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信仰の書環堂で聞いた話第八話

重いのがよい

——叙任のあった翌日の集まりで

昨日、ひとり叙任された。堂の隅に、まだ白い衣が畳んで置いてあった。着替えたばかりの人が、いちばん前に座っていた。

式は、日の出とともに終わる。夜から暁へ、一夜で環の一巡りをなぞるのだそうだ。長く見ていると、この教えは何でも一巡りの形にしたがるらしい、と思えてくる。

前の晩を徹して祈り、東の空が白むころ、三度、同じことを問われる。

この道は重いぞ。重うございます。重いぞ。重うございます。重いぞ。——その重さを、わたしのものにしてください。

三度目にこう答えられたとき、式は進む。

なぜ三度も、と若いのが訊いた。

「わたしも教わっておりません」と堂師さまは言った。「ただ、三度目の声は、いつも違います」

昨日はどうでした、と別の誰かが訊いた。

「昨日も、違いました」

前に座っていた人が、少し下を向いた。堂師さまは、そこには触れなかった。

「徹夜祷は、眠ってしまっても咎めはないのです。……眠った者は、眠りながら見守られていたことを知る。それも学びなのだそうです」

わたしは眠りました、と前の人が言った。笑いが起きた。堂師さまも笑った。

「わたしも眠りました」

——それから、叙任というものの順番の話になった。

「あの式は、力を授ける式ではないのです」

加護は、長い祈りの積み重ねの果てに降りる。五年、十年という時間がかかる。式は、それがもう降りていることを確かめるためにある。

「歳月が先で、式が後です。……昨日、あの人に何かが足されたわけではありません」

前の人が、少し意外そうな顔をした。

「がっかりされましたか」

いえ、と前の人は言った。堂師さまは笑った。

「わたしもがっかりしました。……何か、ぱっと明るくなるものだと思っていたのです」

——そして、重さの話になった。

人ならざるものから力を借りる道は、いくつもある。対価を払って買う道。絆を結んで借りる道。そして、生き方そのものを差し出して頂く道。

「対価は財布を差し出す。絆は真心を差し出す。信仰は、生き方を差し出す。差し出したものの大きさだけ、頂くものは重い」

聖典の言葉である。三つのうち、この道がいちばん不自由である。教団はそれを隠さない。誇りさえする。

「不自由がよい、というのは、外から見ると変な話でしょうね」

堂師さまは、そこで帆の話をした。

「縛られていない帆は、風の日にただ千切れます。帆柱に縛られた帆だけが、船を進めるのです」

港のほうから来た者が、うなずいていた。

「流されて楽な道を行くのは、選びではありません。重い道を、重いと知って選び続けること。……それだけが、人の自由の証なのだそうです」

帆をいっぱいに張った船が、うねる海を進んでいる。帆は帆桁と綱で帆柱に留められ、甲板に人の姿が小さく見える。

問答の抄に、こういうやりとりが載っている。

戒律は重うございます。——重い。その重さが、おまえの頂いているものの重さである。軽い荷を誇る運び手はいない。

「短くて助かりますね。長く言われると、言い返したくなりますから」

笑いが起きた。

頂いた重さは、誇ってよい重さである。今日の話は、たぶんそこまでが前半だった。

「——ただ」

堂師さまは、そこで一度切った。

「重ければよい、というものでもないのです。世の中には、頂いていない重さもありますから」

頂いていない重さ、と誰かが繰り返した。

「自分で拵えた重さです。……こちらのほうが、たいてい重い」

そして、いつか話すと言っていた条の話になった。結ばれた流れを、自分の手で断たないこと。

「意見が合わないこと。道が分かれること。袂を分かつこと。……あれは、裏切りではありません」

裏切りというのは、相手がこちらに背中を預けている、その預けられた背中を売ることである。

「去ることと、売ることは、違います」

堂師さまは、そこをもう一度言った。

「去ることと、売ることは、違うのです」

わたしは何度か、そこを取り違えている方に会いました、と堂師さまは言った。

「もう十年も前に道の分かれた相手のことを、いまも背負っておられる。……自分は裏切ったのだ、と。話を伺うと、たいてい、裏切っておられません」

じゃあ、なんで、と若いのが言った。

「別れが痛かったからでしょう。痛かったぶんを、罪の重さだと数えてしまうのです。……わたしたちは、痛みと罪を、すぐ取り違えます」

その重さは、頂いた重さではない。誰にも背負えと言われていない。

「下ろしてよい重さです。……下ろしてよいのだと、どなたかが言わないといけないと思って、今日は言っております」

堂が静かだった。

本当に破ってしまった場合はどうなるのですか、と後ろから声がした。

「加護が鈍ります。重ねれば、失われます。……そこは、はっきりしております」

戻れますか、と同じ声が訊いた。

「教えは、一つに定めておりません。覆した器は結び直せる、という派と、一度濁った樋は樋に戻れない、という派が、昔から両方あります」

どっちですか、と若いのが訊いた。

「決まっておりません」

堂師さまは、そこで少し間を置いた。

「……ただ、どちらの派も、一つのことでは一致しております」

神の側は、最初から赦している。問われているのは、器の側である。

「ですから、これも半分は下ろしてよい重さなのだと思います。赦してもらう心配は、しなくてよい。……器を直すほうだけ、してください」

——最後に、白い衣の話になった。堂師さまは、隅に畳んである衣のほうを見た。

なぜ白いのかは、実のところ分かっていない。高きの神々が地の子らを見つけやすいように、とは言われている。

「後の世の誰かが、白は何も注がれていない器の色だと意味づけました。汚れの目立つ色をわざわざ着るのは、生き方が人目に晒されるのを引き受ける印だ、と。……悪くない読みだと思います。ですが、由来ではありません」

前に座っていた人が、衣のほうをちらりと見た。

「重いですよ、あれは」と堂師さまは言った。「布としては軽いのですが」

そして、こう付け足した。

「……ですが、あの重さは、選んだ方が頂いたものです。下ろす話ではありません」