文化5年 (つちのえたつ 戊辰)
年(年号) |
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| ●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 |
| ●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 |
| ●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 |
| ●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 |
| ●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 |
| ●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 |
| ●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 |
| ●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 |
| ●1828年 (文政11年) | ■シーボルト事件 |
1808年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/09/13 14:27 UTC 版)
| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
| 十年紀: | 1780年代 1790年代 1800年代 1810年代 1820年代 |
| 年: | 1805年 1806年 1807年 1808年 1809年 1810年 1811年 |
1808年(1808 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる閏年。
他の紀年法
カレンダー
できごと
- 1月1日 - アメリカ合衆国で奴隷輸入禁止法が施行され、アフリカからの奴隷輸入が禁止される(国内の奴隷制は継続)[1]。
- 1月22日 - ナポレオン軍の侵攻から逃れたポルトガル王室が植民地ブラジルのサルバドルに到着(ポルトガル宮廷のブラジル移転)[2]
- 3月7日 - ポルトガル宮廷がリオデジャネイロへ遷都(植民地中枢の移転となり、のちのブラジル独立の遠因となる)[3]。
- 3月17日 - スペインでアランフエスの暴動が発生し宰相ゴドイが失脚、19日に国王カルロス4世が退位[4]。
- 3月20日 - プロイセンの哲学者フィヒテが、フランス占領下のベルリンで連続講演『ドイツ国民に告ぐ』を完結[5]。
- 5月2日 - マドリード市民がフランス占領軍に蜂起(5月2日蜂起、イベリア半島戦争の勃発。ゴヤの絵画の題材)[6]。
- 5月8日(文化5年4月13日)- 幕命を受けた間宮林蔵と松田伝十郎が樺太の第1次探検に出発(間宮は9月に単身で第2次探検に出発)[7]。
- 6月6日 - ナポレオンが兄のジョゼフ・ボナパルトをスペイン国王に即位させる。これに対し各地でゲリラ戦が頻発し、イスパノアメリカ植民地でもクリオーリョが自治組織(フンタ)を結成、ラテンアメリカ独立戦争が本格化する[8]。
- 7月19日 - バイレンの戦い:スペイン軍がフランス軍を破り、22日に約2万が降伏。ナポレオン帝国陸軍初の本格的野戦敗北となり全欧に衝撃を与える[9]。
- 9月27日 - ナポレオンとロシア皇帝アレクサンドル1世がエアフルト会議を開催(10月14日まで。大陸封鎖令順守を確認するも対立が表面化)[10]。
- 10月4日(文化5年8月15日)- フェートン号事件:イギリス軍艦フェートン号がオランダ船拿捕のため長崎港に不法侵入。長崎奉行松平康英が引責自害し、幕府に海防再編を促す契機となる[11]。
- 11月19日 - プロイセンで宰相シュタイン主導により都市条例が制定され、プロイセン改革が進展[12]。
- 12月22日 - ベートーヴェンがアン・デア・ウィーン劇場で交響曲第5番(『運命』)、第6番(『田園』)などを一挙に初演[13]。
- 12月31日 - フランスのゲイ=リュサック、パリで気体反応の法則を発表[14]。
日付不詳
誕生
- 1月27日 - ダーフィト・シュトラウス[19]、ドイツの哲学者、神学者(+ 1874年)
- 2月5日 - カール・シュピッツヴェーク[20]、ドイツの画家(+ 1885年)
- 2月26日 - オノレ・ドーミエ[21]、フランスの画家(+ 1879年)
- 3月7日 - ヨハン・カスパー・ブルンチュリ[22]、ドイツの法学者(+ 1881年)
- 3月25日 - ホセ・デ・エスプロンセダ[23]、スペインの詩人(+ 1842年)
- 4月20日 - ナポレオン3世[24][25]、フランス第二帝政の皇帝(+ 1873年)
- 5月22日 - ジェラール・ド・ネルヴァル[26]、フランスの詩人、小説家(+ 1855年)
- 6月3日 - ジェファーソン・デイヴィス[27]、アメリカの政治家、南北戦争の南部連合大統領(+ 1889年)
- 6月17日 - ヘンリック・ヴェルゲラン[28]、ノルウェーの詩人(+ 1845年)
- 7月6日 - ヨハン・グスタフ・ドロイゼン[29]、ドイツの歴史家、政治家(+ 1884年)
- 7月13日 - パトリス・ド・マクマオン[30]、フランスの軍人、政治家(+ 1893年)
- 8月10日 - イポリット・ピクシー[31]、フランスの技術者、初のダイナモの製作者(+ 1835年)
- 8月19日 - ジェームス・ナスミス[32][33]、イギリスの機械技術者、蒸気ハンマーの発明者(+ 1890年)
- 8月29日 - ヘルマン・シュルツェ=デーリチュ[34]、ドイツの政治家、協同組合の組織者(+ 1883年)
- 9月4日(文化5年7月14日)- 近衛忠煕[35]、公卿(+ 1898年)
- 9月6日 - アブド・アルカーディル[36][37]、アルジェリアの反仏運動指導者(+ 1883年)
- 10月5日 - ヴィルヘルム・ヴァイトリング[38]、ドイツの社会主義者(+ 1871年)
- 11月2日 - ジュール・バルベー・ドールヴィイ[39][40]、フランスの小説家、批評家(+ 1889年)
- 11月14日(文化5年9月26日)- 三井八郎右衛門(第13代)(三井高福[41])、事業家(+ 1885年)
- 11月22日 - トーマス・クック[42]、イギリスの旅行業者(+ 1892年)
- 12月29日 - アンドリュー・ジョンソン[43]、第17代アメリカ合衆国大統領(+ 1875年)
- 月日不詳 - 秀ノ山雷五郎[44]、力士、第9代横綱(+ 1862年)
死去
- 1月1日(文化4年12月4日) - 銭屋金埒[45](馬場金埒[46])、狂歌師(* 1751年)
- 2月14日 - ジョン・ディキンソン[47]、アメリカの政治家、弁護士(* 1732年)
- 2月27日(文化5年2月2日) - 並木五瓶(初世)[48]、歌舞伎狂言作者(* 1747年)
- 3月13日 - クリスチャン7世[49]、デンマーク=ノルウェーの王(* 1749年)
- 4月6日(文化5年3月11日) - 木内石亭[50]、本草学者(* 1725年)
- 4月15日 - ユベール・ロベール[51]、フランスの画家(* 1733年)
- 5月5日 - ピエール・ジャン・ジョルジュ・カバニス[52]、フランスの医学者、哲学者(* 1757年)
- 7月14日 - ジョン・ウィルキンソン[53]、イギリスの製鉄業者(* 1728年)
- 10月6日(文化5年8月17日)- 松平康英[54]、長崎奉行、フェートン号事件の責任を取って切腹(* 1768年?)
- 10月21日(文化5年9月2日)- 加藤千蔭[55]、国学者・歌人(* 1735年)
- 11月10日 - ガイ・カールトン[56]、イギリスの軍人(* 1724年)
- 11月26日(文化5年10月9日)- 市川團蔵 (4代目)[57]、歌舞伎俳優(* 1745年)
- 12月30日 - フロリダブランカ伯ホセ・モニーノ[58]、スペインの政治家(* 1728年)
脚注
注釈
出典
- ↑ 『奴隷廃止運動』 - コトバンク
- ↑ 『ジョアン6世』 - コトバンク
- ↑ 『リオ・デ・ジャネイロ』 - コトバンク
- ↑ 『ゴドイ』 - コトバンク
- ↑ 『ドイツ国民に告ぐ』 - コトバンク
- ↑ 『スペイン独立戦争』 - コトバンク
- ↑ 『間宮林蔵』 - コトバンク
- ↑ 『ジョゼフ・ボナパルト』 - コトバンク
- ↑ 『バイレンの戦』 - コトバンク
- ↑ “Congress of Erfurt”. Encyclopædia Britannica. 2026年9月5日閲覧。
- ↑ 『フェートン号事件』 - コトバンク
- ↑ “Karl, Reichsfreiherr vom und zum Stein”. Encyclopædia Britannica. 2026年9月5日閲覧。
- ↑ 『ベートーベン』 - コトバンク
- ↑ 『気体反応の法則』 - コトバンク
- ↑ 『フーリエ』 - コトバンク
- ↑ 『ファウスト』 - コトバンク
- ↑ 『ドルトン』 - コトバンク
- ↑ 『ゴヤ』 - コトバンク
- ↑ 『シュトラウス』 - コトバンク
- ↑ 『シュピッツウェーク』 - コトバンク
- ↑ 『ドーミエ』 - コトバンク
- ↑ 『ブルンチュリ』 - コトバンク
- ↑ 『エスプロンセーダ』 - コトバンク
- ↑ 『ナポレオン』 - コトバンク
- ↑ 『ナポレオン3世』 - コトバンク
- ↑ 『ネルバル』 - コトバンク
- ↑ 『デービス』 - コトバンク
- ↑ 『ウェルゲラン』 - コトバンク
- ↑ 『ドロイゼン』 - コトバンク
- ↑ 『マクマオン』 - コトバンク
- ↑ 『ピキシ』 - コトバンク
- ↑ 『ナスミス』 - コトバンク
- ↑ 『ネスミス』 - コトバンク
- ↑ 『シュルツェデーリッチュ』 - コトバンク
- ↑ 『近衛忠煕』 - コトバンク
- ↑ 『アブド・アルカーディル』 - コトバンク
- ↑ 『アブデル・カーデル』 - コトバンク
- ↑ 『ワイトリング』 - コトバンク
- ↑ 『バルベー・ドールビイ』 - コトバンク
- ↑ 『バルベ・ドールビイ』 - コトバンク
- ↑ 『三井高福』 - コトバンク
- ↑ 『クック』 - コトバンク
- ↑ 『ジョンソン』 - コトバンク
- ↑ 『秀ノ山雷五郎』 - コトバンク
- ↑ 『銭屋金埒』 - コトバンク
- ↑ 『馬場金埒』 - コトバンク
- ↑ 『ディッキンソン』 - コトバンク
- ↑ 『並木五瓶』 - コトバンク
- ↑ Christian-VII - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『木内石亭』 - コトバンク
- ↑ 『ロベール』 - コトバンク
- ↑ 『カバニス』 - コトバンク
- ↑ 『ウィルキンソン』 - コトバンク
- ↑ 『松平康英』 - コトバンク
- ↑ 『加藤千蔭』 - コトバンク
- ↑ 『カールトン』 - コトバンク
- ↑ 『市川団蔵』 - コトバンク
- ↑ 『フロリダブランカ伯爵』 - コトバンク
関連項目
1808年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/16 13:52 UTC 版)
「1808年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「1808年」の解説
11月4日:各州で選挙人選出手続終了。 12月7日:大統領選挙人による投票。
※この「1808年」の解説は、「1808年アメリカ合衆国大統領選挙」の解説の一部です。
「1808年」を含む「1808年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事については、「1808年アメリカ合衆国大統領選挙」の概要を参照ください。
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