【学び】正しさが摩擦になるのはなぜか|子どもの喧嘩と職場の対話から考えたこと
はじめに
今回は、姉妹の言い争いを見ながら浮かんだ、
「自分の正しさは、なぜ相手との摩擦になるのか」
という問いを、少し構造から整理してみたいと思います。
答えを出すというより、子育てでも仕事でも起きている似たような摩擦を、自分なりに分解してみます。
学び①|言葉を覚えることは、「自分の正しさ」を表現できるようになることでもある
幼い頃の子どもは、嫌なことがあっても、それをうまく言葉にできません。
だから泣いたり、怒ったり、場合によっては手が出たりする。
少しずつ成長して言葉を覚えると、
「私はこうしたかった」
「それは違うと思う」
「私はこう聞こえた」
と、自分の考えを表現できるようになります。
これは大きな成長だと思います。
ただ、その次に出てくるのが、
「自分の考えを伝える」と「相手を正す」の境界
なのかもしれません。
今回の姉妹も、
「私はこう思う」
ではなく、
「あなたが間違っている」
という状態になったことで、言い争いになっていました。
言葉という道具を持つようになったからこそ、その道具をどう使うかを経験し始めている。
そう考えると、喧嘩の種類が変わること自体も、一つの成長過程なのかもしれません。
学び②|摩擦を生むのは、「正しさ」そのものではなく使い方かもしれない
正しいことを知っていること自体が悪いわけではありません。
歌詞が間違っているなら、
「そこ違うよ」
と伝えることもあります。
仕事でミスがあれば、指摘しなければならないこともあります。
問題は、
正しさを持っていることと、正しさを”どう相手に向けるかは別”
ということなのだと思います。
アダム・グラントの『THINK AGAIN』では、自分の考えを固定するのではなく、もう一度考え直す「再考」の重要性が扱われています。三笠書房も本書を「思い込みを手放し、発想を変える」ための本として紹介しています。
ここから今回の出来事を考えると、
「私はこう思っている。でも、本当にそうだろうか」
と、一瞬だけ自分の正しさに余白をつくる。
この小さな余白があるかないかで、相手への向き合い方はかなり変わる気がします。
学び③|「事実」と「評価」が混ざると、相手は否定されたと感じやすい
もう一冊、今回のテーマと重なったのが、マーシャル・B・ローゼンバーグの『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』です。
NVCでは、相手を評価したり決めつけたりするのではなく、まず起きていることを観察し、自分の感情や必要としていることに目を向けることが重視されています。
たとえば、
「歌詞が違うよ」
だけなら、ある事実について話しているようにも見えます。
でも、
「だから違うって言ってるじゃん」
「なんで分からないの?」
となっていくと、
いつの間にか歌詞の話ではなく、相手そのものを否定しているように聞こえてしまいます。
職場でも同じです。
「この作業が終わっていませんでした」
という事実と、
「ちゃんと確認してください」
「普通こうしますよね」
という評価や要求が混ざると、受け取る側の感覚はかなり変わります。
正しい情報を伝えているはずなのに、相手には、
「自分を否定された」
という感情だけが残ることもある。
ここに、正しさが摩擦へ変わる一つの構造がありそうです。
学び④|「伝える目的」が違えば、言葉も変わる
今回、一番考えさせられたのが、
そもそも”何のために伝えるのか”
ということでした。
自分が正しいと証明したい。
相手の間違いを直したい。
自分の考えを理解してほしい。
次から同じことが起きないようにしたい。
これからも気持ちよく一緒に過ごしたい。
どれも「伝える」という行動は同じですが、目的は違います。
そして目的が違えば、言葉も変わるはずです。
たとえば、
「それ違うよ」
と伝えるのか。
「私はこう覚えていたんだけど、どっちだろうね」
と伝えるのか。
同じ歌詞について話していても、相手に残る感覚は違います。
仕事でも、
「これやってください」
だけで終わるのか。
「こういう状況があって、私はこうしたほうがいいと思っているんだけど、どう思いますか」
と伝えるのか。
後者には、相手が入る余白があります。
正しさをなくすのではなく、正しさの中に相手が入れる余白を残す。
これが対話なのかもしれない、と感じました。
学び⑤|日常の小さな摩擦を、そのまま通り過ぎない
そして今回、もう一つ残ったのが、
「こういうことって、子どもの頃から何度も経験しているはずなんだよな」
ということです。
言いすぎて喧嘩になった。
自分の正しさを押し通した。
後から考えたら、そこまで言う必要はなかった。
そんな経験は、多くの人が一度くらいしていると思います。
それでも大人になって、同じことを繰り返してしまう。
もしかすると経験しただけでは、学びにはならないのかもしれません。
経験したあとに、
「昨日の自分と何が違ったのか」
「なぜモヤモヤしたのか」
「自分は何を守ろうとしていたのか」
と一度立ち止まる。
そうやって小さな差分を言葉にして初めて、経験が次の行動につながっていくのだと思います。
私が日常の気づきを文章にして残している理由も、ここにあるのかもしれません。
子育てと職場は、意外と遠くない
今回の出来事は、最初はただの姉妹喧嘩でした。
でも少し引いて眺めてみると、
姉妹の間でも、
職場のセクション間でも、
起きている構造は意外と似ています。
自分には自分の正しさがある。
相手にも相手の正しさがある。
どちらも悪意があるわけではない。
でも、それを一方的に相手へ向けた瞬間に摩擦が起きる。
だから大事なのは、
「正しさを持たないこと」
ではなく、
自分の正しさだけで、その場を見ていないかを”疑えること”
なのかもしれません。
まとめ|昨日の摩擦を、今日の問いに変える
子どもの言い争いを見ていると、
「そんなことで喧嘩しなくてもいいのに」
と思います。
でも、大人の世界を振り返ると、私たちも似たようなことをたくさんしています。
自分の正しさを伝える。
相手を正す。
そして、伝えた側はすっきりしても、受け取った側にはモヤモヤが残る。
だからこそ、
「私は何を伝えたいのか」
「それは本当に相手に伝わる形なのか」
「自分が正しいという前提だけで話していないか」
そんなふうに、一度自分の言葉を疑ってみる。
その小さな振り返りが、子育てでも仕事でも、人との関係を少しずつ変えていくのかもしれません。
そして、
こうした日常の小さな摩擦を通り過ぎず、問いとして残していくこと。
昨日と今日の小さな差分を言葉にしていくこと。
それが、経験をただの出来事ではなく、自分の糧に変えていく一つの方法なのだと思います。
▼この内容のきっかけになった問いはこちら
摩擦を、構造に。
問いを、資産に。
Yuta
