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【問い】自分の正しさは、なぜ相手との摩擦になるのか|子どもの喧嘩を見て感じたこと

はじめに

今回は、姉妹の何気ない言い争いを聞いている中で感じたことを、問いとして残しておきます。

子どもの喧嘩の「種類」が変わってきた

ある公園で、姉妹が朝の子ども番組で流れている歌について、話していました。

妹が自分なりに歌っていると、姉が、
「そこ、歌詞が違うよ」

と指摘したんですね。

すると妹も、
「違わないよ。こうだよ」

と返します。

姉も負けずに、
「だから、こうだって言ってるじゃん」

と返す。

お互いに、

「自分のほうが正しい」

という前提で、相手を正そうとしていました。

その様子を聞きながら、ふと、
子どもは成長するにつれて、喧嘩の種類も変わっていくんだな

と思ったんです。

手が出る喧嘩から、言葉で争う喧嘩へ

もっと幼い頃であれば、自分の気持ちをうまく言葉にできず、物に当たったり、手が出たりすることもありました。

でも、少しずつ言葉を覚えていく。
自分がどう思っているのかも説明できるようになる。

だからこそ今度は、

「私はこう思う」

だけではなく、

「あなたが間違っている」

まで、言葉で伝えられるようになっていく。

これも一つの成長なのかもしれません。

ただ、親からすると、お互いに否定し合い、指摘し合っている姿は、なかなかモヤモヤするものです。

「もういい加減にしなさい」

と、言いたくなる瞬間もあります。

正しいことを伝えれば、相手は納得するのか

今回の言い争いを聞きながら、もう一つ気になったことがありました。

仮にどちらかの歌詞が本当に正しかったとしても、
正しいことを伝えれば、それで”相手は納得するのだろうか”

ということです。

アダム・グラントの『THINK AGAIN 発想を変える、思い込みを手放す』では、自分がすでに知っていると思っていることを見直し、自分の考えそのものを再考することの重要性が扱われています。

今回の姉妹を見ていても、

「私は正しい」

と思っている間は、

「もしかしたら違うかもしれない」

という視点はなかなか入りません。
これは子どもだけの話なのだろうか、と少し考えてしまいました。

職場でも、似たようなことは起きている

私の職場でも、セクション同士で何か問題が起きたとき、

「こうしてください」
「それは違います」
「普通はこうですよね」

と、お互いに言いたいことを伝えて終わってしまうことがあります。
言った側としては、必要なことを伝えただけかもしれません。

でも言われた側には、

「なんでそんな言い方をされなきゃいけないんだろう」
「自分たちを否定された」

というモヤモヤが残る。

内容としては正しかったとしても、関係性には小さな摩擦が残ってしまいます。

それを見ていると、公園で言い争っていた姉妹と、少し似ているなと思ったんです。

子どもの頃には、すでに経験しているはずなのに

おそらく私たちは、子どもの頃から何度も経験しています。

自分の正しさを押し通して喧嘩になったこと。
言いすぎて相手を怒らせたこと。

少し時間が経ったら、

「別にあんなに言い争わなくてもよかったな」

と思ったこと。
それでも大人になると、同じようなことを繰り返してしまう。

仕事になると、

「これは業務だから」
「間違っていることは指摘しなければいけない」

と、自分の正しさを疑う機会そのものが、減ってしまうこともあるのかもしれません。

何のために「伝える」のだろう

ここで少し考えたくなりました。

自分が正しいことを相手に伝えて、自分がすっきりすれば、それでいいのでしょうか。

それとも、
自分の思いを相手に理解してもらいたいのでしょうか。

あるいは、
その先のお互いの関係を少しでも良くするために伝えるのでしょうか。

目的が変われば、同じ内容でも伝え方は変わる気がします。

気持ちが切り替われば、また遊び始める

とはいえ、子どもたちの面白いところは、何か別のきっかけがあると、さっきまでの言い争いが嘘のように終わることです。

少しすると、姉妹でまた仲良く遊んでいました。
だから、この言い争い自体を悪いことだとも思いません。

むしろ、

自分の正しさをぶつけたら何が起きるのか。
相手とどう折り合いをつけるのか。
どこで気持ちを切り替えるのか。

そんなことを、少しずつ経験している途中なのかもしれません。

まとめ|正しさは、いつ摩擦になるのだろう

今回、姉妹の言い争いを見ながら浮かんだのは、
「正しいこと」と「伝わること」は、同じではないのかもしれない

という違和感でした。

誰も喧嘩をしたいわけではありません。
子どもだって仲良く遊びたい。
大人だって、できれば気持ちよく一緒に働きたい。

それでも、自分の正しさを相手に向けた瞬間、関係が少しずつズレていくことがあります。

では、

自分の正しさは、いつ相手との摩擦に変わるのでしょうか。
相手に伝えるとき、私たちは何を目的にしているのでしょうか。

そして、

子どもの頃から何度も経験してきた小さな摩擦を、私たちは大人になってどれくらい自分の糧にできているのでしょうか。

姉妹の何気ない言い争いから、そんな問いが残りました。

あなたの日常ではどうでしょうか。

▼この問いについて、
構造から整理した記事も書きました


摩擦を、構造に。
問いを、資産に。
Yuta



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