第1章 籠城──仕送りを止められた、ハタチの冬|ハタチの女子大生、ソープ嬢のワタシ
学費と仕送りを止められた。
奨学金? 支給も貸与も無理。
このままだと、進級できても除籍だ。
私は、地下鉄を三ノ輪の駅で降りた。
今年のお正月、浅草の待乳山聖天様から樋口一葉記念館へ向かったときとは、逆方向に歩いている。
これから、"べらぼう"な街の門をくぐった"ナカ"で、面接が始まる。
あの電話から転がり始めた物語が、ついにリアルな感触を持ちはじめようとしている。
大川の風はやたら強くて、スカイツリーが妙に近い。
──おい地獄さ行ぐんだで。
結局のところ、すべては、私が東京への進学を決めたあのときから始まっていたのだと思う。
──あれから3年。
「教育実習には行きます。でも、教員採用試験は受けません」
教員免許を取ることは決めていた。だから、この先いつか教師になるかもしれない。
でも、来年の教員採用試験を受けるつもりはなかったし、その先でも、実家に帰って地元で就職する気持ちはちっともなかった。
その決意に対して、母が下したジャッジは──学費と仕送りのストップ。父も祖父母も、今回は味方になってくれなかった。
アルバイトをしているから、生活費がいきなりゼロということはない。でも学費には到底間に合わない。来年の4月までに貯める? 無理すぎる。
そもそも母は、私が東京の大学に進学することに大反対だった。
母の頭の中のヴィジョンでは、私は県で一番の高校を出て、県の名前の国立大学に進み、地元の県庁や市役所に就職するか教師になり、何年かで婿を迎え、あっという間に孫を産んで専業主婦になる──そういう人生が予定されていた。
私が"大好きだった"父も、母には逆らえない。そういうときだけ、父は入婿らしくおとなしくなる。私に優しいことはたしかだけれど、その優先順位は母よりずっと低い。
──つまらない人生。
私は、くだらない県庁や市役所に就職することも、両親と同僚になるかもしれない教師になることも、絶対に嫌だった。何よりも、いつまでも実家に暮らし続けることに耐えられるわけがなかった。
仕送りは止められた。学費はどうする……私になにができるんだろう?
私は、名目だけの兼業農家で、農地と山林が無駄にたくさんあって、大きいだけで古すぎて、畳と襖しかない家に暮らし続けるのが嫌だった。その家の中には、なにより母がいる──母と同じ部屋で寝ている父も。
東京に進学したかったのは、実家から離れたいといっても、北海道や九州みたいに物理的な距離をとにかく置きたいというわけではなかった。
そのころはまだ、たまには実家に帰りたいくらいに思っていたし、「県で一番」よりも、レベルの高い大学に進学してやろうという功名心みたいなものもあった。
母はどんなことにも頑なだったから、私が何を言っても聞こうとはしなかったけれど、父も同居している祖父母も、私のチャレンジを応援してくれた。
とはいっても、私は大学受験でそんなにチャレンジングなことをしていない。担任の先生は、私がC判定だった日本中の誰でも知っているような大学を受験させようと再三水を向けてきたけれど、そこまで無理をするつもりはなかったし、正直家を出る体裁を整えることの方が大事だった。
そして私は、東京で絵に描いたような大学デビューをして、それなりにやらかしてしまうのだけれど、それはまた別の話だから、ここには書かない。
今思えば、進学のときに父や祖父母が私の東京行きを賛成してくれたのは、4年後に私が帰ってくることを前提にしていたのだろう。そんなふうに母を説得していたところもあったに違いない。
──そんなことは、もうどうでもいい。今私が直面しているのは、来月からの生活費がどうしようもなく苦しい現実だった。
そして、来年の学費──少なくとも前期分を、これから何か月かで用意することなんて到底できないという絶望だった。
母の考えていることはわかっている。私を兵糧攻めにしたら、JRで飛んで帰ってきて、スライディング土下座すると思っているのだろう。
父や祖父は心配していると思う、一応祖母も。でも母は、今となっては私を屈服させることが一番の目的になっているだろうし、私が泣きついてくると決めつけているのだと思う。
──そんな簡単に、思い通りにはならないよ。
強がってみても、バイトをこれ以上増やすことには無理があった。
生まれて初めてのバイトは塾の講師だった。リアルな中学受験の問題を解かされた採用試験は難しかったけれど、時給はよかった。でも、プライベートの時間にも授業の予習の必要があったりして、割のいい仕事というわけでもなかった。
なので、塾講の時間を減らして、学校からも家からも近いファストフードのバイトを、授業の合間に軽く入れるようになった。
私のアルバイトは、自分が遊んだり、余計に飲んだり食べたりするためにしているようなもので、不要不急のものだった。
だから、バイトの時間を増やすことはできるけれど、生活費だけならともかく、学費までカバーするのは厳しい──それに、延納分納を申し込んでも、認められるかは怪しかった。
「仕送りを止められました。でも、両親の所得は給付奨学金の基準を全然超えてます」
こんなことでもなければ来ることのない学生課の人は親切だった。
延納分納は無理にしても、日本学生支援機構の奨学金の説明をしてくれた。
でも、聞かない方がよかった。
手続きには、親の「同意手続き」が必要だった。
──詰んだ。
一番簡単なのは、スライディング土下座だ。まだまだ全然遅くない。そしたら私は、このまますんなり進級して、ゆるくバイトをしながらでもなんでも、卒業までの時間を過ごすことができる。
──嫌だ。
実家に帰るのも、くだらない結婚をさせられるのも、さっさと跡取り息子を作らされるのも、何もかも嫌だ。
──嫌だ!
でも、どうしたらいい? 考えれば考えるほど、答えは見つからなくなる一方だった。そして、立ち止まればそこで終わる。とりあえず、可能性をひとつずつ並べてみるしかないんだろう。
来月から、仕送りは一切なくなる。今稼いでるバイト代で、家賃と生活費くらいはどうにかなる……するにしても、来年の前期の学費を払うのはあんまり無理だ。
塾講のバイトは、時給だけはいい。でも、毎日入れてもらえるほどの枠は無い。土日祝日の講習や試験監督をMAXで入れたら、休みがリアルに無くなる。
ファストフードのバイトをどれだけ増やしても、限界がある。もっと時給がいいバイトをするか、夜遅くまで何かするしかない。
──夜職か。
そんな簡単にうまくいかない、ってことくらいは、私も知ってる。
というのは、そういう同級生が何人かいたからだ。お金もそう、時間もそう、そして、ゾッとするような質感の何かが、足元から這い上がり、まとわりついてくるような感触を、私は我がことのように思い返す。
例えば──キャバクラでバイトを始めた同級生がいた。
彼女は、ちょっとだけ私と境遇が似ていた。東京に進学したかったけど家に反対され、それでも受験を頑張って志望校に合格した。親が出した条件は、実家から通うことだった。それで彼女は、毎日新幹線で通ってきていた。新幹線の定期代を出してくれるくらいは、実家も太く、理解もあったのだろう。
一度、彼女の実家に遊びに行ったことがある。彼女のお父さんはちょっとした会社を経営していて、地元では名士って感じだった。ホームは長いけれど、長閑な駅のすぐそばに会社のビルがあり、上の階に彼女の家があった。
大理石の床の玄関、大きくて毛足の長い犬、それよりもっとゴージャスなヘアスタイルのお母さん。
その割に、というか、それだからこそ、彼女はちょっとギャルというかヤンキーが入っていて、地元の友達もわかりやすくそんな感じで、驚いたり、ある意味納得したのを思い出す。
そして、きっかけが何だったのか、細かいことは知らない。彼女はやがて東京で一人暮らしを始めた。学校のすぐそばではなく、いくつか離れたターミナル駅のそばだった。
私の部屋は昭和なバランス釜のお風呂があるアパートで、彼女のマンションは新しく、エレベーターもあった──ワンルームで窮屈そうだったけれど。
願っていたはずの一人暮らしが始まったのに、彼女があんまりうれしそうな様子じゃなかったことを、なんとなく覚えている。
そして、東京に引っ越してきた彼女と、私はだんだん疎遠になっていった。彼女は東京にいるのに、だんだん学校に来なくなっていたからだ。
「キャバクラで、バイト始めたんだ」
たまに学校で顔を合わせた彼女と、そんな話をするくらいの関係性は、かろうじて残っていた。ずいぶん歳上のお客さんとつきあうことになりそうとか、つきあい始めたとか、そんな話も聞いた。
そして彼女は、いつのまにか、学校から消えてしまった。彼女の上京やキャバ嬢デビューの裏に何があったのか、それからどうなったか、私は知らない。いつのまにか、LINEもメールも何もかも通じなくなってしまった──永遠に更新されないSNSには、彼女の抜け殻が残されているだけだった。
もっと、あからさまだったパターンもある。
彼女が、どうして一般教養の授業がいくつか被るだけの私を選んだのか、全然わからなかった。
──それは今もわからない。
「ひとりで面接に行くのが心細いから、一緒に来てほしいの……ダメかな?」(第2章につゞく)
📚 私はこうして、この物語にたどり着きました。
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