くるくる回るものに、どうしてこんなに惹かれるんだろう?
リビングの隅で、陽潤(はるん)が遊んでいる。
手にしているのは、色とりどりのプラスチック製のオモチャ。中央のボタンを押すと、透明なドームの中で小さなパーツたちがくるくると回り出す。赤、黄、青、緑。まるで万華鏡のような鮮やかさに、僕も一瞬、目を奪われた。
陽潤はそれをじっと見つめていた。
見つめるというより、見入っていた。まばたきもせずに、ただ回るそれを、何度も何度も見ていた。くるくると回り続けるその動きに合わせるように、自分の身体までくるくると回している。左へ、右へ、また左へ。バランスを崩して尻もちをついても、へらっと笑ってまた立ち上がり、回る。オモチャも回り、陽潤も回り、世界全体がぐるぐると回っているようにすら見えた。
——あぁ、この感じ、わかるな。
ふと、自分の感覚が呼び起こされる。
僕は大人になっても、何かが「回っている」様子を見るのが好きだ。コマ、洗濯機、風車、水の渦。回転寿司のレーンですら、気づけばじっと眺めてしまっていることがある。何も考えずに、ただその動きに心を預けてしまう。
くるくる、くるくる。
ずっと見ていられる。
理由は明確じゃない。だけど、見ていると、心が整う。世界が一つのリズムを持って、自分の呼吸と重なっていくような感覚。そこには不思議な安心感がある。たとえ何かに追われている日でも、その“くるくる”の前では、時間が止まる。僕にとっての、静かな瞑想のようなものだ。
陽潤も、今、まさにそれを味わっているのかもしれない。
陽潤が夢中になっているオモチャは、ただ回るだけのものだ。音が鳴るわけでもないし、光るわけでもない。ハイテクなおしゃべり機能もついていない。どこか昭和の香りがするような、シンプルな作り。
でも、だからこそいいのかもしれない。
「なんでこんなものに夢中になるんだろうね」と、僕は笑う。
でも、そのまなざしを見ていると、笑いながらも、どこか胸が熱くなる。
まだ言葉を持たない陽潤は、「なぜ惹かれるのか」を語ることができない。ただ、見つめている。その目の奥にあるものを、僕は知りたくなる。
「それ、そんなに楽しいの?」
と声をかけてみたくなるけど、陽潤の集中を邪魔したくなくて、黙って見守る。
気づけば、僕も座ったまま、陽潤と同じようにそのオモチャを見つめていた。
不思議な時間だった。
僕にも記憶がある。
小さいころ、台所の換気扇をじっと見ていた。母が夕飯の支度をしているあいだ、僕は床に座って、上を向きながら、ぐるぐる回るあの羽根を見ていた。
母に「何見てるの?」と聞かれても、答えられなかった。でも、心が落ち着いていた。そこに“意味”なんて必要なかった。
ただ、回っている。それだけ。
だけど、それでよかった。
大人になった今は、毎日「意味」を探している気がする。仕事の意味、行動の意図、発言の意図、未来への布石——。何をするにも「目的」がセットになっていて、効率や成果を求めてばかりいる。
でも、陽潤はちがう。
彼はただ、「惹かれている」から見ている。「おもしろい」と感じるから回している。
そこには、損得も、効率も、意味もない。ただ、純粋な好奇心だけがある。
——それが、どれだけ尊いことか。
ある休日の午後、僕も一緒に回ってみた。
「目が回る〜」と笑いながら、陽潤と並んでぐるぐる回る。そこに朝陽(あさひ)も加わり、家族でくるくるくる。
笑い声がこぼれ、少しよろけて、床に崩れ落ちたとき、何だかとても満たされた気持ちになった。
テレビもスマホも閉じて、予定もタスクも忘れて、ただ“回る”ことに集中する——そんな時間は、いつぶりだろう。
何も生み出さない。ただ回っていただけ。でも、その中にはたしかに「今日」があった。時計の針とはちがう、もっとやわらかくて、やさしい時間。
人はなぜ、回るものに惹かれるんだろう?
渦潮。星の運行。水車の羽根。サイクル、スパイラル、サークル。自然界の至るところに、「回転」は存在する。
始まりがあって、終わりがあって、また始まる——。
何かが終わっても、また戻ってこれるような、「循環」という安心感。自分がそこに包まれているという、どこか本能的な感覚。
それは、生きていく中で折に触れて感じるものでもある。
季節が巡るように、感情も巡り、人生も巡る。沈んでいた気持ちが少しずつ回復し、また笑える日がくる。そんな風に、何度でも「立ち戻ること」ができるのが、人の強さなのかもしれない。
陽潤が回るたびに、そのことを思い出す。
くるくる。
今日も、彼は回っている。
夜。
眠る前、陽潤の寝顔を見ながら、ふと思う。
彼が見ていた“くるくる”の中に、どんな世界が広がっていたんだろう。色や形を超えた、その奥にある「何か」を、きっと彼は感じていたのだと思う。
僕も、感じていた。
ただ回るものに、なぜか惹かれる。
くるくる。
理由なんて、なくていいのかもしれない。
くるくる回るものに、どうしてこんなに惹かれるんだろう?
その問いに、明確な答えはない。でも、それでいい。
答えの出ない問いを、大切に抱きながら、生きていく日々もまた、かけがえのないものだと思う。
そしてきっと明日も、陽潤はくるくると回る。
その姿を、僕は少し離れたところから、また静かに見つめているだろう。
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湯鶴の裏方より
このnoteでは、湯鶴というひとりのパパの日常をもとに、仕事・育児・人生にまつわる物語を綴っています。
無料のエピソードでは、子どもとの時間で考えたことや、仕事をする中で考えていることなど、毎日のなかにあるささやかな気づきを描いています。
でも実は——
誰にも言えなかったことや、少し勇気がいるようなことは、有料エピソードで綴っています。
湯鶴がこれまで向き合ってきた葛藤や選択。
その背景には、言葉にならなかった想いがあります。
僕は、湯鶴の“裏方”として、そのひとつひとつを記録してきました。
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どれかひとつを選ぶのではなく、どれも大切にしていきたい。うまくできない日があっても、それでも今日を重ねていく。そんな湯鶴のまなざしと向き合いながら、言葉を編んでいます。
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