬢様は、才色兼備を絵に描いたような方だ。「綺麗を保つと病気になりにくくなる」という発想から、檜をふんだんに使った公衆浴場を考案し、江戸の町に風呂文化を大流行らせた見事な商才すら持ち合わせている。大旦那様が目に入れても痛くないほど溺愛するのも当然の、自慢の娘である。
しかし、お嬢様には一つだけ奇妙な振る舞いがあった。人と対面する際、常に大きめの扇で顔をすっぽりと覆い隠しておられるのだ。
明日から次々とやって来る婿候補たちは、参蔵屋の莫大な資産ばかりを見てへらへらと笑い、扇の奥を無理に覗き込もうとするような無粋な男ばかりだろう。もし彼らがお嬢様の抱える深い事情を知らずに無遠慮な振る舞いをし、聡明で誇り高いお嬢様の心を深く傷つけてしまったらと思うと……それを想像するだけで、私の胃はちぎれるように痛むのだ。
そんなピリピリとした準備の最中、また新たな婿候補の身上書でも届いたのかと思い、私はため息交じりに奥から店先へと足を運んだ。
だが――ふらりと現れたその男は、私の予想を大きく裏切る振る舞いを見せた。 なんとその若い男は、店先から少し入った上がり框(かまち)にちょこっと腰掛けたまま、奥から出てきた私を見上げるなり、ぽかんとした顔でこう言い放ったのだ。
「うちは何でも期日までにきっちりお納めしますが……わざわざお呼び立てとは、一体何のご用ですかな?」 「……は?」 「いやね、そちらの使いの者がうちに来たんですがね、『なんかお呼びッス!』としか言わなくて、肝心の要件も日にちも綺麗さっぱり忘れてるっていうから、まあ来なくても良かったんだがね」
私はこめかみに太い青筋が浮かぶのを感じた。
(なんだこの若造は! どこの大店だか知らんが、大番頭である私を店先に呼び立てておいて、縁側に腰掛けたままなんというふてぶてしい言い草だ! そもそも私がこんな無礼な男を呼ぶわけがないだろう!)
私は今日、彼を呼んだ覚えなど微塵もなかった。 実のところ、先日私が「最近勢いがあるという噂の大塚屋の若旦那も念のため見定めてみよう」と、手代の八兵衛に使いを出させていたのだが――当の八兵衛が道中で用件も日付もすべて頭から落としてしまい、男が「まったく予想外の時間」にやってきたため、まさか自分が呼んだものだとはつゆほども思っていなかったのである。
そんな私の怒りの沸点などお構いなしに、男――大塚知盛は、さらに言葉を続けた。
「それに、参蔵屋さんには常に扇で顔を隠しておられる、話には聡い別嬪さんだという噂のお嬢様がおられるとも聞きましたのでね。実のところ、そんなにいうほど綺麗なのかね? 本当にどれだけ素晴らしいものなのか、この目で確認したいと思ってわざわざ時間を作って参上したのですよ」
ブツンッ、と私の中で何かが切れる音がした。
(この男……! 明日から始まるお見合いを前に、私がどれほどお嬢様の心を思って胃を痛めているかも知らぬくせに、わざわざ無遠慮に冷やかしに来たとでも言うのか!)
かくして、冒頭の私の大激怒へと繋がるのである。
「貴様ぁっ! いい度胸だ! 帰れっ! 今すぐ叩き出せ!! 塩だ! 撒け、撒けぇぇぇっ!!」
私が顔を真っ赤にして怒鳴り散らした、その時である。 当の手代・八兵衛は、怒号が飛び交う店先の隅で、立ったままうつらうつらと居眠りをしていた。 彼の脳内では、数日前の賑やかな情景が心地よく再生されていた。そう、五日前の『節分』である。
(「鬼はー外、福はー内……へへへ。お嬢様、見てくだせえ。俺が力いっぱい豆を撒いたら、でっかい鬼が逃げていったッスよ。これで今年も、参蔵屋には福がいっぱい来るッスね……えへへ……」)
そんな平和極まりない夢の世界をふわふわと漂っていた八兵衛の耳に、大番頭の怒声の後半部分だけが鋭く突き刺さった。
『……撒け、撒けぇぇぇっ!!』
「……ハッ!! 『撒け』ッスね!! わかりやしたぁっ!!」
ビクッと飛び起きた八兵衛の頭の中で、今日この場で撒くものといえば当然塩ではない。
(そうだ、参蔵屋の皆を守るために、鬼に豆を撒くッス!)
まだ寝ぼけ眼の八兵衛がぐるりと周囲を見渡すと、激怒している光五郎や、おろおろしている他の手代たちといった「参蔵屋の身内」のほかに、上がり框に一人だけ見慣れない男――大塚知盛――がぽつんと座っている。
(あいつだ! あの見慣れない奴が、参蔵屋にやってきた鬼に違いねえッス!!)
八兵衛は近くにあった升(ます)を掴むと、ドタバタと駆け寄った。 そして、知盛の顔面めがけて大上段から渾身の力でその中身を投げつけたのだ。
「鬼はーーーそとっ!!」
バラバラバラバラッ!!
知盛の頭上から勢いよく降り注いだのは、真っ白な塩ではない。それは明らかに、五日前の節分でくすねてこっそり食べようと隠し持っていた『大豆』であった。
「な、なにぃ!?」
私が目を剥いた瞬間、横から有能な先輩手代の清吉が正しい塩壺を抱えて滑り込んできた。
「お客様に何やってんだ馬鹿野郎!! もう五日も前に節分は終わったぞ!!」
清吉の鋭い叱責と同時に、彼は「当店の者が誠に申し訳ございません!」と床に額を擦りつける見事な土下座を決めた。
大番頭が激怒し、間抜けな手代が客を鬼呼ばわりして大豆を全力でぶつけ、有能な手代が土下座をしているという、大店らしからぬ地獄のような光景。 しかし、至近距離から大豆をまともに食らった知盛は、顔色ひとつ変えずに着物の袖をパンパンと払うと、にやりと笑った。
「……なんだい。呼ばれた理由は、数日遅れた鬼の役のためかい?」
彼はふっと立ち上がると、怒るでもなく、極めて粋な皮肉を残した。
「ま、豆を食わされちゃあ仕方がない。用がないなら帰らせてもらうぜ」
そうして知盛は、パラパラと豆が散らばる店先を、涼しい顔でしれっと歩き去っていった。
「あ、あの野郎……っ! 塩だ! 塩を持てい!」 「大番頭、落ち着いてください! 私が後で掃除しておきますから!おい、八兵衛!さっさと箒もって綺麗にしやがれ!」
私が胃を押さえてうずくまり、清吉が泣きながら豆を拾いつつ八兵衛がどやされる中……帳場の奥の暖簾(のれん)の奥で、藤お嬢様と専属侍女の桜が、その一部始終を聞いていたことなど、この時の私は知る由もなかった。
*
――この時のことは、忘れもしない。昨年文政十年の二月八日のことである。 今にして思えば、私の目がいかに『節穴』であったか。
大豆をぶつけられても動じないあの男こそが、私が血眼になって探していた「江戸一の切れ者」であったというのに。
そして、その節穴のせいで、まさか私自身が、江戸中を巻き込んだとんでもない舞台の上で「舞い踊る」ことになろうとは……この時の私は、全く思ってもいなかったのである。
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