カルナッポさん(シリーズ化第一話)
朝。
家の壁に掛かったメトロノームが、何故か逆に振れている。
ティックでもタックでもなく、カッ…カ…カ…。
狂気の音はリズムを忘れることで完成する。
食卓ではカルナッポさんが椅子に座り、
手には大きなパンと、同じ大きさの猫(寝ている)。
どちらを口に運ぶか、彼は真剣に天秤にかけていた。
カルナッポ「うむ……パンは柔らかい。猫は温かい。
どちらも朝の始まりに相応しい……」
長い髭を触り始める。
迷いだ。迷いは狂気の羽音。
唇の端がわずかに震える。
そこへスッとセレーノ女史が現れる。
肩に背負うウミガメの甲羅は今日も艶やか。
手にはなぜかフォークで突き刺したロバのステーキ。
セレーノ女史「カルナッポ様、パンか猫かで迷われているとお見受け。
ではいっそロバを、ご朝食に。」
カルナッポ「ロバ……だと?」
その瞬間。
カルナッポさんはパンと猫を同時に放り投げ、目が見開く。
カルナッポ「ふふふ……カツナッポの出番かッ!!」
髭が風で水平になる。
キッチンの鍋を盾に、スープ用の大匙を槍として構える。
誰が教えたわけでもないのに、戦士のフォームが完璧。
セレーノ女史「御意。市場への出陣でございます。」
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◆二人、街へ
カツナッポは玄関のドアを蹴破り、
セレーノ女史は盆栽時代の記憶もなく軽やかに続く。
石畳を踏み鳴らし、二人は市場へ向かう。
露店の果実売り、魚屋、香辛料商──
誰もが彼らの姿を見るなり、瞬時に店を閉じる。
商人A「カツナッポが来たぞ!皿を投げる前に逃げろ!!」
商人B「皿が無くても投げるぞ!空気を投げるぞあの人!!」
シャッターの音が同時に鳴る。
街が彼らを恐れているというより、
まるで儀式のようにそれが当たり前になっていた。
カツナッポは市場のど真ん中で立ち止まり、
大匙槍をくるりと回す。
カツナッポ「……今日の戦は終わりとする!」
セレーノ女史「御意。では帰途に舟を。」
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◆バナナの皮の舟
昼下がり。
二人は川岸でバナナの皮を集め、
無言で一枚ずつ紐で結び、筏にする。
セーヌ川は太陽に焼け、
水は牛乳のように濁っている。
二人は乗る。
舟はたぷんと揺れる。
音もなく流れ、街の下へ、橋の影へ、
そして急な滝へ。
カルナッポ「また月曜に。」
セレーノ女史「ええ、メトロノームが鳴る頃に。」
バナナの皮の筏はそのまま滝に吸い込まれ、
二人の姿は泡のように消えた。
市場の人々は遠くから見ていたが、
誰も悲しまなかった。
次の月曜日には、
また二人がふつうに朝食の席に現れると知っていたからだ。
月曜日の午前。
セーヌ川の霧がまだ体に残るような空気の中、
カルナッポさんとセレーノ女史は何事もなかった顔で家に戻ってきた。
玄関を開けると、まず耳に飛び込むのは地下からの規則正しい音。
ティック・タック・ティック・タック
メトロノームだ。
誰も触っていないはずなのに、
二人が戻る日だけは勝手に鳴り始める。
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◆盆栽のセレーノ女史
女史はいつものように肩の甲羅を揺らし、
自分の鉢植え姿のまま朝の日差しへ向かう。
セレーノ女史(鉢植え)
「気持ちの良い月曜。苔もよく育っております。」
カルナッポ
「女史、根の具合はどうかね?」
女史(鉢)
「伸びが利いております。歩くとちょっとガサガサします。」
歩く盆栽。
それを見てカルナッポさんは満足げに髭を撫でる。
だが次の瞬間、彼の視線はキッチンのフライパンへ滑る。
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◆目玉焼きの儀式
カルナッポさんは黙って卵を割り、
両面焼きにし、無言でフライ返しですくうと──
壁へフルスイングで投げつけた。
ばちっ、という軽い音。
壁には過去の目玉焼きの痕跡が何十層も重なり、
油で光り、卵黄は化石のように硬化している。
黄色、茶色、焦げ、白。
まるで年代ごとの地層のようだ。
女史(鉢)「また一枚積みましたね。」
カルナッポ「地層を築くのが趣味でね。」
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◆パンか猫か──そしてゴルフ
朝食のテーブルには今日もパンと猫。
パンは昨日買ったバケット。
猫は毛並みがふわふわで、寝息がパンより柔らかい。
どっちを食うべきか。
髭を触る。迷う。
メトロノームは早くなる。
ティックタックティックタックティーーック!!!
突然カルナッポさんは立ち上がり、
パンをクラブ(9番アイアン)に見立ててスイングポーズ。
カルナッポ「ではパンでゴルフといこう!!」
女史は鉢植えのままホール役として壁側に移動。
猫は丸まったままボールの横で審判のように眠る。
カルナッポ、助走。
フルスイング。
パンがしなる。
腕が鳴る。
骨も鳴る。
ボキッ
カルナッポ「折れた……!」
女史(鉢)「クラブではなく腕が、ですか?」
カルナッポ「御意。」
左腕をぶら下げたまま、彼は満足げに笑った。
猫は伸びをし、パンは壁へ飛んでいき目玉焼きの層に突き刺さった。
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◆ラスト──アイロンステーキ
夕暮れ。
2人はリビングにアイロンをセットし、
牛肉をそのままジューッと焼き始める。
バターも塩もないが、
アイロンの焦げがスパイス代わり。
カルナッポは骨折した腕でフォークを震わせ、
セレーノ女史は鉢のまま肉に枝を伸ばして切り分ける。
カルナッポ「良い焼き加減だ、女史。」
女史(盆栽)「次は目玉焼きで蓋をいたしますか?」
2人は笑い、
アイロンの焦げた肉をゆっくり噛みしめる。
メトロノームは静かに続く。
ティック タック
ティック タック
狂気は落ち着き、
月曜日はふつうに終わった。
