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木曜日のナッポさん ― “耳がショバショバーの山”

※挿し絵は主人公 カルナッポさん(イメージ)
 木曜日の朝。
 カルナッポさんは、人里離れた山小屋で静かに髭を撫でていた。長い口髭と顎髭は今日も丹念に編み込まれ、揺れるたびに小さな鈴のような音を立てる。

「今日は木に感謝する日である。ゆえに……山に登るぞ」

 そう言い、編み髭を一度ぎゅっと握りしめると、彼はゆっくりと立ち上がった。

 今日登るのはフランスのとある名峰、
“モン・ヴァルフェイユ” と呼ばれる深い森と岩壁を併せ持つ山だ。
観光客はほぼ来ない。道も看板もない。だがナッポさんは毎年この山に登り、木々に感謝を捧げることを欠かしたことがない。



◆ セレーノ女史、甲羅を脱ぐ

 外に出ると、すでにセレーノ女史が準備をしていた。
 青いドレスは相変わらず風にたなびき、丸い眼鏡の奥の瞳は、どこか海の底のように澄んで暗い。

「今日も、あの甲羅……お預けするわね」

 そう言って、ゆっくりと肩から“例のウミガメの甲羅”を外す。甲羅の内側は不思議な光沢で、見ていると波音さえ聞こえる気がする。

 そして彼女は、
ローラースケートを履いた。

 しかも山道仕様の、鉄輪むき出しの無骨なやつ。

「いくわよ、ナッポさん。今日はね、砂利道で“ズリズリ音の研究”がしたいの」

 何を研究するつもりなのか皆目わからないが、ナッポさんはただ頷く。

「御意」

 二人は歩き出す。
 いや、正確には——

セレーノ女史は、砂利道の上を容赦なくズリズリすべって進んでいた。

 ローラーが砂を巻き上げ、後ろを歩くカルナッポさんの顔に絶えず砂埃が吹きつける。
 しかしナッポさんはそれさえもありがたく受け取るように、編み髭を軽く撫でた。

「木々も砂利も風も……すべては今日の恵みである」



◆ 狂気の森歩き

 森に入ると、光の層がいくつも重なり、二人の影を長く伸ばした。

 カルナッポさんは一本一本の木に手を当て、真剣に語りかけていく。

「いつも酸素ありがとな。
 お前のおかげでわし、生きておるよ。御意」

 木はゆらりと揺れた気がする。

 その隣ではセレーノ女史がローラースケートのまま木に接近し、幹を撫でながら独自の賛美を送っている。

「いい樹皮ね。あなたの模様は今日も渋いわ。あぁ〜触り心地、今日で8.5点」

 完全に森に迷惑をかけるスタイルだ。

 やがて二人は、森の奥へ進む。
 そして藪を抜けると突然——

「いやああァァ〜ッどうもぉ!!」

 と、耳に馴染みのある湿った声が響いた。



◆ ナッチャンダリーポップ氏、登場

 振り返ると、派手なパッチワークのジャケット、
 そして渋く斜めにかぶったシルクハット。

 怪談ウォッチャーにして自称・世界の怪異案内人——
 ナッチャンダリーポップ氏が立っていた。

「いやぁ〜〜偶然ですねぇ、ナッポさん……
 今日はね、あなた方に、どぉ〜〜しても聞いてほしい怪談があるんですよお……」

 喋り方が完全に稲川淳二である。

 カルナッポさんは軽く眉をひそめる。
 セレーノ女史はスケートのまま後退し、地面をザリザリ鳴らす。

「いや、偶然なわけないでしょ。ついてきたでしょあなた」

「まあまあまあ聞いてくださいよぉ……
 実はね……耳がね……ショバショバーッてね……」

「始まったわ……」



◆ 怪談:耳がショバショバー

「先日ね……森を歩いていたんですよ、ボクは。
 そしたらねぇ……どこからともなく“パタパタパタ…”って音がするんです……
 小さくて軽やかで……まるで蝶の羽ばたきみたいな……」

 三人の足が止まる。
 風がひと吹き抜ける。

「でね……見たんですよ。
 耳だけが飛んでるんです。
 白くて、柔らかそうな、人間の耳が……
 ちょうど、蝶みたいに……ショバショバーッ!!!ってね……」

 セレーノ女史が思わず言う。

「ショバショバーって何よ……」

「いやぁ〜〜実際に聞こえた擬音なんですよお……
 でね、その耳たちがね、ボクの周りを円を描くように回りながら……
 ひとつだけ……ボクのジャケットの襟を掴んでね……
 “森に帰せよ……”って……囁いたんですよぉ……」

 カルナッポさんは髭を撫でながら言う。

「耳というものは時に旅をする。よくあることだ」

「肯定するのやめて!!」
 セレーノ女史が叫ぶ。



◆ 動物を殺して焼く

 歩いているうちに、森が急に開けた。

 そこには野生のイノシシが一匹、こちらを警戒するように佇んでいた。

「おや……今日の恵みが来よった」

 カルナッポさんは静かに言った。
 動かぬ。イノシシも動かぬ。

 次の瞬間——
 セレーノ女史がスケートで猛スピード突撃し、イノシシを華麗に転倒させた。

「任せて! こう見えても狩猟免許、国際A級よ!」

 そのまま三人は即座に焚き火を起こし、イノシシを豪快に焼き始める。
 香ばしい匂いが山の風に乗り、どこか神事めいてすらあった。

「木々よ、今日の命をいただくぞ。御意」

 カルナッポさんは両手を合わせて深く礼をした。



◆ 5分寝て10分歩く、謎の行動

 腹を満たした三人は、再び山頂を目指して歩く。
 しかしカルナッポさんは突然、

「少し寝る」

 と言って、地べたに倒れこむように寝た。
 ちょうど5分後にむくりと起き上がり、また歩く。

 10分歩くとまた寝る。
 これを何度も繰り返す。

「ねぇナッポさん、なんで5分寝るの?」

「木々がそう言っている」

「言ってないわよ!!」

 しかし彼の顔は真剣そのものだった。
 髭を撫でながら、森に聞き入っているようにも見えた。



◆ 山頂へ。そして木々への祈り

 夕刻。
 三人はついに山頂へ辿り着いた。

 そこは木々の聖域とも呼ばれる場所で、風が凪いでおり、不気味に静かだ。
 遠くにフランスの平原が広がり、夕陽が赤く落ちていく。

「木々よ……今日もまた、お前たちに感謝を捧げに来たぞ」

 カルナッポさんは一本の古木にそっと触れた。
 その瞬間、一陣の風が吹き、木々がざわりと揺れる。

 ナッチャンダリーポップ氏は思わず後退し、帽子を押さえた。

「うわぁ〜……今、耳が……ショバショバ……」

「黙れ」

 セレーノ女史が即座に制した。

 カルナッポさんは目を閉じ、髭をゆっくり撫でた。

「ありがとう……木々よ。
 お前たちが息づくから、わしらも生きておる。
 そして……お前たちの声は……今日もよう聞こえた」

「何か言ってたの?」

「うむ。“来週も来い”と言っておる」

「毎週来いってこと!? 遠いのに!?」



◆ 帰り道、そして夜

 三人はゆっくり山を下りる。
 ナッチャンは相変わらず怪談を語り続け、
 セレーノ女史はローラーをズリズリ鳴らし、
 カルナッポさんは髭を撫でながら歩く。

 夜の森は深く、風が低く唸る。

「今日もいい木曜日であった」

 そう呟いたカルナッポさんの編み髭が、静かに揺れた。

 やがて三人の姿は闇に溶けていった。

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