私の二十四節気 立秋【短編】
早いもので、もう二十四節気が移り変わるそうです。
大暑に続き、今回もはしさんの素敵な企画に参加します!
二十四節気とは、太陽の動きを基に一年を24等分した古代中国発祥の暦法で、季節を細かく区切り、農業や生活の指標として活用されました。
日本には平安時代に伝わり、現在でも季節の目安として日常生活や行事に根付いています。
今回も、短編っぽく✨
『不遇』
「今日も、嫌な日だ。」
毎年、この日になると憂鬱になる。
外に出る前、今一度、私自身のことを考える。
場違いじゃないのか。
心のどこかで抱いている疑念に蓋をして、ぎらつく太陽の中に繰り出す。
深呼吸をしても、汗は止まらない。
照り返しが眩しい。
アスファルトが揺らぎ、公園の噴水の水しぶきに歓声をあげる子どもたちを眺めながら、小さなため息が漏れる。
スクランブル交差点のスクリーンでは「今年一番の暑さ」という報道が聞こえ、いっそう私の身を裂いた。
「今日じゃなければ、もう少し歓迎されたのだろうか」
そんなことを考えながら、行きかう人々が汗をぬぐうのを眺めている。
そういえば、去年も全く同じことを考えていた。
それどころか、年月を重ねるごとに、その気持ちは強くなっている気がした。
ただ、思ったところで、事実は変わらない。
そう、私が思ったところで、脈々と受け継がれてきた慣習というのは変わらないのだ。
言うならば、それは私の“仕事”だった。
誰かに「早すぎる」と言われ、また、誰かには「空気を読め」と笑われる。
そのたびに、自分でもそう思う。
言われなくても、私が一番分かっている。
そうだ、今じゃない。
今じゃないだろ。
それでも、私が一歩踏み出さなければ、その次は始まらない。
だから誰に、何を言われようと、俯きながらでも突き進む。
誰か一人でも、 「あれ、今日は空気が違うな」 と思ってくれたら、それで十分だ。
青く広がった夏空を見上げる。
入道雲は、私を見下すように、空高らかに幅をきかせている。
それでも、ほんの少しだけ日が傾くのが早くなった気がした。
私は、その「ほんの少し」のためにいる。
そう、私の名は「立秋」だ。
余談。
父から聞いたのですが、立秋を境にして、めっきりとトマトやキュウリの実りが悪くなったそうです。
名前だけ見るとツッコミ待ち感が否めない立秋ですが、農業的(家庭菜園が農業かは謎ですが)には、ちゃんと役目を果たしているのかもなぁー。
と感心した今日この頃です。
さて、そのことを文章にしても良かったのですが、最近はじめた童話作りのトレーニングも兼ねて短編を作ってみました。
【最近作った童話はコチラ↓↓↓】
童話大賞に参加予定なので、レビューをもらえると大変参考になります!
