月末だから大盛り
4月末に、職場の近くに新しくオープンした飲食店に同僚数名とランチに出かけた。
藁で焼いた鰹のタタキがイチオシのお店で、ランチメニューも基本的には「鰹のタタキ」定食のみだ。価格に合わせて、刺身の枚数が6枚、8枚、10枚と選べる。しがないサラリーマンのランチとしてはけっこう奮発するお値段で期待も高まる。
こういう初めて行くお店で、私はいつも「真ん中」を選んでしまう。その店の普通を知らないから。
だって、このお店の鰹のタタキの大きさ知らないし。何枚とか言われてもボリューム分かんないよ?ってなっちゃう。だから私は8枚を選んだ。
ごめんなんか『だから僕は音楽を辞めた』みたいに言っちゃった。
一緒に行った同僚たちもだいたい8枚を選んでいた。そうだよね、わかるよ。ただ、少食の同僚Aは6枚を、食べるのが好きな同僚Bは10枚を選んでいた。
ちなみに少食の同僚Aとは、以前書いたロボットのことだ。
その店はご飯の大盛りが無料だった。
まあ、それ自体はよくあるのだけど、言いたいことが2つある。
1つ目は「だから、初めて来たんだからこの店の普通盛りが分かんないんだって」ということ。2つ目は「じゃあ、大盛りを普通サイズにして普通盛りを安くしてくれ」ということだ。
これを読んでいるあなたの言いたいことはわかる。
「それはお前の都合だろ」と思っただろう。
別にいいんだよ、それで。
私は私の人生を私の都合で生きているし、いつも自分に都合の良いことばかり考えている。ただ、それを誰彼構わず口にするわけではない。品性とはそういうものでしょう?だから、このエッセイには品性の欠片もないのだ。
話を戻して、鰹を10枚にした同僚Bだけはご飯を大盛りにしていた。私は何気なく「お、大盛り。なんで?」と聞くと、彼は「んー、月末だから?」と答えた。私は「あー月末ねー」と同意しそうになるが、ん?ちょっと待って?月末だから?え?どういうこと?
たとえば「給料日だから大盛り」は分かる。
そこにはお金を媒介とした因果関係がある。
「週末だから大盛り」も、まあ分かる。
1週間頑張った自分へのご褒美ということだろう。4月30日は月末だけど、木曜日だった。週末でもない。
「月末だから大盛り」だけがどうにもしっくりこないのだ。
でも、よく考えたら「節分だから豆を撒く」とか「土用の丑の日にうなぎを食べる」とかも、わりと意味がわからない。大昔に誰かが決めて、たまたま流行って定着しただけだ。「なんで?」って聞かれたら誰もちゃんとした理由が答えられないだろう。
だから「月末は大盛り」というのも、みんなで協力して流行らせればそれが普通になるかもしれない。みんなでがんばって草の根運動だ。でも私は普通盛りを選ぶよ。
ちなみに食事が到着すると「カツオ6枚ごはん普通盛り」を注文した小食のロボ同僚のごはんが、なぜか大盛りになっていた。理由はわからないけど、たぶん月末だからだと思う。
オープンキッチンだったので、食べながら厨房の方を見ていると、耐熱ガラスで囲われた場所で炎がメラメラと燃えたぎっている。おそらく鰹を藁で焼いているのだろう。ただ、我々のいる席から見えるのは炎だけで、火元は見えなかった。ロボ同僚が「じゃあ、何で焼いてるか分からないね」と言う。私は「たしかにー。葦(アシ)とかかもしれないね」と返す。
「それか茅(カヤ)かもしれないよね」
「なんか乾燥させた細い植物ならいいんでしょ?」
「そもそも茅って何?茅葺き屋根に使うやつだよね?」
これがごくごく平均的なアラフォーサラリーマンたちのランチでの会話だ。仕事の話なんかしてたまるかよ。するときもあるけどさ。
どうやら噂によると「京浜東北線が混んでいたから、みたらし団子を買った」という同僚もいるらしい。たぶん理由なんてなんでもよくて、ただみんな美味しいものが食べたいのだ。でも「なんか今日、美味しいものが食べたいから、美味しいものを食べに行こうよ」とか「会いたいから会おうよ」とは言えないから、適当な理由をでっちあげている。だって、人は自分に都合よく生きていいのだ。
そういえば、丸亀製麺は毎月1日に釜揚げうどんが半額になる。
月末は大盛りで、月初はうどんがいい。
