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【学び】子育てのやり方が違うとき、親にできることを構造から考える

はじめに

前の記事では、

子育てのやり方は、夫婦で同じでなければいけないのか

という問いを残しました。

妻が小学3年生の娘の習字を教えているとき、少し強く聞こえる言葉に私はモヤモヤしました。

しかし、その後の子どもたちは楽しそうに遊び、笑い、疲れた妻を労い、姉妹でいつもの日常を過ごしていました。

この出来事から感じたのは、

子育てでは「どちらのやり方が正しいか」だけで、考えないほうがいいのかもしれない

ということでした。

今回は、その理由を少し構造から整理してみたいと思います。

学び①|親の「正しさ」と子どもの状態は分けて見る

子育てをしていると、

「そんな言い方をしないほうがいい」
「もう少し厳しくしたほうがいい」
「自由にやらせたほうがいい」

と、それぞれの正しさが出てきます。

私にもあります。
妻の教え方を見てモヤモヤしたのも、

「私はそういう教え方をしたくない」

という自分なりの子育て観が、あったからだと思います。
でも、大切なのは、自分がどう感じたかだけではなく、

その関わりを子どもが、”どう受け取っているのかを見ること”

なのかもしれません。

今回であれば、習字の後も小学3年生の娘は友達と楽しそうに遊び、小学5年生の娘もいつものように笑っていました。

それだけで妻のやり方が、正しいとは言えません。
ただ、私が感じたモヤモヤだけを根拠に、

「子どもに悪影響だ」

と決めるのも違う気がしました。
大人の正しさより先に、まず子どもの状態を見る。

この順番は忘れないようにしたいと思います。

学び②|相手を変えようとすると、別の摩擦が生まれる

妻の言い方が気になったとき、

「もっと優しく言ったほうがいいよ」

と伝えることはできます。
ただ、その言葉の奥に、

「私のやり方のほうが正しい」

が入った瞬間、妻からすれば、自分の子育てを否定されたように感じるかもしれません。

すると、

妻と子どもの間で起きていた出来事に、今度は夫婦の対立まで加わります。
子どものために言ったはずなのに、結果として家庭の空気が悪くなる。

それでは、誰のために正しさを伝えているのか分からなくなります。

だからこそ、

「妻のやり方を変える」

ことだけを、解決策にしないほうがいいのだと思いました。

学び③|「課題の分離」は、放っておくことではない

今回の出来事を考えながら思い出したのが、岸見一郎さん・古賀史健さんの『嫌われる勇気』です。

この本で紹介されるアドラー心理学には、「課題の分離」という考え方があります。

私は以前、

「それは相手の課題だから、自分は関わらない」

という意味にも、受け取れそうだと思っていました。
でも、今回の出来事に当てはめて考えてみると、少し違う見え方がありました。

妻を私の思い通りに変えることはできません。

妻には妻なりの経験や価値観があり、「きちんと教えたい」という思いもあるはずです。

一方で、

「私は子どもとどう関わるのか」
「子どもが疲れていたら、どう受け止めるのか」
「妻が疲れていたら、自分はどう支えるのか」

これは私が考えられることです。

相手を放っておくのではなく、

相手を変えることと、自分が関われることを”一度分けて考える”。

そのうえで、必要なら話し合う。
今回の私には、この考え方がしっくりきました。

学び④|夫婦は同じ役割をしなくてもいい

私は比較的、力を抜かせる側なのだと思います。
妻は、私よりも「ここまでやろう」と付き合える人です。

どちらにも良い面と難しい面があります。

私だけなら、子どもが楽なほうへ流れすぎることもあるかもしれない。
妻だけなら、頑張りすぎて疲れることもあるかもしれない。

そう考えると、

同じ子育てをすることより、それぞれの特徴を理解して補い合えること

のほうが大切なのかもしれません。

もちろん、強い言葉によって子どもが継続的に萎縮していたり、「嫌だ」と訴えていたりするのであれば、夫婦で立ち止まって考える必要があります。

でも、すべてを同じ言葉、同じ温度、同じ教育方針にする必要まであるのか。

そこには、少し余白があってもいい気がします。

学び⑤|子どもも家族の関係性をつくっている

今回、一番印象に残ったのは、疲れた妻の肩を小学5年生の娘がポンポンと叩いていた姿でした。

親が子どもを育てる。

もちろん、それは間違いではありません。
でも、家族の日常を見ていると、それだけではない気がします。

親が疲れれば、子どもが笑わせてくれる。
子どもが疲れれば、親が受け止める。
姉妹同士でも、一緒に遊んだり、声を掛け合ったりする。

ゴミ捨てに行くわずかな時間に会話が生まれたり、みんなで餃子を食べたり、寝る前に一緒に筋トレをしたり。

そういう小さなやり取りの積み重ねで、家族の関係はつくられていく。

子育てとは、親が一方的に子どもへ何かを与えることだけではなく、

家族全員で”関係を調整し続けること”

でもあるのかもしれません。

まとめ|相手を正すより、自分にできることへ戻る

今回の出来事から、自分の中に残しておきたいのは、

「妻の教え方を気にしないようにしよう」

ということではありません。
モヤモヤしたなら、それは大切な感覚です。

ただ、そのモヤモヤからすぐに、

「相手が間違っている」
「相手を変えなければ」

へ進まなくてもいい。

まず子どもの表情を見る。
自分ができることを考える。
必要ならフォローする。
それでも気になることが続くなら、夫婦で話す。

そんな順番でもいいのだと思います。

子育ての正しさを一つに揃えるよりも、

違いがあることを前提に、それぞれが”足りない部分を補える関係
”をつくる。

今回の一日を振り返ると、私はそんな家族でありたいのかもしれないと感じました。

そしてまた、問いに戻ります。
子育てのやり方は、夫婦で同じでなければいけないのでしょうか。

違うからこそ生まれる摩擦もあれば、違うからこそ補えるものもある。
その両方を見ながら、これからも子どもたちの表情を見ていきたいと思います。

▼この内容のきっかけになった問いはこちら


摩擦を、構造に。
問いを、資産に。

Yuta


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