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【問い】静かな職場は、働きやすい職場なのか?

はじめに

今回は、派遣スタッフの方と話していて感じた違和感を、問いとして残しておきます。

仕事がやりにくい環境と聞くと、

業務量が多い、
人手が足りない、
教えてもらえない。

といったことを思い浮かべるかもしれません。
でも、今回感じたのは、もう少し目に見えにくい働きづらさでした。

それは、仕事はできるけれど、”自分を出しにくい環境”です。

顔ぶれが変わる現場で

私は基本的に少人数のセクションで働くことが多いのですが、シフトの人数調整によって、人数の多いセクションで働くこともあります。

久しぶりに行くと、以前いた人がいなかったり、新しく入った人がいたりと、顔ぶれが変わっていることも珍しくありません。

そんなときは、自分のタスクをこなしながら、初対面の方とあいさつをして、少しずつ働く環境を整えていきます。

名前も知らないままだと、何かをお願いしたいときや、ちょっとした確認をしたいときにも、話しかけるきっかけがつかみにくいことがあります。

一方で、私は名前が分からなくても、目の前のことについて適当に話を投げたり、返したりすることは比較的苦にならないほうです。

むしろ、相手から「お名前は?」と聞かれることもあります。

そんな何気ない会話の中で、ある派遣スタッフの方と話す機会がありました。

「自分をさらけ出せない」という言葉

その方は、新しい環境に来てからまだ間もないスタッフでした。

話していると、そのセクションはみんな「大人しい」と感じていること、そして、自分をあまりさらけ出せていないことを話してくれました。

もちろん、大人しいこと自体が悪いわけではありません。

真面目に仕事へ集中している人もいるでしょうし、静かな環境のほうが働きやすい人もいると思います。

ただ、仕事以外のちょっとした余白でも、なかなか会話が生まれない。
そんな雰囲気の中で、新しく入った人が自分をしまい込んでいるとしたら、少し違った働きづらさがあるのかもしれないと感じました。

その方は、もともと明るく、ユーモアのあるタイプの方のようでした。

私と話しているときも、少し会話を重ねるだけで、自然と本来の雰囲気が出てきたんですよね。

だからこそ、普段の現場では、その人らしさを出すきっかけがまだ少ないのかもしれないと思いました。

時間が解決することなのだろうか

新しい職場に入ったばかりなら、最初は緊張するものだと思います。

長く働くうちに、少しずつ名前を覚え、関係性ができて、自然と話せるようになることもあるでしょう。

でも、その「慣れるまでの時間」を、すべて新人スタッフに任せてしまっていいのだろうか。

今いるスタッフにとっては当たり前の空気でも、新しく入った人にとっては、まだ何を話していいのか、どこまで自分を出していいのか分からない環境かもしれません。

「そのうち慣れるよ」という言葉で片付けてしまうと、入り口で感じている小さな違和感を見落としてしまうこともあるのではないでしょうか。

何気ない雑談で見えたこと

私はその方と、目の前の仕事や、今感じたことについて、あまり構えずに話していました。

すると、すぐに冗談を交えたり、少し本音を話してくれたりするようになりました。

「面白い人、いっぱいいるよ」と話したり、通りかかった馴染みのスタッフに話を振ったりしているうちに、他の人とも少しずつ会話が生まれました。

大きなことをしたわけではありません。

ただ、今までつながっていなかった人同士に、ちょっとした接点ができたように感じました。

その様子を見て、私は「この人は話しにくい人なのではなく、まだ話しやすい関係性ができていなかっただけなのかもしれない」と思ったんです。

もちろん、短い会話だけで、その方の本当の気持ちや職場全体の状態が分かったわけではありません。

それでも、雑談をきっかけに、普段は見えていなかった一面を知ることができたのは、私にとって印象的な出来事でした。

真面目に働くことと、話せること

仕事に集中することは大切です。

特にサービス業では、限られた時間の中でやるべきことを終わらせなければならない場面も多くあります。

仕事が終わらなければ、周囲に負担がかかることもあるし、場合によっては私語を控えるようなルールが必要になることもあるでしょう。

だから、雑談が多ければいいと言いたいわけではありません。

一方で、効率よく仕事を進めることを優先するあまり、会話をする余白までなくなってしまったら、何が起きるのだろうか。

困ったときに質問しにくい。
ちょっとしたお願いがしにくい。
自分の感じたことを言いにくい。

そうした小さなことが積み重なると、仕事そのものはできていても、どこか居心地の悪い環境になってしまうのかもしれません。

人を駒ではなく、仲間として見るとは

人数調整が必要な現場では、どうしても

「今日は何人必要か」
「誰をどこに配置するか」

という視点が重要になります。

それは、現場を円滑に運営するために必要なことだと思います。

でも、配置された一人ひとりには、それぞれの性格や経験、得意なこと、苦手なことがあります。

その人がどんな人なのかを知らないまま、業務上の役割だけで関わっているとしたら、私たちは知らず知らずのうちに、人を「その場を回すための存在」として見てしまうこともあるのではないでしょうか。

仲間として受け入れるとは、全員を同じテンションにすることではないと思います。

大人しい人は大人しいままでいいし、明るい人は明るいままでいい。

ただ、それぞれが無理に自分を押し込めなくても、安心して働ける余地があること。

そんな関係性が、働きやすさの一つなのかもしれません。

今回、残しておきたい問い

今回の出来事から、私は次の問いが浮かびました。

静かに仕事が進んでいることと、誰もが働きやすいことは、同じなのだろうか。

新人スタッフが自分を出せないとき、それは本人が慣れていないからなのか、それとも環境との関係性から生まれているのだろうか。

人を仲間として受け入れるとは、具体的に何を大切にすることなのだろうか。

真面目に仕事をすることも、効率よく現場を回すことも大切です。

その一方で、ちょっとした雑談や、相手の名前を知ること、誰かと誰かをつなぐことにも、目に見えない価値があるのかもしれません。

あなたの現場では、新しく入ってきたスタッフが、どんな気持ちで働いているかを気にかけていますか?

それとも、今ある職場の空気を、当たり前のものとして受け止めていますか?


▼この問いについて、
構造から整理した記事も書きました


摩擦を、構造に。
問いを、資産に。
Yuta



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