【学び】幸福を直接追わないという考え方|『ミル自伝』から学んだ5つのこと
はじめに
今回は、問い記事で考えた、
という問いについて、ジョン・スチュアート・ミルの『ミル自伝』を引用しながら、構造から整理していきます。
ミルは、幸福を否定したわけではありません。
むしろ、幸福を人生の大切な目的として考え続けた思想家です。
ただし、精神的な危機を経験したことで、幸福には一つのパラドックスがあることに気づきました。
それは、
幸福を直接の目的にすると、幸福から遠ざかることがある
ということです。
学び① 幸福を測るほど「不足」が見えてくる
『ミル自伝』の中で、ミルは次の言葉を残しています。
「自分は今幸福かと自分の胸に問うて見れば、とたんに幸福ではなくなってしまう」
―ジョン・スチュアート・ミル
一見すると、不思議な言葉です。
自分が幸せかどうかを確認することは、より幸せに生きるために必要なようにも感じます。
しかし、幸福を確認しようとすると、私たちは無意識のうちに基準をつくります。
もっと収入があれば幸せ。
家族がいつも笑っていれば幸せ。
仕事が順調なら幸せ。
自分の時間が十分にあれば幸せ。
そして、基準と現在を比較して、
「まだ足りない」
「理想と違う」
「思っていた人生ではない」
と判断します。
幸福を測ろうとする行為が、現在に不足しているものを探す行為へ変わってしまうのです。
構造として整理すると、次のようになります。
幸福を目的にする
↓
幸福の条件を決める
↓
現在と条件を比較する
↓
足りないものが見える
↓
今は幸福ではないと感じる
幸福になろうとしているのに、幸福ではない理由を集めることになります。
ミルが「幸福かと問うた瞬間、幸福ではなくなる」と書いた背景には、この構造があるのだと思います。
学び② 論理だけでは人間の感情を支えられない
ミルは、幼い頃から論理や分析、社会を改善するための知識を徹底的に学びました。
それによって、高い知性と社会を考える力を身につけました。
一方で、感情を育てることについては、十分に扱われてこなかったのかもしれません。
ミルは精神的な危機を経験したあと、人間がより良く生きるためには、外側の環境を変えるだけでなく、内側の感情を育てることも必要だと考えるようになります。
彼は、知的能力だけでなく、人が喜びや美しさを感じる感受性も「耕す必要がある」と振り返っています。
そこで重要な役割を果たしたのが、ワーズワスの詩でした。
ワーズワスの詩には、自然や人間の穏やかな感情が描かれていました。
社会の問題を解決する方法でもなければ、人生の苦しみを論理的に説明するものでもありません。
しかし、その詩に触れることで、ミルは静かな喜びを感じられる自分を取り戻していきます。
ワーズワスの詩は、答えを与えたというよりも、感情を感じられる場所をつくったのだと思います。
私たちも、問題が起きたとき、すぐに原因や解決策を考えようとします。
もちろん、問題を整理することは必要です。
ただ、正しい説明ができたとしても、感情が追いついていないことがあります。
人間関係で傷ついたときに、正論を聞いても気持ちが軽くならない。
子育てでイライラしたときに、正しい関わり方を知っていても実践できない。
仕事の意味を理解していても、気力が湧いてこない。
人間は、論理だけで動いているわけではありません。
考える力を育てることと同じように、感じる力を育てることも必要なのだと思います。ワーズワスの詩がミルの回復を支えたことは、後の研究でも、感情や人格の涵養を重視する方向への転換として整理されています。
学び③ 幸福とは別の対象を持つ
ミルは、幸福そのものを直接追いかけるのではなく、幸福とは別の対象に心を向けることが必要だと考えました。
例えば、
他者の幸福。
社会をより良くすること。
芸術や創作。
自分が価値を感じる仕事や活動。
これらを幸福になるための「手段」として行うのではありません。
それ自体に価値を感じて、取り組むということです。
「これをすれば幸せになれる」
と考えて始めると、その行動をしている最中も、幸福になれたかどうかを確認してしまいます。
一方で、
「これを知りたい」
「これをやってみたい」
「この人の役に立ちたい」
と目の前の対象に意識が向いているとき、自分が幸せかどうかを確認する必要はありません。
行動そのものに、集中できるからです。
そして、あとから振り返ったときに、
「あの時間は楽しかった」
「やってよかった」
「自分にとって大切な時間だった」
と感じることがあります。
ミルは、幸福とは別の対象を目指す途中で、人は幸福を見つけると考えました。幸福を忘れられる対象を持つことが、結果として幸福につながる。
これが『ミル自伝』から得られる、大きな学びの一つです。
学び④ 大きな目的と目の前の行動を分ける
「楽しい人生にしたい」
「家族と幸せに暮らしたい」
「仕事を通して成長したい」
こうした大きな目的を持つこと自体は、大切だと思います。
問題は、大きな目的から、すべての行動を逆算しようとすることです。
例えば、「家族で楽しく暮らす」という目的があるとします。
家族で出かける予定を立てた。
しかし、子どもの体調が悪くなり、予定を変更することになった。
大きな目的を強く握っていると、
「せっかく楽しく過ごそうと思っていたのに」
「どうして思いどおりにならないのか」
と感じてしまいます。
本来は子どもの体調を優先しただけなのに、「楽しい人生」という目的から外れた失敗のように感じてしまうのです。
仕事でも同じです。
成長することを目的にしていると、うまくできなかった日や、目立った成果が出なかった日を、価値のない時間だと感じることがあります。
しかし、人生の目的と、今日の行動は、完全に一直線で結ばれている必要はないのかもしれません。
大きな目的は、遠くに置いておく。
そして、目の前では、
今日は何に関心があるのか。
今、この人に何ができるのか。
この出来事から何を感じたのか。
という小さな問いに集中する。
目的を忘れるのではなく、目的を毎日の評価基準にしない。
そうすることで、大きな目的に追い立てられずに済むのだと思います。
学び⑤ 「楽しさ」をノルマにしない
人生を楽しむことを大切にしていると、つい毎日の中に楽しさを求めてしまいます。
家族との時間は楽しくなければならない。
休日は充実させなければならない。
子どもには、いろいろな経験をさせなければならない。
自分の時間も確保しなければならない。
しかし、楽しさが義務になると、予定どおりにいかない出来事への許容度が下がります。
家族との時間を楽しもうとしていたのに、子どもが言うことを聞かず、イライラしてしまう。
パートナーと穏やかに話したかったのに、考え方の違いから感情的になってしまう。
そして、
「楽しく過ごしたかったのに、できなかった」
と、自分や相手を責めます。
ここには、
人生を楽しみたい
↓
今日も楽しくなければならない
↓
楽しさを妨げる出来事が起こる
↓
出来事や相手を排除したくなる
↓
関係性が苦しくなる
という構造があります。
楽しさは、予定や関係を評価する基準ではなく、その中で時々感じられるものなのかもしれません。
楽しくない日があってもいい。
うまくいかない時間があってもいい。
イライラした自分がいても、それだけで人生全体が楽しくないわけではありません。
「楽しさ」をノルマから外すことで、目の前の出来事を、そのまま受け止められる余白が生まれるのだと思います。
幸福を目的から外すのではなく、握りしめない
ミルの考え方は、幸福を諦めるという話ではありません。
幸福を目指してはいけないという、単純な否定でもありません。
幸福を人生の大切な方向として持ちながらも、それを直接つかもうとしない。
幸福かどうかを、毎日確認し続けない。
幸福のために、目の前の行動を手段化しすぎない。
その代わりに、自分が関心を持っていることや、価値を感じることに集中する。
幸福は、正面から捕まえようとすると逃げていきます。
しかし、別の何かに夢中になっているとき、ふと隣にいることがあります。
まとめ|幸福は進むための目標ではなく、振り返ったときの感覚
今回、『ミル自伝』から学んだことを整理すると、次のようになります。
幸福を直接測ると、現在の不足が見えてくる。
論理や分析だけでなく、感情を耕すことも必要になる。
幸福とは別に、夢中になれる対象を持つ。
大きな目的と、目の前の行動を分ける。
人生の楽しさを、毎日のノルマにしない。
人生を楽しむという目的は、進む方向を考えるための目印にはなります。
しかし、毎日の出来事を評価する物差しにすると、自分や周囲を苦しめることがあります。
幸福とは、目的地に到着したときに得られる報酬ではなく、何かに関心を持ち、人と関わり、試行錯誤しながら進んだ道を振り返ったときに感じるものなのかもしれません。
大きな目的を持ちながらも、その目的を少し遠くに置いてみる。
そして、今の自分がやりたいこと、知りたいこと、大切にしたい人に意識を向ける。
その延長線上で、幸福は副産物としてやってくるのだと思います。
▼この内容のきっかけになった問いはこちら
摩擦を、構造に。
問いを、資産に。
Yuta
