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「家族のためなんだからしょうがないじゃん」だと?中1娘にママはカチンと来た



「あー、ギターでも習いに行きたいな~」

と私が独り言を言った。

すると娘が、

「家で弾くのはやめてね。うるさいから」

と言った。

……は?

一体誰のために、私は節約してると思ってるんだい?

ママだって、好きなことを何でも我慢しているわけじゃない。

でも、自分のことより、子どもたちに使うお金を優先してきた。

ここは君の家でもあるかもしれないが、パパとママの家に君がいる、ということなんだよ。

なにか勘違いをしていないかい?

ママだって、好きなこともある。

やりたいこともある。

君のために、好きなことを我慢することだってある。

君がやりたいと言ったことを、できるだけ叶えてあげたい。

そう思って、パパもママも自分たちなりに頑張っている。

でも、

それが全部「当たり前」になってしまうと、なんだか違うんじゃないかと思ってしまう。


もちろん、この頃の娘は中学生。

立派な反抗期の真っ最中だった。

この頃の娘は、こんな感じだった。
中2の娘は、褒められてもキレる。

少し前まであんなにベッタリだった娘が、いつの間にか、何を言っても素直には受け取らなくなっていた。

頭ではわかっている。

これも成長の一つなのだと。

でも、わかっているからといって、腹が立たないわけでも、淋しくないわけでもない。


先日も、似たようなことがあった。

「パパだって、一生懸命働いてるんだぞ」

とパパが言った。

すると娘は、

「えー、家族のためなんだからしょうがないじゃん」

と言った。

家族のためだから、しょうがない?

パパはカチンと来たのか、

「家族のためっていうか、パパはママのために働いてるんだよ」

と言った。

その言葉を聞いて、私はちょっと笑ってしまった。

でも、多分パパは本気だったのだと思う。

普段から私と娘のやり取りを見ていて、あまりにも娘が私を軽んじているように見えたのかもしれない。

だから、そう言ってくれたのだと思う。

パパだって、君のために頑張ってるんだよ。

ママだって、君のために頑張ってるんだよ。

なんでもう少し、優しくなれないんだい?


「家族のためなんだからしょうがないじゃん」

って、なんだろう。

なにをそんなに、「あたりまえ」みたいに言ってるんだい?


どれもこれも、ママもパパも強要した覚えはない。

君が、

「やりたい」

と言ったことを、できるだけ叶えようと努力している。

もちろん、親だから。

子どものためにするのは当たり前なのかもしれない。

でも、だからといって、それを子どもが「あって当然」のように思ってしまったら、親はちょっと淋しい。

いや、かなり淋しい。


なんでもう少し、ママに優しくなれないんだい?

やっぱり、ママが悪いのかい?

近くにいすぎるから?

なんでもしてあげすぎるから?

いつもそこにいるから?

子供に頭に来て、

「ママはもう出ていきます」

と子どもを脅かしたら、

「あ、そう。お金置いて行ってね」

と言われたとか。

本当に出て行っても、

母親の携帯に電話ひとつよこさず、

探す気配もなく、

心配もしてくれなかった。

……なんて話も聞く。

笑い話のようだけど、ほんとに淋しいことだよね。

母親なんて、そんなものなのかな。

毎日そこにいて。

ご飯を作って。

洗濯をして。

帰りを待って。

具合が悪ければ心配して。

困れば助けて。

それがあまりにも当たり前になってしまう。

いなくなって初めて、

「あれ?」

と思うものなのかな。


もちろん、私だって子どもの頃はそうだったのかもしれない。

親が働くことも。

ご飯が出てくることも。

学校へ行くことも。

やりたいことをやらせてもらえることも。

それが誰かの努力の上にあるなんて、考えたこともなかった。

子どもなんて、そんなものなのかもしれない。

そして親になって初めてわかることがある。

自分も、あんなふうに親を困らせていたのかもしれないと。

でも、今の私にはまだ、

目の前の娘に腹が立つ。

「家で弾くのはやめてね。うるさいから」

なんて言われれば、

「お前のために生きてるんじゃないぞ」

と、心の中で思ってしまう。

それでも明日になれば、

またご飯を作って、

洗濯をして、

娘の帰りを待っている。

そうやって、

腹を立てながら、

心配しながら、

子どもは少しずつ親から離れていく。

子育てって、一体なんなんなんだろう。

ボヤきながら、今日も娘の帰りを待っている。


これまでの子育てについて

夫婦ともに高卒の私たちが、二人の子どもを育ててきた記録を書いています。

教育に詳しかったわけでも、特別な教育方針があったわけでもありません。

子どもが勉強しなければ焦り、「勉強しなさい」と何度も言い、悩みながら子育てをしてきました。

そんな私たち夫婦ですが、結果的に二人の子どもは慶應に進学しました。

これは「こうすれば慶應に入れます」という教育法の話ではありません。

高卒の私たち夫婦が、何もわからないまま子育てをして、その中で悩み、失敗し、考え、気づいてきたことの記録です

夫婦そろって高卒。それでも子ども二人が慶應に行った。


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