守りの灯の話
——街道の灯が掛け替えられた日に
朝から、街道のほうが騒がしかった。灯の掛け替えの日である。
村の外れから峠のほうまで、道沿いに一定の間隔で灯が置いてある。台が傷んだものを直し、覆いを新しくし、傾いたのを立て直す。年に何度かある仕事で、若い者が総出で出ていく。
夕方、みな砂ぼこりだらけで堂に入ってきた。堂師さまは、そのまま座らせて話を始めた。
「今日は、あの灯の話をします」
灯りのあるところは安全で、灯りの消えたところは危険である。村の中心に大きいのがひとつ、街道に砕いた小さいのが点々と。どこまでが安全でどこからが危ないかは、灯を数えれば分かる。子どもでも知っている。
「あまりに当たり前で、どこから来たものか、考えないことがありますね」
わたしも数年に一度しか思い出しません、と堂師さまは言った。
「では、あの灯りはどこから来たのでしょう」
誰かが、神さまから、と答えた。
「そうです。ただ、いただき方が、少し変わっているのです」
神々が地を去られたあとの話である。祈りは遠くなり、届くのに幾年もかかるようになっていた。そのころ、ひとりの環の神官がいた。
「名は、伝わっておりません」
どこの人かも、いつの人かも伝わっていない。分かっているのは、その人が何を願ったかだけである。
ヒトと、旅とを、魔物から守りたい。
「なぜそう願ったのかも、伝わっておりません。……身内に何かがあったのだ、と言う人はいます。ただ、それも誰かの当て推量です」
失われた理由のために、その人は祈った。道の神イティールさまに向けて。
「一夜の祈りは、一歩だと申しましたね」
先週の話である。何人かがうなずいた。
「あの人は、一生ぶん歩いたのです」
堂が静かになった。砂ぼこりの音もしなくなった。
一年ではない。十年でもない。一生である。始めた日から、終わる日まで。届いたかどうかを確かめないまま、毎晩、一歩ずつ。
「わたしは、そこがいちばんこわいところだと思っております」
こわい、というのは、と誰かが訊いた。
「途中で、やめたくなるでしょう。……わたしなら、やめます」
三年で、たぶん一度は疑う。十年で、届かないのではないかと思う。二十年経って、まだ何も起きていない。
「そこから先が、わたしには想像がつかないのです。……あと何十年か、同じことを続けるわけですから」
祈りは届く前から働いている、とも教えは言う。あの人の中で、何が起きていたのかは分からない。
そして、届いた。
神々が去られたあとの、遠い遠い世界で、その一生ぶんの祈りがようやく届いた。イティールさまは応えられて、灯りをヒトに遺された。
「あの人が生きているうちに届いたのかどうかは、伝わっておりません。……消息そのものが、伝わっていないのです」
名も、土地も、その後も。何ひとつ残らなかった。残ったのは灯りだけである。
「書いた者の名は流れ、書かれた言葉だけが巡る、と聖典の巻頭にあります。……あれと、同じ形なのだと思います」
それから、堂師さまは灯の性質の話をした。村の者には、こちらのほうが馴染みがある。
燃料は要らない。何も足さずに燃え続ける。分けられる。種火をもらって、別の灯を起こせる。ただし、普通の水で消える。
「よく消します」
笑いが起きた。今日の仕事で、うっかり消した組がいたらしい。
「なぜ燃え続けるのか、なぜ魔物が寄らないのかは、わたしは知りません。……教えも、そこは説いておりません」
分かっているのは、もう新しくは造れない、ということだけである。あれは一生の祈りでしか生まれないもので、それを願う人がふたたび現れたという話を、誰も聞いていない。
「増やせます。ですが、造れません。……ですから、わたしたちの仕事は、消さないことなのです」
今日の掛け替えは、そういう仕事だったのだ——そう受け止めた。台を直し、覆いを換えるのは、千年ぶんの祈りを消さないための作業なのである。
いちばん最初の灯は、いまも祀られているとされる。種火をもらいに行く人が絶えないという。
「どの灯でも、効き目は同じだそうです。それでも、あちらからもらいたくなる。……気持ちは、分かりますね」
分かります、と何人かが言った。
「わたしも、もらいに行ったことがあります。……効き目のためではありませんでした」
道中で三度消して、三度もらい直したという話も聞く。そのたびに戻るのだそうだ。
「面倒な話ですが、悪くないと思います。……あの灯りは、そうやって人の手を借りないと、広がれませんので」
——最後に、堂師さまはこう言った。
「神々は、あの灯りをヒトに渡して、それきり手を引かれました」
直しにも来ないし、増やしにも来ない。消えても、代わりを寄越されない。
「与えることの最後の形は、与えるのをやめることである。……去られた朝の説と、あれを重ねて読む人がいます。わたしも、そうしております」
外は、もう暗くなっていた。掛け替えたばかりの街道の灯が、峠のほうまで点々と続いているのが、堂の戸口から見えた。